私を呪うもの(外的な、或いは内的な)ー間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』を読んで
「ちょっと煙草買ってくる。」
そう言い残して父が出ていった日から、私には父がいない。
父はあまり良い人間ではなかったようだ。
生きていれば誰しも自分の嫌な部分に悩まされる瞬間があると思う。どうして私はあんなことを…。そんなとき私は、人から聞かされた父の振る舞いを思い出す。あぁ、私もその父の血を引いているのだ…。
そんなことはないという私がいる。血や環境など関係なく、私の振る舞いは私自身の性質から起こったものであると。
間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』(早川書房)は、老いない体を手に入れた「わたし」が、これまでの人生と家族のことを振り返るために家族史を綴るという設定で物語が展開されていく作品だ。「ついに早川書房から芥川賞作品が出るのでは」という前評判を聞き買ってみたのだった。
あまり多くの作品を読んだわけではないが、私は芥川賞作品が好きだ。改めて理由を考えてみると、心の傷に沁みるという言葉がしっくりくる。
作品を読み進めると、主人公の「わたし」がかつての行いについて、こんな人間にはなるまいと決めていた人物と同じことをしてしまったと悔いる場面が出てくる。そんな行いをしてしまうのは、その人物から受けた仕打ちが呪いのように伝染するものだから。違う、もともとこういう人間だったから。
物語の「わたし」が、現実の私と同じ傷を負っている。芥川賞作品を読んだときにはそんな感覚がよく訪れる。前評判はこの作品のことをよく表していて、何かしらの賞をとって多くの人に読まれてほしいと感じた。
作品の話に戻ると、「わたし」にはそんな悩みが解消されるチャンスが訪れる。機械化された体、テクノロジーが発達した世界だからこそ取り得るその手段は、現実の私達も可能であればそれを選択するだろうかという問いを言外に投げかけてくる。そんなイフの話も包括できるのは早川書房の作品だからこそだ。
果たして「わたし」はどのような形でかつての行いを許すのか。自分自身を呪ったことがある人もそうでない人もぜひ読んでみてほしい。