透明日記「名阪国道を往復する」 2024/09/16
おぼろおぼろ。おびろの意識で暗い部屋に目をひらく。アヒルのアラームを切る。静けさに目が閉じる。意識がおぼろに溶けていく。
おぼろおぼろ。アヒルのアラームが鳴る。ぐえぐえグエグエ鳴いている。目が覚める。微睡みの引力に抗い、身体を起こす。一息二息、布団に手をつき青息吐息。布団に染みた意識を集め、にこごりのような意識を作る。
微睡みから逃れるように、立ち上がり、リビングを抜け、トイレに入る。用を足しながら、微睡みの気配が薄れていくのを感じる。尿が現実がとなり、現実は朝となる。
名古屋へ、退院する母を迎えに行く。兄が車で朝七時、来る。支度を済ますと、兄が来た。車に乗る。東からの日差しが強い。
道中、四方山の話をする。エンジンオイル、バナナ、神社前の狭い道、滋賀、オービス、メンチカツ、道路工事、タコ、子供の傾向、タバコ、トイレ、三人のおじさん、名阪国道、伯母の家、いちご大福。
病院に着く。休日の病院には人の気配が少ない。去年建ったという病院はピカピカだった。
休日用の入り口から院内に入り、細い通路を抜けると、吹き抜けのある広々とした空間に出る。整然と椅子が並ぶ。遠くでエスカレーターが流れている。人がない。静かに、明るい。澄明な空気。不気味。突然人がいなくなった病院のような、バイオハザードのような。現実っぽくない空間。
エレベーターで七階に行くと景色が良い。医者のようなものがちらほら歩いていた。病室に行くと、母がいた。少しは歩けるらしい。ちょっとトイレに行くと言って去った。
病室で待っていると、同じ病室のおばあちゃんが介助されながら病室に現れた。パジャマ姿。テンションがやたら高い。目が合うと、「はーい!ひさしぶりー!」と、右手を上げてニコニコしている。かわいらしい。が、知らない。反応に困る。股間をパンパン叩き、ズボンのゴムに指をかけ、見るか聞いてくる。兄と顔を合わせて、耐えていた。
介助の人にベッドに導かれ、おばあちゃんは声と気配の人になった。なんやかんや賑やかな声を出す。明るい声で「首吊るー」なんてふざけている。「それはやめて」とたしなめられていた。
母がトイレから帰り、そのまま荷物を持って病室を出る。医療関係者と話すこともなく、あっさり出る。七階の受付のようなところで、母が看護師に挨拶したので、続けて礼を述べた。簡単に退院した。
それから、元来た道を帰る。山間の道路で雨が少し降る。助手席に座っていたので、フロントガラスの雨粒を眺める。昔から、窓の雨粒を目で追うのが好きだったことを思い出す。
雨粒がガラスに弾け、スピードに煽られ、蹄のような形になる。衝突点の周りに、小さく砕けた雨粒が上向きの曲線を作る。衝突点に雨粒の核が残る。ガラスに弾け、核が上に滑っていく。細かな蹄が無数に残る。
ワイパーが動く。雨粒は、フロントガラスの端っこに寄せられ、大きくなってぷるぷる震え、滑り出す。円を保ったまま滑るものもあれば、小さなヘビになって滑るものもある。ヘビが生まれるところが気に入った。うにょうにょ。心がくすぐられる。生まれては消えていく。しばらく見続けた。
大阪に戻り、遅めの昼に寿司を食って家に帰った。疲れて眠る。
ぼんやり過ごして夜になる。母となんやかんや喋ってメシを食う。今日は月が明るい。ベランダに静かな影が伸びていた。