博士課程をゴリ押しする怪文書
タイトルは釣りですが、最近博士課程に進学するか迷ってるという日本人学生と話す機会がありました。博士課程は合う人にとってはキャリアを広げる素晴らしい機会だと思うので、何故良いと思うのかを書いてみます。
博士課程は伝統的には大学研究者養成のトレーニングでしたが、企業研究者・政策決定者など、様々なキャリアを目指す人の準備にも転用できます。博士課程では、特定のテーマを掘り下げて新規性を示し、それを大きな文脈・周辺分野との関係性の中で構造化し、他との差異を説明するような練習をしますが、様々な場面で役に立つと思います。プレゼン・コミュニケーション・文章作成などのソフトスキルも当然必要なので訓練になります。そのような意味で博士課程は卒業後の進路によらず役に立ちます。筆者は大学教員・理工系研究室 PI ですが、大学研究者になりたくても、そうでなくても、博士課程進学を検討して欲しいと思います。
雇用慣習は国によって異なりますが、最近は日本でも同じ企業に生涯勤めることは減っていると言われます。そのような状況での私の「博士課程」に関する捉え方ですが、単純に「数年間特定の研究室に勤めて、必要な経験を得て、その先のキャリアに繋げる機会」です。人生を研究に捧げる必要もないですし、研究者になるプレッシャーもありません。もちろん大学での研究者を目指したかったらその準備にもなります。ちなみに人数的に考えて、大学の研究職のみで博士号取得者の雇用をカバーすることは不可能です。博士が社会で広く活躍するというのは努力目標でもなく必須だと思います。
博士課程を「自分の経験の一部」として位置付けられると、使い方が広がると思います。平たく言えば、転職を前提にキャリアを考えるなら、リクルート/マッキンゼー/三菱商事/・・・に3年いるか、A大学B研究室の博士課程に3年いるかの違いです。20~30代の3年間で何をすれば自分のキャリアに資するか考えて主体的に選ぶことを提案します。これは学生(応募者)の視点です。後述しますが、大学の中の人の視点としては、応募者に企業か博士課程かという天秤にかけられる意識が必要だと思います。博士号という学位を提供できるのは大学院博士課程のユニークな点ですが、それにあぐらをかかず、給与・福利厚生のような、企業ならば当然提供するものが博士課程という制度設計の一部である必要があると思います。単純に、そうでなければ選ばれないからです。
脱線しましたが、「じゃあ、トヨタで3年働いても得られないけど、博士課程で3年働いて得られるものって何ですか」という質問に明確に答えるのが、大学の中の人の使命になります。大半の応募者は「博士号が得られる」以外の情報を持っていません。そのような状況では博士課程がキャリアの一部として選ばれるわけがないからです。本怪文書の目的は、その問いに対する私なりの答えを述べることです。博士課程で得られる一般的なスキルは省いて、他の職務経験からは得難いユニークな経験(だと私が思うもの)について述べました。
1.世界で自分しか持たない専門性
博士課程では自分が選んだ分野で独自の研究を行い、新しい発見や知見を作り出すことが目的です。その意味では博士課程を修了したときに、程度の差はありますが、世の中で自分しか知らないことが存在することになります。伝統的には「教科書の1ページを書きたいのか、教科書を読むだけか」みたいな煽りで士気を高めてきました。最近なら「生成AIの教師データを生み出したいか、生成AIから出てくるものを使うだけか」と自分に向き合ってもいいでしょう。若いのなら「どういう人生を送りたいか」と大上段から考える機会があると思います。若者であれば当然前者でしょう。博士課程にようこそ!
余談ですが、大人になって思うのは、前者(研究・創作的なもの)と後者(勉強・実務的なもの)はどちらも大事ですし、向き不向きや好き嫌いはありますが、優劣があるわけではありません。関連記事を書いたことがあります(リンク)。ところで大学研究者のあまりよくない傾向は、研究をすることが絶対王者だと思ってそうなところです。私自身は研究が好きでプライドを持ってやっているつもりで、今のところ「論文を書いてない大学研究者は自分がするべき仕事をしていない」という価値観で仕事に臨んでいます。なので研究至上主義的な態度が自分の主義主張から滲み出ていないとも限りません。ただ、もしもそのような態度が博士課程に興味を持った優秀な人を遠ざけてるとしたら良くないとも思います。業界の裾野を広げていくのも必要な仕事だからです。この怪文書の最初で述べた通り、博士課程が提供できる価値は研究者を育成するだけではないというのは、私の噓偽りのない考えで、より多くの人に「研究的な」活動に人生の一定期間(3ー5年)携わって欲しいという希望もあります。抽象的ではあるのですが、そういう人が様々な立場で活躍するような社会は『強い』と思うのです。そのような考え方自体が研究至上主義に立脚してると言えばその通りなんですが、物事が積み重ねの上に起こるのを多くの人が体験するのは有益だと思います。個人が知の積み重ねに貢献できる部分は小さいんだけど、だけどしっかり取り組めば3年で小さな貢献ができるのも事実で、それを一通り体験すると自信にもなります。博士課程がそのような体験の一助となれば幸いです。その上で、博士課程の後にどのようなキャリアを目指す人も応援していきたいです。
2.高度技能人材としての資格
世の中の多くの国では労働許可というルールがあり、多くの場合は自国の人材を優先して雇用します。外国人が優先的に仕事を得られるような状況は、日本だけでなく、どの国でも国民の理解を得られません。そんな中で「博士号を取得する」という意味は「世界でこの人しかできないことがある」ということなので、外国人を雇用する理由付けになりやすい利点があります。博士号を持つことで、労働許可の申請にメリットがある国も多いです。
一般論として、自分の生まれた国の外で居住許可を取るためには、その国の人では提供しづらいスキル・知識・労働力・お金のいずれかを提供できることが要件になる場合が多いと思います。大金持ちになるのも難易度が高いので、博士課程で自分の能力を尖らせるのが別の方法です。私は「日本がヤバい、国外脱出を」みたいな煽りは嫌いなのですが、もしものときのために住める国の選択肢は多くなる方が気は楽でしょう。このような考え方はコスパとリスクヘッジが大事な若者にも訴求すると思います。
3.好きな国に住む自由
上記の点にも関係するのですが、現在の世界では自分の住みたい国に住むのは意外と難しいことです。旅行で行くだけなら良いのですが、住むのには長期滞在するための許可が必要になります。労働許可を取るのは上記のように難しいのですが、学生としての滞在資格は比較的簡単に得られます。そういう意味で、もし「この国に住んでみたい」という希望があったら、博士課程の学生として数年間住んでみたら良いんじゃないでしょうか。この文章では私は博士課程を「働く」と表現しますが、働く国を選べる人生の数少ないチャンスです。
あとこれは指導教員や分野に依存しますが、3~4年の博士課程のうち、3カ月から半年くらい自分で行き先を選んで好きな国で在外研究ができるとかもあります。ヨーロッパの大学ではそういう仕組みがあるようで、半年行っても良いか、という連絡をもらうこともあります。日本でも博士学生の在外研究に支援があるケースを見聞きします。海外に合法的に住むのは学生だと比較的簡単だけど、働くのは難しい。交換留学ビザなら、正規留学ビザよりもさらに敷居が低い国もあります。会社にはないメリットです。
もう一歩踏み込むと、日本の学生には少ないと思いますが、世の中には博士課程をステップにして移民を考える人たちも少なくありません。日本では「博士課程に進学すると3年分の機会費用と給料が…」と牧歌的ですが、世界には自分と家族の人生をかけて博士課程に臨む人がいます。これは日本が恵まれてるということだと思いますが、こうなると抱えているものやハングリーさが違うのも事実です。根底の考え方が違いますが、博士課程の「使い倒し方」には色々あります。人生の一部です。
4.外国語の能力
上記に関連して、博士課程は海外に数年単位で住んで仕事をする機会にもなり得ますので、外国語を上達させる機会になると思います。仕事として研究をしますが、それでも学生という立場で滞在できるため、利害関係ない人と話す機会も多いです。友人もできやすいはずです。英語はもちろん、住む国によっては第2外国語も学べると思います。これも稀有な機会です。そのような機会をどんどん使い倒してください。
5.自分の名前で生きる覚悟
この論点は抽象的・ポエム的要素が高いのですが、私はかなり大事だと思っています。若者は野心があるでしょうし、自分の名前を出してグローバルに活躍したいと思うでしょう。大前提として研究活動は自分の名前を出して仕事をしますし、世界を相手にしています。博士課程では 20 代前半からそのような場に自分を置いて活動することができます。研究で結果を出したら、学生の立場でも国際学会で発表できますし、論文も書けます。自分の名前で自分の意見を述べて、自分でそれを守るというのは、慣れると気持ちいいです。そこにあるのは、あなたの名前とあなたの考え方です。承認欲求もガンガン満たしちゃって下さい。かっこいいよ!
「自分が」「自分が」と書いていて、これは一見ウザい感じもするのですが、これは自分の発言に責任を持つということでもあります。私が世の中に発表したものには全て自分の名前がついています(これは怪文書なので、これだけ例外です。)ちなみに「ハーバード大学の研究」などは素人っぽい言い方で、そんなものは世の中に存在しません。個人の研究者たちが大学とは比べものにならない小さなチームで行った研究だからです。「自分の名前で生きる」という意識・覚悟を持てたことは、私にとって博士課程の一番の収穫だとすら思っています。こちらは10年くらい前に書いた話ですが、博士課程を通じて自分の考え方・価値感を守ることを学んだという話です(リンク)。
6.知的訓練・知的好奇心を満たす機会
研究は知的な活動であり、厳しいですが楽しさもあります。日本ではコンサル会社が「知的生産活動である」と優秀な若者に訴求するブランディングをしており、そういうのが野心のある若者に刺さるのは想像できます。「実際の業務はそうでもないかな」というのは博士課程を経てからそのような会社に入った友人の意見でしたが、私はこれは博士課程が特定の学術分野を超えて、知的な訓練として機能しているからだと捉えています。
大学はあまりそのようなブランディングはしないのですが、言わなければ伝わらないのなら、今回は私が臆面もなく言いましょう。博士課程は高いレベルでの知的活動です。知的な活動を通して成長したければ自信を持って進学して下さい。もちろん同様の機会は、企業研究職・シンクタンク・コンサルなど、いろんな職種であると思うのですが、大学の研究で面白いと思うのは、価値観のベースが定まっていないことに意義付けを考える(こともある)点です。基礎研究から応用研究まで、使い方が決まっていない技術も、社会との繋がりがよくわからない概念も研究の対象になります。その文脈付け・意義付けを考えるのは大学の研究のユニークな点だと思いますし、私が最も知的な活動だと思う部分です。知的生産活動に取り組みたい人たちが博士課程をキャリアの一部として使い倒してくれることを私は心から願っています。自分の名前を出して、自分の知的好奇心を十分に満たしてください。大変ですがとても楽しいことだと思います。
7.家族計画(?)
これは暫定的な論点としてですが、キャリアの計画と個人の人生計画は切り離せません。全てが予定通りにいくわけでもないですし、人それぞれというのが大前提なのですが、20代・30代の過ごし方を考えながら、いつパートナーを決めて、いつ子どもを持つかなどを考えることもあると思います。そういう意味では、博士課程は自分で自分の仕事時間をコントロールしやすいという利点はあります。研究は個人ですすめることが多いですし、決して仕事量が少ないわけではないのですが、顧客がいるわけでもありません。そのような条件を上手く生かして、在学中に子どもを作る・産む決断をした学生は何人も見てきました。私の研究室でも博士課程中にお子さんが生まれた学生は複数おり(男性も女性も)、PI としてできる形でサポートしています。託児所・デイケアがある大学も増えてきています。
このような話は、住んでる国の企業の産休・育休制度と比べてどうかということもありますし、一般化はしづらいのも事実です。例えば日本の公的な産休・育休制度は諸外国に比べて手厚いと思いますので、企業の正社員になることのメリットは大きいと思います。他方で、アメリカのようなレイオフの自由度が高い国では、博士課程で数年間自分の立場が安定する状況のために、在学中に子どもを持つに至ったという話もありました。少し文脈が違いますが、キャリアの転換期になる修士課程のMBA留学などの際に、子どもを持つ計画をする人もいるようです。(しつこいですが)博士課程は仕事的な要素が強いのですが、それでも学生の立場だと時間の融通が利きます。この論点については私が全体観を持っていませんので色んなケースを知りたいですし、オープンにこのような話がなされていくと良いんじゃないかと思います。20代・30代の過ごし方としては大事な問題だと思います。
以上のようなことを踏まえると、博士課程って悪くないんじゃね、むしろ20代・30代の数年の使い方としては最強に近いかも、と思うんですよね。ただ1つだけ条件があります。「給料がもらえたら」です。これは私見ですが(というかこの怪文書の全てが私見ですが)、学生が身銭を切る形で、特にお金のない20代の学生が借金を抱えるような形で博士課程に進学するべきではないと思います。日本でも博士課程の奨学金は増えてきました。ですから、日本中・世界中を探して、呼び方は様々ですが、給料・奨学金・Stipend など出る博士課程の合格を勝ち取って下さい。この点は就職活動と変わりありません。大学の中の人としては、できるだけ給与も競争力のあるものにしたいですね。(額は適当ですが)新卒の外資系投資銀行の給与が800万円で、博士課程が授業料持ち出しのマイナス200万円なら選んでもらえるわけがない。でも博士課程がプラス400万円なら、他の唯一無二の経験や条件を明確に提示できたら選択肢になると思います。
色んな考え方があると思いますが、私は博士課程はトレーニングであり、仕事であり、そして修了時に結果を出す責任が伴うと思います。ですから給料が出て、結果を出せなければ解雇であり、学位が取れないというのが適切だと思います。研究に人生をかける必要は全く感じませんが、なあなあであるのは良くありません。やってる間はプロとしてやりましょう。馴れ合いよりも刺激を、という関係が適切だと思います。そして政府としては大学の研究力に対する投資ですし、国の人材育成に対する投資ですし、国の産業革新のシーズに対する投資なので、お金を出す合理性があります。
大学の中の人としては、マッチョなノリで「来たいやつだけ来ればいい」みたいなこと言ってる状況ではないとも思います。博士課程の競合は、企業の研究所であり、コンサルやシンクタンクであり、ベンチャーです。人材獲得の競争です。結果を厳しく求める一方で、労働環境は常に改善する必要があります。いい人に来てもらうという意識を持ち、研究環境を作っていきたいです。大学や政府の人は、博士課程をどういうものとして位置付けたいか考えて、制度設計していくと良いと思いますし、私もそのような機会があれば頑張ります。
学生の皆さんは、全く興味がなければ検討すら必要もないのですが、迷うなら博士課程進学は悪い選択ではないと思います。ちょっと働いてからやってみても良いと思います。何にせよ、長い人生のたかだか3~4年です。会社に入っても、起業しても、何をしていても厳しいことがあって、博士課程だけ何か特別だと思う理由もありません。普通に堅実に生きる中、長い人生において、博士課程があなたの可能性を後押しすると思えるのなら、進学を検討して欲しいと思います。
大枠の主義主張は変わらないと思いますが、この記事はデータやポエムを足し引きしながら、改訂していこうと思ってます。データも大事だし、主観やポエムも大事だと思います。自分の好みは出しながらも、バランス感と勢いのある博士課程界の最強の怪文書を目指したい。博士課程出身者はやたら「最強」などと言うきらいがありますね。子どもっぽいと思わなくもないですが、でもそれって自分が大事にしてる価値感があるからだとも思います。
ぜひみなさんの怪文書も読みたいです。博士課程の良いところ・悪いところがあれば気軽に教えて下さい。みんなで弊業界を盛り上げていきましょう!