見出し画像

パラソーシャルはほどほどが良い話

「パラソーシャル(parasocial)関係とは、個人的には面識のない著名人との一方的な想像上の関係」と定義されているそうだ。

少し前に「パラソーシャル」というホラーゲームが流行ったが、それにも配信者に一方的に好意を寄せて暴走した不審者が出てきた。
配信者や著名人に対しての「一方的な好意」というのは、暴走すれば狂気になり得る。

しかし記事を読むには、パラソーシャルは「現実の人間関係での不足を補ってくれるもの」として、健全な関係であるものらしい。

考えてみると、芸能人をあだ名や呼び捨てで呼ぶのもパラソーシャル関係と言える。
芸能人側からすれば一般人である我々は「誰やねんお前」という関係でも、我々は馴れ馴れしく呼び捨てしたりあだ名で呼んだりする。
それについて今さら疑問に思うことはないし、今後明石家さんまのことを「明石屋さん」と呼ばなければいけないなんてことはない。そこまで言ったなら「ま」までつけていい。

一方的な好意が暴走するのは狂気だが、それは稀なケースであり、多くの人たちは大なり小なり一方的な好意を誰かに抱いているのが普通であり健全であるようだ。
それでもパラソーシャルを怖いと思うのは、多分ガチ恋粘着獣を読んだからだろう。

虚空に話しかける配信者を見て親しみを覚える我々は、虚空なのだろう。

しかし「一方的に関係を結ばれる」のは芸能人や活動者だけではない。
ごくごく普通に生きてても知らないうちにパラソーシャルの対象になってたりする。

少し前に、こんなことがあった。
ある日ボクが働いてる店に電話がかかってきた。返金対応できるか確認だったので、来店されたときのためにお名前を伺った。
するとお客さんは「うふ、あなたのことは声でわかります。私のことも見ればわかると思いますよ。」と言った。

思えばボクは仕事としてお客さんと接してるが、客側としてはリスクのない方法でコミュニケーションができるお馴染みの人であり、パラソーシャルの対象にもなり得るのだ。
でもまさか、こんなところで自分が対象になるとは思ってなかったので、正直なところ「え?」と思った。
さらに言うんなら声を聞いてもお客さんが誰なのかピンと来なかった。
無理強いはしないが、来店のタイミングによってはボクが対応できるとも限らないので、誰でも対応できるようお名前は教えて頂けると助かる。

パラソーシャルが健全な関係だとしても、「私のことわかります?」はパラソーシャル関係なく、コミュニケーションとして普通に困っちゃうものだ。

返金のために来店するメリーさん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?