ゴミの分別はめんどくさいけど、やらないとそれはそれで大変な話
人生はめんどくさい。
何がめんどくさいって、ゴミの分別がめんどくさい。
ゴミの分別さえなければ、人生の8割はぬるゲーで舐めプクリア余裕である(個人の考えです)
心の中のグレタさんからどう逃げ切るか、それが人生においての勝ち筋である。
(なお、グレタさんのグラフィティはめちゃくちゃ迫力あるので、逃げ切れるかどうか定かではない)
わかりやすいゴミの分別といえば、ペットボトルだろう。
ペットボトル用のゴミ箱に突っ込むだけなら、そんなにめんどくさくはない。
しかし、本来のペットボトルの分別は「①キャップを外し②外装を剥がし③中を洗って④潰す」までする必要があるのだが、全部やるとだいぶめんどくさい。
さらにそこから「⑤飲み口のところに少し残った蓋のプラスチック部分を切り落とす」まで入ると、この上なくめんどくさい。
かといって、完全にゴミの分別を無視することはできない。
子供の頃から刷り込まれたゴミの分別概念が、無視することを許してくれないのだ。
田村由美の『ミステリという勿れ』の中で、主人公が警察官に夫婦仲について物申すシーンがある。
夫である警察官は、家事の手伝いについて「ゴミ捨てはやってる」という。しかし、主人公はゴミ捨てとは分別から始まり、まとまったものを出すだけではむしろ妻に負担をかけるのでは物申す。
そして、アドバイスを実行してゴミの分別を始めた警察官は、夫婦仲を改善させていた。
リサイクルやゴミの分別は社会全体の営みであり、するかしないかで家族の関係すら危うくなるのだ。
ゴミの分別で家族が保てるなら、安いもんだ、ペットボトルの蓋なんて
しかし、実際めんどくさい。
全てのゴミを正確に分別をやっていると、いずれ爆発するだろう。
だから自分の中で線引きをして、「ここまでは許容できる」と思いながら分別している。
上記のペットボトルの分別も、⑤までは行かなくてもせめて③、最低限②さえ守れればまぁ良しとしよう、くらいの気持ちでいる。
それゆえに、ペットボトルのキャップを外すとき、自治会費を払っている気持ちで外す。
社会の営みにいるために、いろいろな関係を維持するために、必要な労力を払っているのだ。
ちなみに会費取り立て人はグレタさんだ。ずっとこちらを見ている。
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