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これ昔怖かったけど、なんで怖かったんだろう?って話

先日、委員長(月ノ美兎氏)の「これを本気で恐れていたの自分だけだろ選手権」の動画を観て、「子供の頃、よくわからないけど怖いものあったなぁ」と思った。


しかし、子供の頃のことなんて案外覚えてないもので、思い出そうとしてもかなり忘れている。

子供の頃は特撮の怪人が怖かったり、ぬ〜べ〜の妖怪が怖かったりした。しかし、「理解できない怖さ」は、あったと思うがなかなか思い出せない。
そして、やっと思い出せたのが「書き損じハガキ募金」だった。


その怖さを説明する前に、書き損じハガキ募金とは何かについて説明しておく。

書き間違いや汚してしまって郵送されなかったハガキは、郵便局に持って行くと新しいハガキ、あるいは切手に交換してもらえる。
ただし、手数料として5円かかるため、めんどくさがって書き損じたハガキは捨ててしまう人も多い。
そういった未郵送のハガキを集めて、切手シートに交換して、換金して、そのお金を募金するのが書き損じハガキ募金である。

お正月は年賀状シーズンなので、小学校や中学校では冬休み明けにポスターなどで宣伝されていた。



この「書き損じハガキ募金」の何が怖かったのかというと、誰もその仕組みを理解していなかったことだ。

ボクが中学生の当時、学校でこの募金は推奨されていて、「書き損じハガキ1枚でこれだけの人が救えます」みたいなポスターが貼ってあった。
しかし、何故1枚のハガキで命が救えるのかは書いておらず、誰に聞いてもその理由はわからなかった。
当時はネットも貧弱だったので、調べてもわからなかった。

今推測するに、割とプロセスを踏むシステムなので説明すると混乱するおそれがあったのだろう。募金自体は「書き間違えたハガキを出すといいらしい」くらいの認識で全然事足りることでもある。
だがボクには、仕組みがわからないのに誰も疑問に思わず「これはいいものだ」と従う様が恐ろしく思えた。
結局、何枚か書き損じハガキはあったのだが、一枚も出すことはできなかった。この仕組みのわからない善に参加することで、自分の身に何が起こるのかわからなかったから。

恥が恐怖でなくなったのはいつからだろう?

以前、「ホラーの本質は謎解きである」という話をした。

世の中には、仕組みがわからないものはたくさんある。
だけど自分にとって「書き損じハガキ募金」は特別怖くて、その輪に入れなかった。
この謎は今でもよくわからない。

「好き」の中にもlikeとloveがあるように、「怖い」の中にも許容できるものとできない「閾値」みたいなものがある。
人怖系は大丈夫でも、幽霊系はダメだったり。驚かせ系は無理だったり。

しかしそれらの理屈で考えても、なんで怖いのかはよくわからないものもある。
きっと「怖い」という感情が先にあって、理由は後付けなのだ。

「怖い」の正体をつかもうと「怖い」に挑むのも、ある種の謎解きであり、カタルシスなのだろう。

【追記】
書き終わってから思い出したけど、以前のnoteで理解を得られない怖さについて書いたことがあった。

これは今でも全然怖い。

明日はもっといい日になるよね、ハム太郎

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