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ピッチャーに恋い焦がれて。

ピッチャー。なにかを注ぐためのもの。それが本来目的としてつくられた道具、なのに、わたしはその佇まいに恋い焦がれていた。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

ちょこんとくちびるを尖らせたような注ぎ口と、取手。このふたつがピッチャーには必要。ボディのシルエットはさまざまだけど、どの子も左右非対称の愛嬌を持つ。なんだか、意図せず「生きものっぽい」のだ。用途のことより、存在のかわいさに惹かれてしまう。

わたしはずっとピッチャーがほしかった。

でも、なかなかちょうどいい子には巡り会えなかった。大きさ、ぽってり感、釉薬の色、さわり心地、取手の握りやすさとかたち……。明確な「これがほしい」を想像できてないのに「これじゃない」と思いながら、ずっと探していた。

そして、見つけたのだ。

ぽってりとふくらんだ、やさしい丸み。釉薬の落ち着いてまろやかな色。片手でちょうど持ちやすく、かつわたしには十分なサイズ感。土もの(陶器)のあたたかみ。

「これ、これにします。かわいいです。かわいいです。かわいいです」

わたしはピッチャーを手に取って、壊れたオルゴールのように絶賛していた。語彙力は大気圏外に飛んでいってしまっていた。

このピッチャーをつくったのは、紀窯の中川紀夫さん。

やさしい雰囲気が、なんだかピッチャーと似ていた。Instagramにも中川さんの焼きものがあるので、見てほしい。

存在感。わたしがピッチャーに求めていたのは、その形状(注ぎ口と取手)によって備わった「生きものっぽさ」に見合うだけの、存在感だったのかもしれない。ひっそりと脈打つような、血潮を感じるような、そんな……筆舌に尽くしがたい、なにかを。

中川さんの焼きものを見て、そんなふうに思った。

今日も夜、このピッチャーに沸かしたお湯を注いだ。お茶を淹れるときの湯冷ましにしたのだ。

そっと息を潜めて、お湯で満たされたピッチャーを見つめる。取手を撫でてみる。至福の時間。ひたひたと心まで満ちていく。この子に出会えてよかった。


ピッチャーにはいろんな使い方がある。

ジュースを入れたり、お酒を入れたり、花瓶代わりに使ってもかわいい。お茶漬けをつくるときに、お出汁を入れといてもいい。蕎麦つゆとかもいいよね。いくらでも、用途はある。

でもまだ、いまは、透明なお水やお湯をいれて、眺めて愛でていたい。そんな気分。

ちなみにこのピッチャー、思った以上に水切れがいい。垂れない。一目惚れした子は、そんなところまで気が利いていた。これからも、恋い焦がれて過ごすことになりそうだわ。

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栗田真希
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