「企画メシ」に通います。
今日だけで、下書きをいくつ量産してるだろう。
日付が変わってしまうけど、もうそれでもいい気がしてる。
そうだ。そろそろ「企画メシ」のことを書こう。うん。
よーし、いまから30分で書くぞ!
阿部広太郎さんが主宰している「企画でメシを食っていく」という企画のチカラをつけるための講座。無事に選考も通り、通えることになった。このGWから秋まで隔週で授業がある。
その企画生(受講生のことをそう呼ぶ)全員、わたしを含め32名分の自己紹介と第一回目の事前課題の企画書すべてに目を通した。
すでに盛大に後悔している。
「ああすればよかった、こうすればよかった」がみるみる湧いてくる。
時間を置いて客観視できた、ということもあるかもしれない。でもいちばん大きいのは、ほかのひとの自己紹介や企画書を見たことだ。
いろんな講義が世の中にはあるけれど、わたしがいままで参加してきたもののなかで、「ほかの参加者のものをすべて見れる」という形式のものほど、大きな糧を得られている。
必死であがいて模索を重ねてきた過程まで見えるからだ。
誰か成功しているひとを見上げるとき、その「成功」だけを目にしてしまうことがある。それで嫉妬してしまうことがある。どんな過程があるのかも知らずに。じぶんがうまくいってないからって、視線をそらして、他人をみる。わたしもそんな瞬間があった。きっとこれからもある。
「いや、待てよ。
この膨大な試行錯誤のなかから、あれが生まれてるのか?」
そんな全体像がおぼろげでも見えると、一気に現実に返って、じぶんが恥ずかしくなる。そして、その圧倒的な量が、じぶんにとっての希望にもなる。
やればいいのだ、やるしかないのだ。
完成したものの裏側にあるものにまで考えがいたると、視点が広がると、勇気が湧いてくる。じぶんのなかにあるものなんて、ちっぽけだ。
たくさん、泥くさく拾って、拾って、探して、消化不良になるくらい飲み込んで、考えて、すこしマシなじぶんになる。
だから、見ながら一人ひとりの分、考える。
「どういう思考を辿って、この企画に行き着いたのかな?」
「この表現にした意図は何だろう?」
「伝えたい優先順位はどうなってるんだ?」
「このデザインだと、目を引くように伝わるのか」
「このフォント、すごくいい!」
それから、じぶんのこさえた自己紹介と企画書に取り入れられないか、考える。取り入れないと判断した場合も、なぜそうなのか考える。じぶんの個性や見えかたが、1/32で捉えるとくっきり浮き上がる。
たのしみだから、阿部さんからのメールにもあったように、事前に向き合って、当日を迎えよう。
阿部さんからのメールの文章が素晴らしくて、それもどうやったらじぶんに取り込めるか、考えて書き写してみたんだけど、ほんとうにいいなあ。すてきなひとが主宰する講座に通えることは、幸運だ。
通うって決めて、通ってもいいですよってお返事がもらえて、よかった。
あ、「企画メシ」のマークはおにぎりなんだけど、三角形のおにぎりは、ひとつのピースのように見える。わたしもひとつのおにぎりで「企画メシ」のピースのひとつだ。
いろんな具の入った三角形のおにぎりが集まって、大きな円になったり、おもしろいかたちになったりするのかな。ワクワクしちゃうな。
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。