フェミニストの裸と社会の眼差し

人には「グラビアアイドル以上の露出をしていてもセクシーと言われない権利」があります。ライフセーバーやデッサンモデルは水着や裸ですが、他人からそれを“セクシー”と言われたら仕事になりません。フェミニストの人が、パッと見セクシーな格好をしているのも、それと同じではないでしょうか?

グラビアアイドルは水着を着た自分のセクシーさを使役していますが、水着のモデルは水着を映えさせる為に自分の裸を使役しています。見た目は同じ露出でも、どういう眼差しを向けるべきかはそれぞれ考えなくてはなりません。人には、あらゆる目的の為に裸になる権利がありそして、その権利の為には

性的に眼差されない権利があります。そうなると、バギナアーティストを猥褻罪で留置所に入れるなんてのは、言語道断ということになります。「性器が衆人の視界に入ってくる社会的文脈をまるごと無視して猥褻だと騒ぐ」なんてのは、「介護士が利用者さんの性器を見て大騒ぎしてるのと同じ」なのです。それがどれだけ愚かな事かは、少し考えたら解る筈です。警察とマスコミがろくでなし子さん逮捕で大騒ぎの状態にしたというのは、介護士達が利用者さんの入浴ケア等をしながら、「ストリップショーだぜー!ヒューヒュー!」と囃し立てる位に下劣なことです。そして、「人様の身体」に対して、それが「まんこ」だからと、俗っぽいまたは忌諱する目線しか向けないのは、知らずに他人を生きずらくしているということです。(例:ヘルパー制度を使おうかどうか迷っている人達等に対して)

「他人の裸」を「その人の意図を無視して自分目線でしか語らない行為」は、知らずに他人の生き方を踏みつけにしていると、もっと自覚するべきだと思います。

改めて言うと、ろくでなし子さんは必ず無罪になるべきだと思います。
有罪にするのは、あらゆる人への、表現権だけでなく、生存権への侵害行為となります。