友人の幸せを祈る
コロナ禍で二年近く会えなかった友人や、卒業以来五年ぶりの友人と会った話。
病院の先生にも人とあって話せと言われていたが、そんなこと関係なく会いたかった/会いたいと思ってくれた人たちがに会えるのが嬉しくて、年末年始はちゃんと人に会った。
今までは「会えば昔に戻る」ような遊ぶだけの会い方が多かったものの、みんな社会人になって5年前後。
真面目な話もするようになってきた。
今後について悩んでいるのでちょうど良かったように思うものの、聞けば聞くほどみんな悩みは違って、話すことの意味を考えてしまう。
みんなファッションの道を志し同じ学校を卒業した者たちだ。
しかし、人間関係が悪くすぐに別の職種についてしまったり、勤務環境が悪すぎたり、そもそも定職が向かなかったり。
わたしとは環境が違うので、悩みが違うのも当然だ。
それはそう。
アパレルの環境の悪さは本当にムカつく。
勤務形態、給料、体質なんかは当然だし、
そんな環境で服を作るのはとても悪質だ。
トレーサビリティなんていうけど、素材のことはわかってもそれ以降はモヤがかかっていたりする。
不誠実な服を作って、なにも知らない人に着せる。
消費者は、あまりまえだけどそれ以外の側面を持っていて、誰かの家族だったり、何かの仕事に就いていたり、研究をしていたり、する。
自分が着ている服について、その奥にいる生産者たちのことは考えてないかもしれないけど、もしかしたら、家族や職場について、環境改善を祈っているかもしれない。
(さまざまな不満はSNSなどで実際目にする)
そんな人たちを消費者にすることで悪の片棒を担がせるのもかなしい気持ちになる。
わたしたちがつらい。
服がかなしい。
消費者に申し訳ない。
絶望の谷に落ちたあとは、谷底で生きるか上るかしかない。
上りたい気持ちはあるけど、今は足場も見つけられない。
ただ、罪だと思うばかり。