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何もしないのも立派な仕事

人は死ぬもんだ。

友人も死ぬ。恋人なんか大恋愛して結婚して幸せに暮らせば暮らすほど別れが悲しくなる。

どうせ死が人を分かつなら最初から出会わなければいい。


東日本大震災で会津に避難した。

リセットしたかった自分は「どうやら安全そうだ」となってからも戻らなかった。


最初の1か月は親戚の家のすぐ近くに空き家があってそれを借りた。

見渡す限り山と厳しい流れの清流、そして雪。

精神的には相当参っていた。睡眠薬を飲まなければ一睡もできない状態だったし。震災でそうなったのではなく、その前から酷い有様だった。

震災で人を拒絶するきっかけが掴めたからむしろその山奥暮らしはありがたかった。

だが暇である。

まず携帯は圏外。自動販売機がある場所まで車で15分ほど軽自動車同士でもすれ違いができない狭峻な道を走らないといけない。

震災があった年は大雪で1m60cmほど積もっていただろうか?

除雪機でふっ飛ばすともちろん家が埋まるような高さになる。

笑ってしまうほど雪まみれでむしろ暖かかった。冬は風があったり晴れの日は冷える。

風がなく曇った山奥の集落で雪に囲まれた生活は自分の地域より快適だったものだ。


だがそれだけ。

やはりやることはない。美しい自然もあまりにデカすぎてどうしようもない。朝晩川沿いを散歩したりするも、その集落が道の果て。

それどころかあまりに張り切って散歩するとむしろ命に関わるので15分も歩いて家に入る。

猫3匹を連れていたので猫に餌をやって水をやってトイレを掃除しても10分もかかるものではない。

自分の飼ってきた歴代の猫達はあまりに狩りがうまい武闘派ばかりなので、猫じゃらしは

「それおもちゃやろ?(ΦωΦ)」

とあまり遊んでくれない。たまに心を掴むグッズはバカみたいに長い紐とか人間がぐったりするようなモノ。動かし方も生きているように操らねばすぐ猫にバカにされる。

結局TVを見てコタツでゴロゴロするしかなくなる。

どれくらい借りるかわからなかったのでほぼ茶の間と台所、そしてトイレしか使わなかった。

お風呂も使わなかった。

広い家だが持ち主の荷物などはそのままなので勝手気ままにはいかなかったのだ。


朝御飯は親戚が家まで来て呼んでくれた。自分は朝食を食べない人なのだが食べないと怒られる。

会津の人は朝をしっかり食べる。

ご馳走になってお茶を淹れてもらってしばらくぼーっとしていると親戚のおじいちゃんとばあちゃんといることになる。

TVでは原発を「大丈夫だ!」と連呼する人達ばかりだった。

何がダメで何がどうじゃなくてひたすらレントゲン何発分とかNY往復何回分みたいな話で避難なんかいらんのじゃと言っていた気がする。


ドラマも普段見ないのでいきなり途中を見てもどうしようもない。

お年寄りに付き合ってもらうしか慰みがなかった。


わたし「もう何もやることなくて暇です」

ばあちゃん「そうかー」

わたし「仕事だってやらなきゃいけないけどこの事故じゃどうなるかわからないし」

ばあちゃん「そうかー」


  ∧_∧
 ( ´・ω・)
 //\ ̄ ̄旦\
// ※ \___\
\\  ※  ※  ※ ヽ
  \ヽ-___–___ヽ


わたし「生きてる価値とかわからなくなりますねー」


投げやりではなかったけどどうしたらいいのかわからなかった。

見えないモノなのに身体に悪いと言う。

でも「安全だ!逃げるのはアホ」とか「もう終わり!福島の人はみんな終わり!こっちくんな!」って福島県じゃない人が外野で石投げ合っていて何がどうだかわからない。

でもその投げ合っている石は真ん中にいる福島県民に当たるんですけど、それを心配してくれる人は皆無でした。


だからボソっと言ったけど本当に心の底から出た言葉。本当に朝目が覚めるから生きてるみたいなそれくらい空虚な常態だった。


その時のばあちゃんの一言が

「何もしないのも立派な役目」

だったのです。

「年寄りもこうやってコタツ当たってるだけでも留守番したり電話出たりはできっぺよ?意味が無いことなんてひとっつもないがんない」


その後、空き家の家主が

「出て行ってくれ」と唐突に伝えてきた。

どうやら避難者を入れるとお金が出たらしく、一定期間いればそのお金がもらえる。

そして別な人に家を貸せばまたお金がもらえたのだそうです(その自治体だけでしょうか、でもわかりません)

それで次の人いれるから追い出される形になったようで。

まあ文句は言いませんでした。むしろモノを動かす訳にもいかない不自由さがありましたから。


でも実家には戻りませんでした。

その山奥よりもさらに奥へと引っ越すことにしました。

その山奥も携帯圏外で電気と水道だけで風呂もない冷蔵庫もないところでした。

ですがギターと簡単な録音できる環境を整え毎日曲を作り続けました。

金にならないけど「意味は絶対ある!」と信じて。

その後大きい不幸に襲われましたが猫と音楽がずっと寄り添ってくれています。

その救いのきっかけがばあちゃんの一言でした。

そのばあちゃんも今年の4月に94歳でなくなりました。

もしわたしが若い人が道を見失って困っている時に立ち会ったら

「何もしないのも立派な役目だぞ」

と言ってあげたいと思っています。










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だʅ(´⊙౪⊙`)ʃま
投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。