旅に生きる20190226~愛が固めるインフラ整備『あゝ哀しみ上野駅』~
ここ赤帽※皆さまからの投げ銭を旅費に旅をする記事です。有料ですが全部読めます。
前の記事はこちら
上野。東北の人間にとってとても重い場所。
福島県はそうでもなかったが、青森なんかには『出稼ぎ』が主産業だったほど苦しい自治体もあった。
もちろん山谷にも来ただろうが、その日暮らしで地べたに這いつくばり転がり落ちていく悲しさではなかっただろうと思う。
米も畑も金になるほど実らない。名産物がある地域は救いだが、海もなく山からの恵みもいただけない寒村では家族と離れ住み込みで、ドヤで、工事現場から短期の厳しい工場の勤務、最初から出稼ぎ人使用前提の重労働などで銭を稼ぐしかなかった。
汚れてくしゃくしゃになった札束を分厚く詰め込んだ茶封筒。そのおかげで学校に通えた子供がいた。
家族のために家を離れる男達が降りたつ悲しい駅。むせかえるような汗と埃。
そしてその男達が育て上げた子供は出稼ぎではなく、今度は故郷を振り切って上野へ向かう夜行列車に揺られ揺られてたどり着いた。
上野駅の地下鉄駅から入る。新しくなってしまい昔の面影が消えかかっている上野駅だか少なくても自分が初めて東京に旅行へ来た時から変わっていない部分はわずかながらにある。
床はけっこう昔のままの部分がある。
上野駅と言えばこれ。猪熊弦一郎作の壁画『自由』。1951年から展示されている壁画である。
ただご覧のとおり、新しくなった駅で存在感が薄くなってしまった。
修学旅行でこれを目にしても果たしてデジカメやスマホで撮影する生徒がどれくらいいるのかはわからない。海外の人も特別見ていない。
この中央駅、自分より年上の方だと改札の上に行き先と列車名、時間や編成を書きこんだプラスチックかアクリルの板がずらりとぶら下がっていたのを思い出すのではないだろうか?
あとは改札の横にその季節季節の東北のお祭りにちなんだ展示物が並べられたり、通勤客よりも長距離利用の人を強く意識した駅だったと思う。
あと今はアトレになっているけれどコンコースの上は小さい食堂が並んでいたはずなんですよね。写真も記録もちと出てこないんですが・・・。
そしてその大コンコースから左にハードロックカフェ(1回も入ったことねーぜ。メタルカフェじゃないからなHAHAHA(´∀`))。、ここに名残があるんです。写真右奥キオスクのさらに奥なんですが・・・・
ここに赤帽があったんですよね。
ちなみにこのあたりの古い昭和の写真は有料か権利がはっきりしない画像しかないので過去画像はありません。というかそれらの写真にも「これ!」ってのがあまり残ってない。
正面玄関口。かつては地上と繋がっていた2階への通路という回廊みたいなんは・・・・
絶賛取り壊し中でした。これは完全に推測で根拠も何もないんですが、明治から大正期に偉い人(皇室・政治家・軍上層部)は直接2階に車で乗り付けられることがあったのではないか・・・・と思っているんですが完全に妄想です。
で、ここで一つ。
上野駅って基本2階に電車が来るんですよ(JR以外と新幹線のぞく)
で、電車降りたらみなさん降りた場所によりますけどだいたい階段を降りていると思います。
階段を登るとパンダ橋、上野公園口。
地上にあるホームは優等列車、貨物ですが削減されております(新幹線へのアクセス通路に転用されているとこ)
広くはないけどなんか上野駅が惑わせる構造なのは『地形』なんです。
掘って広げたとかじゃなくて高架で広げていったのも地形。
ここにおったんけ!という看板(´ω`)
地下鉄の入口。ここは昔から変化がないので下手すると闇市時代の人も「あー!」ってなるかもしれませんね。
そういえば昔はここにまさしく地べたに寝て転がっている人がたくさんおりました。
もちろん臭いし汚い。ただそれは『どうしてそうなったのかという物語』の器なのですよ。
単純にホームレスを過剰に攻めるのも過剰に擁護するのもそういう視点がないような気がします。
「ああ!かわいそう」って上から目線だなと思うんです。
もちろん本人が話したくないなら聞かんし、興味持って掘り返してもいかんと思う。
彼らも人間だ。通勤で遊びで通り過ぎる横で虚ろな目でぼんやりと煙草を吹かす理由、それは
「俺だって会社で苦労して今の地位があるんだ!」ってあなたも自分の『物語』をお持ちでしょう?ってのと何も変わらない。
今はこの通路からは排除されているが、解決したから消えたわけでもない。
その物語はどこか見えないところへ隔離されたのか役割を終えてページを閉じただけ。
その移動が無事で幸があることを祈るだけです。
ただそういうのが日常に混ざると露骨に嫌な顔をするんだな、みなさん。
もちろん敷地内に住みつかれたりしたら犯罪ですけど、己の見える範囲にあると『嫌がる』のね。
で、問題解決ではなくとりあえず『問題の移動・隠匿・すり替え』で視界から消え去るとまた無関心に戻る。
自分が香水ぷんぷんさせながら人の体臭に鼻をつまんで、色々な処理に関わる現場の仕事を見下しながらそういう人がいないと成り立たない綺麗なトイレを求めたりするわけだ。
今は煙草の吸殻もないし綺麗だ。
道に転がる人もゴミもなくなった。心地は良い。自分も今のほうが好きだ。
でもなんとなく最近の
「完全に異端で少数派な人間が生きにくさを大声で主張してあきらかにオーバーすぎる権利を要求する」のが気に食わない。
「受動喫煙!ヽ(`Д´#)ノ ムキー!!」
で分煙はわかりますが、町全体から喫煙所そのものを無くし、あげく喫煙OKを謳っている喫茶店や飲食店にも「吸わせるな!」とかなんなんだって。
自分の不快に思うことは不寛容、1mmも違いを許さず
「個人の自由!プライバシー!」と意見は聞き入れない。
上野駅という交通の要こそ『寛容』の塊だというのにだ。
ご覧あれ。
駅のすぐ横は短いながら結構な勾配の坂道だ。上野と言えば「上野のお山」って言うでしょ?
それは上野は本当に『上野山』っていう標高20mの山だから。
上野台地の一番端っこ、人口も少ない寂れた地域、低湿地の広がるところ。
隅田川との間には待乳山があるが他は湿地。隅田川が氾濫すると基本上野まで水が来るので作られたのが最初吉原で歩いた『日本堤』なわけです。
で、山谷もそうですが、谷が付く地名はだいた水に沈んでいたところ。三河島みたいな『島』は浅草待乳山から見て見えた島のように浮き上がった地域。水害の時は多少逃れることができたかもしれない。柴又も『島股』が訛ったものだったりするぞ(`・ω・´)
あと『戸』が付く地名も多いんだけどこれは船着き場のあった場所。今戸・亀戸とかありますね。
で、まあまあこの上野の山から下ってきたのが『上野山下』で、まさしく上野駅のあたり。
このへんは岡場所があったところです。『岡』なので公娼ではないわけですが、蹴転(けころ)という女性が春を売っていたわけです。
岡場所、そして屋台や見世物が並んだ広小路。戦後は闇市。
さらに言うと江戸の三大貧民街の1つであり、乞食、非人(よくごちゃ混ぜにされるけど非人は一応人別帳に乗ってたんで身分外ではあるけど無籍ではないのよ)さらにこっちは無戸籍であるサンカも転がり込む町だったわけ。
でも上野寛永寺がある。将軍家墓所であり鬼門封じの要です。
宗教的に重要なところで岡場所(門前町と売春は切っても切れない縁ですがそれは今回の地形インフラと絡まないので割愛)はあるし、被差別民はいるし、繁華街だし、陰間茶屋から脈々と受け継がれる男娼、そしてゲイの町。
さらにコリアンタウン的な地域もある。
『聖』であり『性』であったと。こんな心の広い街はそうそうありませんでしょう?
そして東北からの出稼ぎ人や上京してきて乗り換えにウロウロする若者も飲み込み、今は世界中からバックパッカーが訪れる。
現代人の心の狭さ、ねじ曲がって不寛容で自分の気に入った者にだけ向けられる愛は上野で治る!・・・・とは言いませんけど、ちっと上野公園で浄化したらいいと思うよ(`・ω・´)
山側から。公園口はもう数m上。
それではとりあえずその上野山登頂しますか。旅に生きる初の登山です。
はぁはぁ・・・・険しい道のりだ・・・・
はい山頂。
ここが上野山最高地点。よく擂鉢山、って呼ぶ人もおるけど。ここはベンチ代わりの石があるだけで人が少なく日陰で涼しい。
朝から日本堤~山谷~吉原と歩き通しだったのを始めてここで休憩。
お茶を飲む。ぬるい(;´Д`)
で、これがそのみんな座る石なんですけど歴史的にアレだったりしませんか?わかりませんけど・・・
とりあえず5分ほど休みましたが足が限界。
とりあえずさっさと撮影とか終わらせたいと歩いていくとおや?
『上野大仏』ここは顔しかないのは有名だから説明はしません(´・ω・`)
タイやビルマで見る色の袈裟を着用したお坊さんがいました。どこかはわかりませんがまあ上座部仏教なのは間違いないんできっとうすらぼんやりアジアでおなしゃす。
友好なのか、それとも研修なのかもわかりません。
絵馬に興味津々。
同じ仏教だってのもあるんでしょうが、違った文化に宗教が絡んでいる場合の態度ってその人の器出ますよね。
もちろんその相手がそもそも『やべーヤツや不寛容な場合もあるのですけれど。
自由でグローバルってのは『ボーダレス』としばしば混同されがち、いや混同させて利用された気がします。
グローカリゼーションは理想論なんでしょう。それに日本だと『グローバルな動きを日本というローカルでやって成功しインフラ化に成功したら価格を上げたり他者を締め出す』みたいな手法を使うのでそもそもこの理想から遠い。
例えばアイドルグループを作りましょう。
たくさん作ってありとあらゆるドサ廻りやギリギリな行為で営業するわけです。
何年か粘れば運よくヒットするかもしれません。
ヒットしたらまず知名度を上げます。好感度や目新しさのためにTVに出まくります。実力とかそういうのはどうでもいいんです。
そしてファンを獲得したら一般人は最初から度外視して商売を絞めあげていくわけです。
「同じCDだけどお店で買うとジャケットが違うよ」
「ブロマイドがランダムに入っていて全部コンプリートするとさらに特別プレゼントがあるよ」
「握手できるチケットが入っているよ」
「どのメンバーが好きか投票できる権利が入っているよ」
中身なんざどうでも良いんです。
最初は一般人へも向けているからそこそこ力を入れた曲。
でも締め上げ状態になったら手を抜いて大量生産でいい。
ファンはつぎ込める全てを使ってモノを買い漁り握手を求めるから。
売れなくなった、キャリア的に『アガリ』で卒業したメンバーの行く末はどうでもいいんです。
恋愛禁止で一発クビになった子は売れてなかったから。
恋愛するわファンと直でこそこそやってても売れてればスルーです。
犯罪に加担しててやべーやつは責任者は絶対に出てこないし謝罪すらしない。
でもナチス!みたいに騒ぐ世界的人権当たり屋には速攻で謝罪します。
それでも女の子を愛してくれるファンはお金も時間も使う。人生が擦り減る。
そしていよいよファンですら金も尽きてしまったら・・・・
どーでもいいんです!
だって女の子は結婚とかキャバになるとか脱ぐとか生き残れないのが悪い自己責任だし、
金が儲かったら破壊した音楽市場もアイドル産業もどうだっていい。
枯れた草木すら残らぬ死の大地を立ち去りあとは貯めた金で適当に生きればいい。
今はアニメがそれで終わりかけで声優の実力より見た目のドル売り、しかし稼ぎ場のソシャゲは終了中であと数年で自らの重みで首を吊るハメになるかもしれません。
正直実力がある人、トークスキルがある人、歌などが本業でも通用する人以外は声優はほぼ『趣味』の世界に入るかもしれない。
『ファンの心のインフラ』にして食いつくす行為、
こういうのをやらせないために実は『棲み分け』ってのは大切だと思うのです。
高級な街があれば若干貧乏な街もあり、治安の悪いところもある。それらが交差する場所や日は騒ぎを起こさない・・・・
そういう『陰と陽』『ハレとケ』『白でもない黒でもない』日本人的なありかたを取っ払ったのが今の都会のインフラなのでは?
それは建造物や社会的下部構造に限ったことではなく、その街に住む人の心も。
児童相談所ができると困る人がいる。買い物ができなくなって子供を学校に通わせられなくなって治安が悪化すると言う。
児童相談所は虐待貧困犯罪などから保護した子供が普通の生活をするために必要な場所です。児童相談所に悪いガキが集まるわけでもないし、刑務所でもないしスラム街になるわけでもない。
だがクソみたいに安っぽいプライドなんでしょうよ
「ここは金持ちの住む町だ!」
綺麗なイルミネーション、整えられた歩道、美しい家やビルは嘘はつきません。
だがその綺麗な街並みに住む人間が綺麗とは限らんのですな。
金持ちの街に住んでるのだから金があるのは当然であって、でもその人の人柄ではなく持ってる金に群がっている人間付き合いで醜く臭い息を吐くのは綺麗ではありません。
でもそいつらは質問されれば
「子供を救おう」とか「困っている人を助けよう」と答えるはず。
でも家の前で炊出しされたり、実際に困っている人に手を差し伸べることはない。
むしろ寄付という「お金払ったから気持ちすっきり、でも自分は手を下さない善行為」なんかが精一杯なんだろう。
やれとは言いませんけど、「見えない=解決or問題は存在しない」という考えは心貧しいよ。
だけど株とかそういうのが大切だからローカライズな意見には反対するし、むしろおかしな規制緩和を求める。そして自分達の既得権益を守る規制には絶対断固死守を貫く。
アニメも儲かる!ってなったから乱発した。
アニメーターは安くこき使うも、それすらも超えるさらなるコストダウンを持続するため海外へ発注。
昔は1年続くような作品が多かったのに12話基準になりアニメ好きでも追いかけられないほどの数が一つのシーズンに放映される。
質は下がり続けグッズも売れずDVDも売れない。
イベントも感謝祭的な意味合いではなく「放映する宣伝」と変化し、
さらに会場を借りるのではなくニコニコ生放送など低コストな方向へ。
声優にユニットを組ませてCDを出し、アニメではなくスマホのソシャゲに主戦場が移る。
ところがついにその主戦場も粗悪ゲーム乱発の赤字続きで少ないファンの課金で搾り上げる体質になる。
もうそうやってどんどん市場を枯らしていく、自らの足を喰らうタコ以下の行為で死んでいく。
どこに軸があるか?
軸があるからこそ距離感がわかり発言も定まる。
人を傷つけるような発言でも「傷つける範囲」が定まる。
爆撃だってやみくもに爆弾投下するわけではない。日時、出撃数、弾薬数、投下範囲、投下する爆弾の種類を決めるから効果がある。
ところが軸の定まっていない人間の発言や行為はしばしば「テロ」のように無差別で無秩序になる。
夫婦別姓や戸籍を入れない事実婚・・・・
そういうのを唱えるのはいいけど唱えてて声がでかい人がみんな軸定まってなくていつもブーメランなのはたぶんそういう
「ボーダレス・グローバル」だけで軸、ひょっとしたら国籍すらないかもしれないから。
どうだろう?
世界中そういう『多重国籍者』はいてやはり一部
「国籍はこのままで権利をよこせ!」って言う人がいるらしい。
でもさ、母国語の喋れない母国へ帰るか、帰化するしかないんと思う。
彼らは『ロマ』を例えに出したりして主張するんだが、
そもそも流浪する民は『流浪するしかない理由』がある。
犯罪者だったり、移動することによって金を稼いだり。
で、社会生活に法に沿って合流しているのに差別されるなら声をあげるべきだけど、まずどの法も守ってない状態では誰も話聞いてくれない。
わたしも福島県民だから福島の話をみなさんにお届けできる。
他所にいったらお邪魔させていただく旅人。
もし住み着くなら住民票を移し納税しなきゃ話にならんよね。
でここまでどうつながるの?って思うでしょ?自分でも一瞬思った((;´Д`)
でもつながるんですね。
日本堤は堤防の強化・管理に郭へ通う男の足を利用した。
手段も凄いけど江戸幕府はひたすら
『関東平野を暴れる川』と戦っていて、家康入府から家綱の時代まで大がかりな普請を続けて江戸を広げ、関東平野を乾燥化し食料生産と治水を安定させた。
今や世界中から人が訪れる上野・浅草の観光地の基礎は江戸時代、
そして今もみんなが歩いている交差点やちょっとした勾配、上野恩賜公園以外は大変だったわけです。
台地は水はけが良いので耕作に向いています。ところがポンプもない昔、水をくみ上げるのは大変でした。
足で水車をぐるぐる回すのはポンプとも言えなくもありませんが、あれはあくまで水流がそれなりで勾配もそこそこな所だけです。
強烈な勾配を登らせるほどのパワーはありません。
江戸は洪水溢れる低地、そして谷と台地の急こう配でできているのです。
農業的には武蔵野、吉祥寺あたりがちょうど東京から日帰りで行ける距離。
それの中間地点が新宿。だから肥溜めと野菜を運ぶ荷車と茶屋と岡場所から始まるわけです。水運が使えないから。
で、こちら側、東京の台東区近辺は水害対策を施し水運を盛んにしたわけです。河川は大河の水流を分けると同時に運河の細分化で荷物運搬を高速化しました。『戸』がつく地名が多いと繋がりましたね(*´ω`)
山の手と対の下町という言葉。市街地中の海や川に近い低地の部分のことです。
高台に住むお偉いさんは水害には合わないが水がない。これは本所などもそうですけど。
下町は水がある。なので水売りは基本、井戸掘っても塩水しか出ない地域か不便な所で商売をする。盗賊が水売りに化けて旗本、役人宅の前を回る描写があるのは根拠があるんです。
水害から愛で守った堤防、そしてその愛を受け止めていた郭、
戦後もモダンな文化の発祥地になり(上野が初ってすんごいいっぱいあるけど次で取り上げます)
さらに同性愛まで受け止めちゃって上野の懐はデカいのだ(`・ω・´)
ちゃんと棲み分けができていた人々が混ざり合う雑多さと熱がこもった土地なんだと思う。
それに上京してきた田舎の小僧は浮かされて一攫千金を夢見たんじゃないかな。
ここに実は1人眠って動かないホームレスの方がいたので写らないようにズラして撮影したんだ。
安心したんだよ。
おかしいけど
「ちゃんと見えるところにいてくれたほうが安否確認できる」から。
河川敷のブルーシートで死んだらわかんないでしょ?
どういった経緯か、そしてどうしてほしいのかは人それぞれ、
保護を求めず町で横たわる理由が必ずある。
それなら端っこで眠るくらいいいじゃないか。
みんなみんな生きててくれよって思うよ、本当は。
それ言っちゃうと足救われるくらいこの世は厳しいんだけどさ。
次へ続きます
ここから先は
¥ 100
投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。