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旅に生きる2019/09/11 ~地名から読み取る~ 4.5 肥料何キロ作る?
※皆さまからの投げ銭で旅をする記事です。真面目だったり妄想だったり入り混じるのでとっちらかりますが平常運転なので安心⊂(^ω^)⊃
花巻市は面白い。奥羽山脈から北上盆地へ大きく下がる。
高低差は大きいが傾斜は緩やかである。
『北上盆地』は非常に細長く奥羽山脈と北上高地に挟まれて、岩手県の経済活動の大部分が営まれている。
米・畜産・物流・住居・・・・
花巻市は逃げ場がない。ところが自然災害に関しては強みもある。活断層も存在するがさほど活発ではなく安定している。
水害の歴史はあれど昨今はさほどでもない。むしろ田んぼや畑への用水のほうが大変だったと想像する。
国道などにはあまり見られないが県道や市街地の細い道にはこのようなうねりがよくある。
通常なら地形を馴らしてしまってもいいのだろう。削る量もさほどでもない。が、岩手県はあまり地形に手を加えることをしていない・・・・これも想像だ。
そして想像の想像にさらに重ねて想像すると、開墾してしまえば『使える土地』だったのだと思う。
切り開きさえすればそのまま田畑を作れるほど条件がいいのだと思う。ぬかるみもなくでも乾いているわけでもない。
田畑まで苦労しなくてもすぐ歩ける道を作れる。
冷害に苦しみがちの東北の稲作で岩手県は金銭的に苦しいけれどもなんとか食べる分は確保できていて、それに対してとてもコスパが良かったと思われる。
ちなみにこのあたりは臭い(´_ゝ`)
『O田油脂産業』という工場があってそこが盛大に臭いを出しているそうだ。
この会社名で検索すると「臭い」と候補が上がる。
何か所かある工場で何度もクレームと行政に勧告を受けるほどに臭いを発生させているようだ。
だが勧告を受けても受けても臭いは止まらないし、記事で確認しただけだが不法投棄もしているらしい。
辺りの空気は本当に臭くてなぜこれがまかり通っているのかは疑問に感じた。ただ地元民ではないので企業がどのような説明をしているのか、住民がどう考えているのかまったくわからないのでただただ『臭い』という事実だけをここでは書かせていただく。
さて田んぼに囲まれた奥羽街道の『中野一里塚』へ。
せっかく田畑に囲まれているのだし、地名から脱線して『宮沢賢治の肥料』について考えてみたい。
③のタイトルはみやけんの『それでは計算いたしませう』をヒネったものだ。
みやけんは農民から相談を無料で受けつけた。
農業指導と肥料の配合、これを農民の土地の植生と地質にいちいち合わせて肥料を設計してやった。
それを無料なのだからこれは素晴らしいことだ。
もちろん『綺麗なみやけん』サイドからは
「その肥料で収穫は増えた」とワッショイであるワッショイヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワッショイ
この活動に対し当時も褒めたたえる人はいた佐藤文郷だ。
八戸分場(たぶん今でいう農業試験場だと思う)を務めたそうで、盛岡高農卒で三本木畜産学校教諭も勤めていた人物。
だがその『肥料』の評価については意見が分かれる。
「みやけんの指導と肥料を使った農家は増収であった」と言う人と
「素晴らしいけど農業に貢献したとは言えない」
「肥料の計算を間違えることがあった」
これは実に興味深い。
みやけんの『奉仕』は素晴らしいが肝心の肥料は「うーん(;´Д`)」と言う評価を専門家が下している。
これで
「ほらみろ!」と指を指すとちょっと拙速だ。
みやけんの肥料の計算が正しいかどうかは専門家ではないのでわからないが(現在の水準から劣るのは当たり前として)
残っている計算表などからは真面目にやっている印象を受ける。
まず当時米価は下がっていた。さらに東北の戦前~戦後までは冷害と凶作との戦いの連続で、ちょうど娘を売ったり子供が飢えたりしていたそんな時代だ。娘の身売りは自治体が『公設身売り相談所』を設置していたくらいだ。
わたしと同じような考えの人は世の中いるもんでブログでこの肥料の検証を実際に計算している方がいらっしゃったので引用したい。
当時使われていた肥料は1反あたりだいたい4.5円、
それをみやけんが設計した肥料に換えると7円に跳ね上がる。
昭和3年は1反あたり5俵(301Kg)だったそうで
当時の米価11円。
これをみやけんが実際に計算した3町3反歩で計算してみると
5俵×33反=165俵
売却額1815-肥料代148.5=1666.5円
もちろんここから種籾か苗かわからんが当時の陸羽一三二号種とか購入したり、農具・用水の共有費などが出る。
これをみやけんの肥料を使うと2割増収したと仮定した場合
5俵×33反=165+33=198俵
売却額2178-肥料代231=1947円
1947-1666.5=280.5円儲けが増える!
だが忘れてはいけないのはこの『3町3反歩』という広さ。
これは相当裕福な農家だと思われる。
つまり地主であって間違いなくさらに『小作農家』へ土地を貸し与えそれからも小作料を取っていたはずだ。
つまりこの計算表は『みやけんに肥料の相談に来た大多数ではない』可能性のほうが高い。
もしくは『自分の土地全部に使う&使わせるために相談に来た』のかもしれない。
小作人に「この肥料を使え」と言っても実はこれがまた難問で
小作人は『肥料などのかかる費用は自分持ち』である。
土地代と収穫売り上げからがっつり引かれてやっと手元に金が残るのに
『2.5円も高い肥料代』が出せるか?
娘身売りして大根齧ってる貧農が出せるか?
つまり贅沢な材料を使った肥料を使えなかった農家には
『効果のある肥料』は提供できなかったから
『無料で相談にのった奉仕の心』と『肥料の効き目』は比例しない。
バカ正直に貧乏水飲み百姓にもこの高い肥料を計算したのか、彼らが買える最低限度で計算したのか・・・・
どのみち金が注ぎこめないなら『従来の肥料と大差ない』モノになるのは明白。
もしかのお話で。
もし無料相談ではなく、ある程度実家の資金をつぎ込んで
『大豆粕などに燐を混ぜ合わせた金肥を作って安く配布したら』
売る時は赤字でも収穫時に持ってくるお礼や口コミでヒット商品を生みだせたのかもしれない。
だがあくまで『寄り添う』ことに重きを置いたみやけんにはできなかったろう。
だがそんな彼の農業活動は「金持ちの道楽」と非難もされた。
そして苦しい生活を支えたのは結局実家の援助である。
歴史に残る偉人とて万能ではないし、むしろ不器用で下手くそだからこそ暖かい作品が生み出せたのかもしれない。
つまりみやけんは『プロの知識と資格』を持ちながらも『アマチュアの道楽』でしか寄り添えなかったのだ。少々手厳しいが。
最初から『農業指導』と『肥料配合の相談』に限定し、自らはさほど農作業に従事しないほうが実績は残せたのかもしれない。
・・・・まあそれができなかったから『宮沢賢治』であるともいえる。
だからこれは『みやけんサゲ』ではないのだな。
ちゃんと見つめたただの正論。
だがこういうのを楽しむか、ムキになってあくまで神のように崇めるか、それとも即座に影響されて
「違った!真実はこうだ!うはははは」って騒いで白い目で見られるか。
むしろ真理がわかるからこそ作品の光は増すとわたしは考えているのだけれど。
だってきっちり農業や地質分野で実績残してたらみやけんの作家としての輝きは鈍ったのかもしれないのだから。
⑤に続きます
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