2018/01/04~なじょな願いもききなさらなかった山の神様~
※有料ですが全部読めます。
皆さまからの投げ銭を旅費にして旅にする企画です。
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なんと贅沢なことでしょう。高速道路なんて立派なモンを使ってしまいます(^p^)
空いていましたが、極端に遅い車と、中途半端(150Kmくらい)な速度で飛ばすミニバンでいかにもお正月な流れ。
というか久しぶりですよ、正月に高速。
どかーん('ω')
一気に移動完了。旅に生きている気がしないですね。
ここは福島県と新潟県の県境の町、そして我が記事を読んでいる人にはおなじみ『因縁』の西会津町でございます。
初詣はこちらにある『大山祇神社』に決めました。
会津ってみなさんどう思いますか?(唐突)
まず漢字からして「何?会って津って?」みたいな。
『大毘古命と建沼河別命の親子が、この地で合流したことに由来する』ってなってますが本当なんでしょうか。
そもそも昔から『相津』だったそうで。
津というからには水運か?と思いきや水運的にはお隣の津川までが盛んで、この西会津にある『銚子の口』ってところが難所となり陸路へ切り替えていたわけです。
猪苗代湖の水運も会津藩の米回送のためですし。
川がたくさん流れ込む『相の津』だという説もだいたい5つくらいだからそんなどうなん?って疑問(;´・ω・)
さてでは車を降りて奥に進みます。
こっち行っても無駄なんですけど行ってみます。ネタのためね。
つるつるです
しかも普通にNIKEで来ちゃったつーね(;´Д`)
ってかわたし毎年長靴買ってるんです。でも母親が捨てるんです。
服とかもそう。なんか買ってに捨てられるんです。
汚くなったとかそういうんじゃなくて新品とかをいきなり捨てられる。
「無くしたの人のせいにすんな!」みたいに逆ギレされるんですが
ゴミ袋や庭のガラクタ入れからモノが出てくることがしょっちゅう。
もう今年は長靴買うの辞めたんです。
郵便物とか荷物も開封もせずかってに資源ごみの山に積んでみたりするくせに、線維筋痛症で障害年金の通知が来たときは本人よりも先に開封し、わたしに中身を見せないという素晴らしい態度を見せる人です。
綺麗でせう?
ここは大久保って地区名になるんですが西会津の水道はここから汲んでいるんです。
昔ながらの家が多いから井戸もあるんでしょうけど、水が美味しい。
ただ消毒はしてあるんですけどそれでも美味しい。
ただ未消毒を求め、ここに汲みに来る人もいます。足跡がいくつか水際へ続いているんです。
で、引き返して神社前。
正確に言うと遥拝殿。さっきの水の流れをもっと上流へ4Km登山すると本殿へ行けるのですが、雪かきがなされていないので、初詣のこの期間は強制的にこっちになります。
只見や桧枝岐と違って、西会津は今年は雪が少ない。それでも狛犬は雪の帽子を被っている。
もう寒そうです。でも田村市より寒くない。風がないんです。
ひんやりしているけど着こんでいれば平気。
田村市は風が強く冷たいので気温より冷え込むので会津の人ですら「寒い寒い」と縮こまります。
御手水なんか使う人おらんがな(´・ω・`)自爆行為だわ
こういう石造のモノって戦前、戦後すぐのモノのほうがしっかりしてるし、デカい定期。
そういえば伊勢神宮で常夜灯に登ったアホがいるそうですね。
バチをあてるかどうかは神様じゃないんでわかりませんが、灯篭は倒れますからね。それで怪我したり死んだら人は「バチ」と呼ぶでしょう。
銅拭きの鳥居。シンプルな『神明鳥居』ってやつですね。貫に角材を使うと『靖国鳥居』なんて呼ばれます。いわゆる護国神社の形式です。
でもこういうのなんか調べりゃすぐわかるんだから取り扱ったってしゃーないんです。
こまけぇこたぁいいんだよ('ω')ノ
参拝を済ませます。
二礼二拍手一礼で何を願うかというといつも「お邪魔しまーす」くらい。
わたしは西洋は知らんけど日本の神話は
『自然現象や疫病などを当時の水準で科学的に把握したモノ』だと受け止めているの。
コノハナサクヤヒメやイワナガヒメのように「特徴を表しているもの」神もあれば
雷神(タケミカズチ他)のように
「カミナリっつー自然現象は目の前で起きててわかってるんだけど、原因がわからんし、どうやって防いだらいいのか不明」
なので神を祀り畏れ敬うことで『科学』してたと。
ぐぐーっと時代が進んでそれが『言霊』になり『詩を詠む』ことがこんどは科学になった。
よい和歌を詠めば霊が慰められ、神は鎮まる=『政治』だったわけで。
で、このオオヤマツミはわたしの『インフラへのあこがれ』の象徴であるわけで、別に何かもたらすわけではないと思うのだ。
山は恵みを与えようとしてくれるわけでもないし、殺そうと思って土砂崩れたりするわけでなし。ただそこにあり地震や噴火する。
その仕組みがわからんかったので山の神を祀ったわけで。
だが、それでもご利益を求めるのは人の常でここもお札やお守りがなかなかのものだ。
で、何年かぶりに買ってみた。根付がついてるからいいか、と思って。
だ、大吉・・・・?
人生で10回も引いたことのないおみくじでたぶん3回目の大吉。
だが待ってほしい。素晴らしい美辞麗句が並んでいるんだけれども
「旅行 十分でない 控えよ」
こ れ は 旅 に 生 き る で す (´;ω;`)
これじゃ生きれないじゃない!
さきほども言った通り、別に人間になんぞしようなんておもっとりゃせん神様です。それどころか登場が少ないくせに、天孫にいきなり寿命を与えるブチギレ神様です。説明くらいしてからにしてやりなよ(;´・ω・)
そんな神様なのですがこの西会津の大山祇神社は
「一生に一度の願いは3年続けてお詣りすれば、なじょな(どんな)願いも聞きなさる野沢の山の神様」
と昔から信仰されているんです。西暦778年勧請とのことで(ただし通りかかった僧侶が神託を受けて村人が勧請したってことで)
なぜこの地だったのか?
時代はぐっと下がるのですが享保の時代などに地元民が『抜け山』と呼んだ『斜面崩壊』が相次いだ難所だったことが古文書などで確認できるんですね。
て、ことは昔からです。さらに言うと今現在も。
滝沢という地区はいまもやってるのかな?大規模な地滑り防止の工事をやっているはずです。
これは町だけではなく国の支援も入っている大がかりな工事です。しかしこの地区が崩落すると住人はもちろん49号線が完全に寸断されてしまうので、山の中の田舎町であっても国税がつぎ込まれるわけです。
こういう山崩れなどが起きる場所にオオヤマツミあり。
日本海との交流で川と陸を繋ぐしかなかったこの地に置いて、
どうしても軟弱な西会津の斜面は辛かった。
ここを超えた英国の女性旅行家イザベラ・バードも
「つらかった六日間の旅行を終えて、山の静かな場所で安息の日を迎えることができるとは、 なんと楽しいことであろうか。山と峠、谷間と水田、次に森林と水田、こんどは村落と水田。 貧困、勤勉、不潔、こわれた寺、倒れている仏像、藁沓をはいた駄馬の列。長い灰色の短調な 町並み、静かにじっと見つめている群衆・・・これらが、私の思い出の中に奇妙なごったまぜと なって浮かび上がってきた。」
と書き連ねている。
自分が籠っていた近くの峠で逗留しながらまとめた文だ。
働けないなら死ぬしかないほどの貧困。椀や細工物、ぐらいしかない苦しい山間になぜ人は入り込んでいたのか。
間違いないのはそこに人がいるから神が産まれるわけです。
人が神を作る。
ただ人は神がいないと困るが神は人がいなくなっても一向に困らないということです。
おみくじは持ち帰って保管します('ω')ノ
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