病床六尺舌先三寸胸一寸4

これは『遺言』であるのでこの話題に触れないわけにはいかないでしょう。

 私は1977年生まれの氷河期世代、一番冷え込んだ後期氷河期世代であります。
 
 まず政治としてはバブル崩壊後、官僚がやり散らかした数々の失政の犠牲者であります。
 そして教育、制度などで『大きな転換期』の一個手前で切り捨てられるのがお約束でもありました。

 また小泉政権の新自由主義最大の犠牲者であります。
 あのころに成長した企業の社長などは人間としては実に特異点といいますか、かなり残忍だったりします。正論と合理性だけの塊でありながら自己犠牲は一切しないのにことごとく勝ち続ける『運』と『強さ』の塊です。ただサバイバル的な強さとはまた別ですが。

 企業が人を雇ってくれませんでした。メガバンクが合併して生き残りを図っていました。
 
 新自由主義の規制緩和がブラック企業を産みました。しかし当時、あの境遇を訴える場所はどこにもありませんでしたし、それを『自己責任』とされました。
 ちなみに今の就労支援は私たちの血みどろの犠牲が参考になっているのだそうです。
 しかし当の私たちへその就労支援が使われたことは一度もありません。

 現代になっても私たちの世代だけは手取りも既婚率も正社員率、何もかもがおかしいのです。私たちの後は回復しております。

 なにせ私たちは自己責任
 私たちの後ろは社会責任

 つまり捨てられたのです。

 戦争世代(戦場体験です。戦時体験ではありません)になりたかった。
 死んで死んで、殺して殺して、
 理不尽には暴力を、がむしゃらに命がけでやれればよかった。

 自分があの運送会社に入ったのもきっとそういう『闘争』がやりたかったのかもしれません。

 新卒の雇用採用条件に「経験者のみ」という求人票をあなた方は見た事があるのだろうか?
 無いに決まってる。それが絶対幸せだ。

 だから社会に出れず、もしくは出たにもかかわらず血まみれにされてしまった同世代へ呼びかけたいのです。

 世界は滅びる。どうせみんないつか死ぬ。
 死ぬことがなければどうして生きることができようか?
 ゆるやかに色々な事がのしかかっているだろう。親の介護や自分の高齢化、そして病気・・・・
 
 しかし僕達は誰にも愛されていない。残酷なものだ。
 『生きるに値しない命』だ。
 だからこそ、静かに抗議をしようじゃないか
 だからこそもし暴れて殺傷事件を起こしそうになったら話合おうじゃないか
 
 僕達はかつて無限の夢を見ていた。
 それは今も変わらない。
 それを知っているのは他でもない僕だ。
 僕が死なない限り君たちは永遠だ。

 会ったことも話たこともない、まったくの赤の他人であっても
 最良の氷河期世代の友人より。

投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。