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旅に生きる~撮り溜め放出編~その28~~自殺と地形⑤

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一番最後に自殺を考えている方へのメッセージがあります。

今回の神社
稲荷神社
〒963-4541 福島県田村市船引町上移橋本?
会津伊佐須美神社
〒969-6263 福島県大沼郡会津美里町宮林甲4377
正一位今泉馬場稲荷大明神
〒963-4311 福島県田村市船引町今泉堀之内

自殺について数回に分けて述べてきました。
今回はまとめとなります。

まずわたしは去年自殺をしようととある山奥の滝に向かい、
人なんか来ないはずなのになぜか某自治体(田村市ではない)の職員がずーっと後ろを歩いてきてタイミングを逃しました。

今は生きているのでこれを『よかった』とするのか?
非常に悩みます。


首を吊ったり、手首を切って臨死体験をしたわけでもないので、

「光が見えてね・・・・生まれ変わったんですよ」
みたいなのもありません。
「神様にまだ早いと止められたんでしょうね」
という妄言もないです。
とにかく苦しいから逃げたかったというだけの情けない理由ですし、
これがきっかけで福祉が動いたという皮肉もあります。

ただ毎日死んだほうがマシみたいな痛みを持ってはや9年です。
それらから導き出されたわたしの一言は

『死んでもいいじゃん』


それしかない。
インターネットの普及から時代が過ぎ、自殺配信・自殺前投稿・自殺目撃投稿などビデオカメラを構え決死の覚悟を決めなくともたくさんの死体や残酷な死にざまを記録し閲覧することができる。


なんで生きる必要あるんでしょうか?
頑張るって何?
運で決まるのに?
リセットボタンは無いけど電源ボタン押せば難しいゲームをやらなくて済むのに?



反出生主義はよく『無敵の理論』などとレッテルを貼られますが本当は
『人類が解決すべき・できなくとも最大限努力する哲学的問題』への真摯な態度を表すものだと思っています。
命を大切にすることの本当の意味を知るには反出生主義になるしかないとも思っています。


人間と獣の違いは秩序を保った社会生活を大規模で営めることです。
猫に「子供を作るな!」と言っても子孫を残す本能に忠実にします。
猫が死にそうになっても危なっかしい行動を取るのは長生きすることを考えていないからです。
これは知能が高い動物であっても人間以外と人間を隔てる大きな壁です。

怪我からの回復(これすらしない生き物も普通ですし)はしても
死を避ける、先延ばししようとする獣はおりません。


しかし子供が嫌いなどではなく
『不幸にしてしまうのではないか?』
『自分が幸せとは言えないのに子供を幸せにできるのか?』
と考えるわけです、

ベネターのおかげで『人類は滅亡するのがベスト(´へωへ`*)』みたいに言われますが、すでに生まれている命の否定はせず、
子供が欲しい人の気持ちの否定もしないのです。

『子供を作るべき!』
『子供も作れない今の若者は~』
という感情論や根性論の否定です。

子供を作っておいて虐待したり、貧困で受ける必要のない苦労をさせたり
幸不幸の差をどうやって救っていくのか?という社会問題への警鐘でもあります。



元々反出生主義のわたしがめちゃくちゃ動けない時に考えます。

そもそも幸せって何?
不幸って何?
自分が感じた苦しいって何?
なんで苦しいの?
どこから苦しみが来るの?

(´◉◞౪◟◉)よし!死ぬか!

となってもおかしないで。

反出生主義ではなくても
『幸せの基準』をテーマにしたらそれこそ地球が爆発するまで続くはずです。


昔、英雄は厳しい政治をしたはずです。
優れた治政で領民に親しまれたとしても現代基準からすれば厳しかったはず。

未発達の科学や人間が人間であるため当初から生じる不安を解消するために世界中で宗教が生まれます。


人間は残酷な失敗を愚かにも世界中で繰り返していきます。
その過程で問題を解決できたり、できなかったり。
政治や化学の発達とともに問題は複雑化し解決策は新たな問題の出発点となるようになります。


そして限界突破しそうな現代。
心と体の性別の違い+ただの性的志向+政治ノイジーマイノリティ
などが当事者たちと非当事者両方に迷惑をかけ喧嘩を売っているにも関わらず、セレブなどがそれをしばしば支持する。

動物保護のために他人の命を軽視した攻撃を加えるテロ活動に有名人が支援を与える。

ミュージシャンが解決策もなくただの理想論としても情けないコミュニズム的な発言をしたり、その界隈の人間と付き合って曲と自分達をどんどん別物としていく。

教科書で失敗した政策の例なんか習いましたよね?
「バカじゃないのwwww」っていうことがたくさんありました。
たぶん現代のバカリベラルの動き、
過剰な人権要求、感情に論拠を求めてしまう愚かさ、後先を考えない環境問題への向き合い方・・・・


たぶん間違った解決策を見せられているんですね。
もちろんこれを利用して商売にしたり、有名になろうとしたり、自分の所属する団体の延命をはかったりして人類が体験してきたどの問題よりも複雑怪奇にうごめいているので本人たちは間違っているとか、支持を得ていないなんて見えていないと思われます。

古い曲になってしまいましたが
アルバムジャケットが好きです。

先頭を走る女の子が崖に向かってポップスコッチをしています。
当時Kornの真似バンドが沸きまくってニューメタルのリーダー扱いだったので
「じゃあリーダーが崖に向かったらみんなも崖落ちるんか?」
という自負と皮肉が表現されています。

今世界中でやっているのはこれなのでしょう。
そしてだいたい世界の歴史はヨーロッパが成功も失敗も最先端です。
たとえば

EVにシフトするで!ガソリン車とか死ね!

ロシアがウクライナ侵略開始

ああああ!

なんかバイオ燃料とかでもよくね?今までのエンジン動くし

脱原発!

戦争!石油!凍死しちゃう!

はい脱原発~(グラフなどで見ると再生可能エネルギーよりも天然ガスと石炭が多い)

なぜヨーロッパがこうなのか?は地形が関係している(という説がある)のですが今は取り上げません。




こんなドタバタやってて、
山削ってみたり川埋めてみたり、SNSで誹謗中傷をして人生終わらせてみたり、ユーチューバーが炎上商法で燃やし続けて黒焦げになっていくのを見て

そしてそれらを見ていた小さい板切れデバイスから顔を上げるとみんな無関心で無気力でそのくせ美味しい話にはすぐ乗っかるような無機質さで通勤している。

自分もその中の一人なのに気が付くまで何年かかるのか。

こんな世界に幸せも不幸もあるか!?
どっちかと言えば不幸しかないような気がする。
過去の体験も現在も未来もいつまでもいつまでも確定しない。

そして恐れていた死があなたを躯に変える時、
はじめてあなたという個は確定する。
学校の先生やTVが言う『個性』なんてものは生きている間になんか決まるわけがない。

死ぬ瞬間どころか死後にしか確定しないなら、
さっさと確定してやろう!って気持ちもわかる。
そして確定=死だとなんとなく認識している人が説得を試みるのもまたわかる。

確定=死の認識がなく生きている人が自分が見える範囲だけの健康と清潔と長生きを望み綺麗事を死体の山の上で熱弁するのだ。



わたしは元々は死ぬのが怖いのでたぶん二度と自殺を選ぶことはないと思います。
助けてあげることもできません。
話くらいはできますけど
「なあ、腹減ってないか?ピザでも食わないか?」
って程度の引き留めです。

みなさんもそんなものだと思います。
余裕がないし、関わってもロクなことがない。

まあだから死ぬんだ!ってみんな言うんでしょうけどそういう社会になってしまったのでね。

心の地形としては現代は人が死にやすい、そしてそこからの生も死も平坦に無反応への過渡期なのではないかと思います。

Z世代が大人になり、Z世代が親になり教育した子供がその時
どう生きるか?
その時に今の大人が答えも導きも下手すれば地図すら持っていない気がします。

それこそ氷河期世代を放り投げた団塊と同じですね。
悪意があるか無いかの違いで結果は良くはないでしょう。

そうすると極東の我が国は常に失敗の最先端を行く欧州からどう見られるのでしょうか?
何もしないかもしれないですね。



最後に。
もし自殺を考えている人がいましたら、


最初に深呼吸を2回してください。
これで衝動が消える人は解決が可能だと思います。

相談相手を間違えないでください。
男女関係なくお金目的・体目的・道連れ目的での相談関係は良い結果を生みません。

そして死ぬ前に必ずPCのデータ・スマホのデータを必要最小限を残して消しましょう。
ここで踏みとどまる人もいます。画像フォルダの整理は良いものです。


死ぬ直接の理由は聞きません。
あなたに死んでほしい・ほしくないことも関係なく、
あなたに大切な人がいる・いないも関係なく
孤立しているのか家族に囲まれているのか
金持ちなのか貧乏なのかそういうのもどうでも良いことです。

幸せではないと感じているから死ぬのでしょうか?
それともただなんとなく漠然とでしょうか?

まあちょっと読んでいってよ( ´・∀・`)お腹減ってない?

わたしの古い知り合いが生まれついてのクリスチャンで
食事の前の祈りも教会への礼拝もしっかりと欠かさない敬虔な信徒なのです。
遊んでいた時に教会の前を通りかかったら

「世界はこんなに戦争、貧乏、病気が溢れている。自分がお金持ちだったら助けてあげたいと思う。じゃあなんで人間を作った神様は出てきてくれないんだろう?」

とつぶやいたことがあります。
びっくりしました。

真面目にお祈りしとるやん、神を試すんかと笑って返したら
「僕はパパやママが信じてる神様にお祈りは捧げていないよ。聖書に書いてあって本当に困っている人間を助けてくれる本当の神様にお祈りしてるんだ。だからこの教会には誰もいないんだ(笑)」
そして教会に向かって中指立てて・・・・

走って逃げました。

「いつか出てきてくれると信じてるんだ」

彼は日本人ではないのでこのような考えができるのかもしれません。
例えば日本人はどんな宗教を信じても絶対に日本的になってしまうのです。
それは日本に生まれ育っただけで『日本』という世界最高の宗教国家に包まれているからです。

毎日決まった時間に何かをしなきゃいけないとか、服装がどうとか、
そういうのを守っても守らなくても許される、許してくれる日本の神がいて
それを鎮めてくれる皇室・天皇がいます。
キリスト教であろうが仏教であろうがムスリムであろうが日本的になってしまうのです。

そこから逸脱するとカルトまではいかなくても宗教に無関心に見える一般人から嫌われることになります。
その嫌われを「真実を言っているから我々を攻撃するのだ」と利用する宗教もありますが日本でいう空気を読むとか普通とか
そこから逸脱すると攻撃性が上がることがあります。
攻撃を喰らって我慢できなくなると一般人が嫌悪します。
穏やかであれば異端であれ日本では居つくことができます。

問題を起こす宗教や自分達の国でやれとしか言えない決まりをその国土の特徴を無視して押し付けてくるのはまったく日本的ではありません。

あなたの信じる宗教がもし攻撃的だと勘違いされている場合、
宗教団体内で攻撃を受けることを正当化したり、先鋭化していないかを良く見つめることです。

そして同じ信徒なのに金持ちと貧乏と
病気が治らない人と治る人と
差が出ています。
同じ神様を信じているのに。
それを信仰心が足りないと理由にするのは間違っています。

冷静になれない熱狂が無いと続かない宗教は麻薬と同じです。



さて・・・・
ここまで読んでどうでした?
まだ飛びたいですか?

あなたの神様が呼んでいるならお逝きなさい。
あなたが神様に嫌われているならちょっとメタルでも聴きませんか?
もしあなたが宗教を作りたいなら


おっと時間ですね。
また明日



必ずまた明日。





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