旅に生きる番外編/2019/03/27~蝦夷神社~
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最初に予告しておきますと、しばらく西会津ネタが続きます。
で、住んでいたころからあるのは知っていたけど名前とか何も情報がなかった場所へ行ってきました。
国道400号線の終点から侵入します。
川の流れに寄り添うように、そして唐突にヘアピンで勾配を稼ぐ峠道を超え、いくつかの集落を超えると一番最後に右カーブを白ガードレールの橋で超えるところにある物件。
鳥居は道路から少し低い位置にあるけど余裕で目視できるのですが、肝心の社が見えない。
降りてみるとそこには
『蝦夷神社』
この神社名が意味するものはなんなのでしょう?
まず『えみし』ではありません。『えぞ』です。問題は祭神なのです。
山形にある蝦夷神社は『久延毘古(くえびこ)』案山子の神様と言われている農業の神。
ここは『ゑびす』なのです。
(´ρ`)?
ゑびす様っていうと関西いうところの『えべっさん』でコトシロヌシこと(ヒルコを祀っているところもあり)
日本各地にあって『戎』とか『恵比寿』とか『夷』とか地名と合体したりして鎮座しております。
「なるほどねーじゃあここもコトシロヌシか」
待って!
じゃあなんで『えぞ』なんでしょうね?わざわざ『エミシ』と同じ漢字を当ててるのはなぜなのでしょう?
アラハバキなの?と魅かれるかもしれませんがなにせ資料も何もない。
この神社は祭神が『ゑびす』以外情報がない。
図書館で半日文献を漁りまくったがまったくなかった。それどころか町史が撤去されていて閲覧ができなかった。
どないしたもんやろ・・・・・
とりあえずお参りしよか・・・・
石段が見た目より急なのと、枯れた枝葉で滑るのでけっこう慎重に行かないと。もちろん降りる時はさらに用心深く。
やべえ、ぬるぬるする。
今はまったく根拠なき仮説でしか語れないのが悔しい。
土地の人に声をかけるもこの時は見かけなかった。
さらに言うと町営のオンデマンドタクシーの折り返し地点(隣町との境目なので)でちょうど運転手さんがしばらく停車していたので聞けばよかったのだが、時間で動いている人を引き留めるわけにもいかない。
人家の玄関ノックするのも気が引ける。
実は神社の鳥居の横は木造の家があったのだが、なんとガスではなく薪を使っているお宅で間違いなく高齢だろうと判断、煙も上がっていたのでお風呂とか料理してるところにお年寄りに声をかけるってのもわたしは遠慮なしのマスコミではないのでやれない。
町史見れば解決だろうと軽く見てしまったのが敗因だ。
まさか閲覧ができないとは思ってもいなかった。しかも2015年?くらいに町が発行したのだが元がクソ高い(13巻くらいのセットで在庫がない)ので古本屋で探すわけにもいかない。
この神社の立地はコンパクトに危険。
山の浸食された崖の際に建っているわけです。右ははるか下に川が流れています。左も杉の木が生えててわかりにくいがかなりの急こう配で危ない。
この神社のすぐ下で川は90度向きを変えている。この立地には意味があると考えたくなるね(*´ω`)
でももしよろけて転んだら死ゾ。
確実に人が来ていない。とにもかくにも到着。
さ あ ど う や っ て お 参 り し ま し ょ う か
ちなみに右側の看板は土地流出の危険を示すモノ。つまりこの神社のある狭い尾根がいつかごっそり持っていかれる可能性もあるってことです。
山奥・スマホ圏外・危険な立地。なぜここにゑびす様なのか謎は深まる。
時々ありますよね?
関西とかのご当地由来の神社が東北のめっちゃ小さい祠みたいなので分祀されているやつ。
あれはなんなんでしょう?
ひょっとしたらその土地の人やその地域の郷社の神主が
「珍しい神社コレクション」みたいな感じで勧請したかも?なんて(;´Д`)
ありあえない話ではなさそうよ?
「あの有名な神社の御利益あやかりたいわ~」って思った可能性は絶対あると思います(`・ω・´)
しっかし本当に手がかりがねーわ(;´Д`)
自分はよくゑびす祀っている神社の主張「コトシロヌシ」のとおりここもコトシロヌシだと仮定してみた。
ヒルコだとまずここに建ててどうする?みたいな。
もちろん『ちゃんと生まれなかったヒルコを祀りたいけど街中はちょっと・・・・』って意味でここに押し込めた可能性もワンちゃんかもですが。
もし『まつろわぬ民』だとしましょう。ちょっとねあまりこういう視点嫌ですが、感情で避けてしまうのは愚かしい。
この視点で
『国譲りで手を引いた神』=『大和朝廷に討伐された者への鎮魂』
で重ね合わせたというのもなくはない。『えぞ』という読みもあって
「蝦夷関連の神」という説を述べる人もいらっしゃるのは当然。
他の東北にあるゑびす関連でえぞ読みはないしね。
でも西会津ってそういう抵抗した民の話ってないからね。
ちなみに鳥居横の家はこの神社の注連縄を交換する役割を担っていてその役目と引き換えにこの地域の人足(草刈りとか)出しをちょっと免除してもらってたらしい。
で、この地域の鎮守として昔はバスまで出して町の神社へお参り行ってお札とかもらってこの神社に捧げたらみんなで飲み食いするってのもやってたらしいわけ。
ところがここの『神様』については記述もないので資料に書いてある通り受け止めて
わたしは『読みがたまたまエゾになっただけでコトシロヌシ』という一番無難な答えに着地することにした。
さて・・・・(´ρ`)
これどうやって接近すればいいのかね・・・・。この時長靴じゃなかったし。
さらにいうとこの神社の敷地『ふわふわ』するのよ。
なんか子供の時に遊んだバルーンの中で空気ぶわーなアレみたいな感覚。
落ちた枝が積み重なってクッションになっているんですよ。
けっこう違和感あります。
正面突破はできないので右側(つまり断崖絶壁側)からアプローチ。
記念碑あり。
バッキバキやで(´;ω;`)
この看板の後ろの木を見ていただけますか?この木より先が崖なのです。転んだらダメです。
でも雪の浅い所を探しながら進んでもふわふわした柔らかい地面で実に怖い。平衡感覚も多少狂う。
接近!
そっけない簡素な作り。
お参りをしてからぐるっと撮影するも何にも手がかりがない。
何か書いてあったであろう板も掠れて読めない。
下はスッキリ。
申し訳程度の補強があります。これのおかげで社が守られている。
後ろ。本殿がすごく見やすい。
雪がなければ最高なんだが、贅沢は言えません。だって普通だったらここに到着することすらできないくらい雪が降る地域なのですから。
この国道400号も冬季通行止めなんですから。ところが今年は通り抜けられる。
雪が少ないからこの社にこれたわけですから
この地域は住民全部が氏子で、さらに、字単位で色々な神様を祀っていて、人の庭にある屋敷神なんかも含めると凄い数の神が、下手したら今の居住人口より多い神様がいる可能性がある。
お寺もあるしお地蔵さんもある。そういう濃密ながら何かの団体に所属するでなく地域全体で様々な神仏を信じる、『太古まではいかないけど安土桃山よりは確実に前』っぽい信仰の形っていうのは民俗学の範囲でしか扱われない。
いわゆる伝承や特異な伝統行事とか。
寄り添って生きてきた人にそういうのをほっちゃくる(福島弁ぅー)って無粋なんだよね。
仲良くなるかそこに暮らすかしないと聞く資格はないような気がする。
でもそれを躊躇していると話がわかる人がどんどんこの世を去る。
土足で上がり込んでいいのか、上がり込まないで消えてしまうのを見るか。
そういう意味では自治体って色々な行政と一緒に文化の保存って非情に大きな事をやらなきゃいけない。
道路や橋の維持と同じように。
でも土器の発掘とか観光地にできそうな遺構ばっかでね。
こういうのをまとめるために人を雇ってもいいと思うんだ。
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