病床六尺舌先三寸胸一寸1
人はなぜ産まれてきたか?
そんなことを考える暇があるなら人間働いて働いて、倒れるまで働いて、『社会』という病に冒されながら訳の分からないまま死んだ方がいいかもしれません。
自分は宗教や科学や哲学で悩んでも何も解決しないと思っています。
なぜ産まれ
なぜ生きるのか
そういえばそんなタイトルの本が復刻して売れたような気もしますが、よほどみなさん『社会』に全身を蝕まれているようですね。
悩んだって産まれてしまうし、悩んだって心臓は止まらず明日は来てしまう。そして悩んだっていつか死ぬんです。
その逆も然り。
悩んでも生まれないし、悩んでも心臓は止まり明日が来ない人がいる。しかし行きつく先はどちらも『死』です。
そんなバカな舞台へと子供を上げてしまう親、いや人の業というのは本当に恐ろしいものです。人間は考えることにより『獣』と違う高度な営みをできるようになったのかと思いきや、むしろ野生動物よりも過酷で残酷な『社会』へ我が子を放り込む始末です。
自分が苦しんだ理由が自業自得ならば納得もしましょうが、時代の変化と抵抗する術のない理由ならばそうはいきません。
自分が産まれ、生きてきて一番強く考えることは
『呆れ』です。
この時代に産んでくれとは頼んだ覚えもなく、線維筋痛症にしてくれと懇願もしたことはない。
戦争のようにこちらも殺せるならばまだ『獣』へ回帰できるのでしょうが、バブル崩壊後の過ちへ一撃を加えるには違法行為と数が必要になってしまいます。海外ならとっくに暴動や革命、政権や官僚の殺害があって当たり前なのでしょうが、自分達は失いすぎました。そして彼らは完璧にやり遂げました、我々世代の絶滅を。
あゝ痛む。
でも痛むから特別扱いをしておくれとは一度も言ったことが無いのが誰も得しない自慢です。
投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。