旅に生きる【訪問記録】~新潟県阿賀野市神明宮~
※有料ですが全部見れます
活動休止中に訪問した神社の画像を紹介する流れがしばらく続きます。
テーマなどはありませんがその時に思いつた内容を書く場合もあります。
正月、雪が降ってジムニーで出撃した。
その時に49号線をひたすら走ってある神社を目指しました。
その神社はどうも謎が多いところなのに訪問した際のメモがなくなって場所も失念してしまっていたから。
場所を思い出すために取った手段は超アナログ。
『福島潟から通った道をなぞる』
苦労するかと思ったが1回引き返したのみですぐに見つけられた。とにかく写真が趣味の方なら非常に好ましい神社だったので景色だけはしっかり覚えていたから。
雪囲いがされていたがしっかりお正月。
しかし足跡も降る雪に消されたのか人が訪れた様子がない。
数軒民家もあり、車の出入りをするところにちょうど出くわした。にぎやかではないが寂しいところでもない。
それでもこの神社は人気のない静寂を保っていた。
この神社は謎が多い。
単純に地元ではないので調べきれないだけなのかもしれないが、阿賀野市でこの神社を取り上げている情報があまりに少ない。
それでも1件だけブログがヒットするのでそこから拝借します。すごくいい写真なのですよ。
~阿賀野市ブログ応援隊様から引用→こちら~
水田に浮かぶ社殿。このような景色は福島県では珍しい。いわきに行けば多少あるがどうしても農地と集落が近い。
もちろん内陸はこんなに平坦なところに神社がないところが多いので遮る物がない水田と神社と空の景色は福島県民には憧れ。
所在地は新潟県阿賀野市発久1064番。とにかく神明宮が多い新潟県なので社名だけではまったく見当がつきません。
多いのはアマテラス・スサノヲ・タケミナカタあたり?ちゃんと調べれば別な神が上位に来るかもですが間違いなくアマテラスとスサノヲは流して見るだけでも確認できる数が多い。
さらに平坦な地というのは神社の配置がオカルトでよくある感じになる。
わたしはオカルトや陰謀論が大嫌いなのだが(ムーみたいにエンタメとして楽しむならアリ)五行思想などで間違いなく配置してあるのは『当時の科学』であると思う。
科学の解釈というか、宗教的アプローチで古の科学に寄り添うと『願い』が必ず表れるわけです。
地方出身の方なら『火除け』や『熊野神社』のお札をお盆に乗せて町内会の人が玄関に来ませんでしたか?
受け取る側もお盆を用意してお盆で受け取るのが正式なようですが、今は普通に受け取っても怒られもしないし、若い人がお札を配る役目だとお札そのまま手渡してくる時もあるでしょうし。
あの手のお札なんてどうですか?『紙』ですよ?身もふたも無い言い方すると。
ところが神名などを書いて神璽印押してご祈祷するとご利益があると昔の人は思ったのですね。
さて₍₍ (̨̡ ‾᷄⌂‾᷅)̧̢ ₎₎
わたし思うのですが耳無し芳一とか最近は織田無道まで。
なんで『お経唱えると霊が退散』するんか?って話です。
般若心経には霊を殺すような言葉は一切ないわけです。
あと真言とか。光明真言だってなんで大日如来に成就を願うと霊に効くん?(´・ω・)
慈救呪はギリ効くかもだけど不動明王に帰依すること誓うと霊消えるん?(´・ω・)仏教の敵に効くならまだしも。
霊がいてそれが迷える魂なら本来は『導いてやるべき』じゃんって。
神社だって神様が霊に対してなにかするわけでもなし。この世のもモノではない霊に対してそもそも人も神もどうしようもないんじゃないって。
神道は死後の説明がないんです。黄泉の国がどうなのか?とか知らん。
穢れているのは確かだけど黄泉津大神となったイザナミが
「1000人殺したるぞ」
と言ってイザナギは
「1500人産んだる」
って対策しかしてないし。
話が逸れたけど
『火の神』のお札が火事除けになるか?とか現代で言えばもうちゃんちゃらおかしい。
だけど昔の人は秋葉権現のお札があれば火事にならんと思っていたわけです。
ただ『竈のある場所に貼る』でしょ?
つまり火を取り扱う時に目に入る場所に貼るってことなんですね。おまじないや昔の決まりごとは結局人間の心理に呼びかける『心理学』ぽいところもある気がする。
神道も仏教もそんな役目はなかったけど生と死だけでも片付けられないモノが増えた時になんかそれっぽいのが役割を負うことになったってことでしょう。
今だって科学で明らかになって『難病が治ったり』『危険が察知できたり』するわけです。
真理の追究のほかに『謎に対する人間が抱く不安』の解消を担うのが科学なのかもしれません。
なんでこの話をしたのか?というと京都や東京の寺社の配列に風水の理論が使われているとかよくTVや歴史雑学で出ます。
新潟は地方で神社の配列に規則性があるすごくわかりやすい例です。
平野で田んぼ。でも関東などと違い水はけが悪い。
遮る物がないのでお日様はありがたいが日照りになるし、大雨になるとすぐ暴れ川。
新潟平野は潟を中心にして直線や三角形などで結べる配置で寺社を配置して鎮めようとしたところがたくさんあります。
この発久も福島潟を囲む神社の配置に含まれているわけです。
アマテラスは太陽だから。次のスサノヲが祀られるのはたぶん『陰陽道』で言う牛頭天王だからなのかな?という勝手な解釈(´σ `)
でもこの神社の謎はそんなことじゃないんです。わたしにとって凄い難しい謎はこちら。
なんか歌碑?みたいなのがあるんですが現地でもまったく読めない。
「画像にして色々加工したら読めるんちゃいますか」と思ったがダメ。
何を書いているかご当地の歌人とか漁りまくったがさっぱりわからん。
今は阿賀野市ですが合併前は『新潟県北蒲原郡笹岡村発久』だったわけです。
吉田東吾が引っかかるくらいで何もわからん!(´;Д;`)
それとこれ
『神庫大神』
神庫はわかりますよ。宝物殿であったり捧げる収穫物であったり神様の物置的なアレでしょ(言い方)
でもそれに『神』って守り神的なのですか?それとも管理する神?
なんか引っかかるんですね。
ロケーションがロケーションなだけにすっきりした境内でこの2つがある意味がすごく知りたいわけです。
それでもこの場所を再び訪れることができた幸せ。
新潟は会津を通り越してやっとたどり着く地。
福島県は県南に下がると栃木県や茨城県の匂いがする。
しかし鳥井峠から下り降りるあの寂しさと楽しさと懐かしさと怖さが重なって甘酸っぱさと仄暗さ、そして湿り気を帯びてくるあの新潟県境だけはいつ何時でも旅の楽しさを味あわせてくれるのです。
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