おやすみはさよならの予行練習
なかなか眠れないわけです。
昼間気絶してたもんで。
疲れがたまっています。何もしていないけど朝起きた瞬間にフルマラソン完走状態の疲労から始まるので、洗濯物にアイロンをかけて畳むことがエクストリームな行為となります。
普通の人ならなんともないことなのにね(´・(ェ)・`)
有料記事がアプリから書けませんがpcを開くのもめちゃくちゃ体にダメージ受けるので躊躇。
止まっている旅の記事、音楽、仕事・・・・
孤立無援戦略皆無嘔吐吐瀉物による胃洗浄を繰り返している毎日です。
街はイルミネーションに彩られていますか?
プレゼントはきまりましたか?
もはや今年も残すところわずかであり、コロナ騒ぎは持続したままです。
日本はすべてをコロナになすりつけて失われた20年を延長するようです。
効率とかばかり追い求めてたくさんのものを失い、
取り戻すどころか
『乾いた地面に井戸を掘り地下水脈も枯れるまで搾り取る』大人。
俺たちが社会にいるので若者は排除
俺たちが年金もらうので若者は排除
俺たちが医療を受けるので若者は排除
俺たちがいなくなったら若者は排除
若者が年寄りになったら年寄りと若者は排除
ドクトリンはなんなのか?
本当にただ『その場の利益確保』だけで海外へ技術流出させたり、人材潰したりしてたとしたら?
まあいいや( ´・∀・`)めんどくせ
みなさんは誰かが「自殺したい」って言ったら止めますか?
死体を見たくない、警察面倒だから死ぬな言ってませんか?
かといって無責任に「死ね」言うて遺書に
「あいつに死ね言われた」
とか書き残されたら次は自分の番になっちゃう。
まず自分が理解されにくい疾病を持っている。
そしてその横で26歳の猫がてんかんで倒れる。
健康な人は助けないどころかむしろ厄介事を持ち込む。
死を見つめます。死に見つめられています。
毎日死が横にいてじっとみてる。
しかも死はわたしと同じ顔をしている。
まばたきもせず薄気味悪いホラーサイトの画像のようにこっちをみてる。
怖い。めちゃくちゃ怖い。
ところが追い払うわけでもない。
死ぬ手前、痛みとか苦しいとか、それが嫌なだけで死という事象そのものにわたしは好意を抱いている。
無痛で苦しくなく安楽であれば死はもっとも良い。
わたし。
わたしから離れないわたし。
わたしを見つめるわたしの死。
わたしは今3人と暮らしている。
あ、精神的な病気でないよ(ヾノ・ω・`)違う
もともとわたしは肉体と精神は別だととらえているから、人間は死なない限り孤独にならないと思っている。絶対自分に自分が貼り付いてるから。
そこにいつかくる自分の死もいる気がする。
そしたら足し算すると
( ˙ω˙ ).。oひーふーみー
(´・д・`)3人!
いつかわたしがわたしから離れる。
そうするとわたしの死はどうなるのだろうか?
どこかに導くのか?
体のわたしは焼かれるはずだから消える。
それともわたしとわたしの死で送る2人生活がいわゆる『隠世』なのか?
その前に布団に体の形をした体液の染みを残さぬようにしたいところよ(´・(ェ)・`)
投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。