旅に生きる番外編~諏訪神社~/2019/0409?
※有料ですが全部読めます。皆さまの投げ銭を旅費にして旅をする企画です。
西会津はさすがに日本てっぺんを取れるほどではないがなかなかのド田舎、一面のクソ緑です。
たぶん十津川村とか桧原村にはかなわないですから。
でも高速ICがあって、高速バスもあって、49号線と大動脈も走ってる。
『ダイレクトに来れるド田舎』というお手軽さでは非常にオススメです。何を見るんだって話ですけど。飯豊山に登山するとか新蕎麦の季節くらいですかね・・・・。
その田舎のさらに奥へ向かう頼りない国道を走って、さらにそこから枝分かれするこれまた頼りない道へ入り込むと出迎えてくれるのがこちら。
バス停の目の前で非常にアクセス良好。もちろん周りには人家数件以外何もないですが。
ここで『諏訪神社』について自分の復習も兼ねてお勉強。
『タケミナカタ』を祀っている神社で諏訪大社が総本社。諏訪大社といえばもちろん御柱祭(`・ω・´)
死人も出るヒャッハーな祭りで無関係のわけのわからん弁護士が宮司さんを訴えたり(不起訴)して何かと話題になるお祭りの舞台。
あと上社下社に分かれてて一個前で取り上げたコトシロヌシも合祀されていますぞ・・・・。
( ˘ω˘)フムフム…
まさか『対』!?
・・・いやまさかね'`,、('∀`) '`,、
ネタばらしをするとこの諏訪神社よりもさらに奥に神社はある。端っこどうして対っていうのはちょっと無理があるかな、と。
タケミカズチと喧嘩して負けて諏訪に引きこもった~と紹介されがちですが、武神として崇められておりましてね。
タケミカズチがチートなだけでタケミナカタも強いんだぞ、と。
神話で語られる時代に何かしらの争い事があって、敗者側の歴史も当然存在するわけで。
日本は負けた人間を祀らないと『ケツの座りが悪い』人種なもんです。
もちろん諏訪地方の土着の信仰などもすべて合体しているとは思うのですが、『祟り』という当時なりの解釈に祀り上げるという科学を使ったわかりやすい例だと思うんですね。
そういえば祟りと言えば井沢元彦氏が『出雲大社はオオクニヌシの幽閉をしている』とだいぶ昔に書いて出雲大社教の京都紫野教会がHPでそれを否定しています。
出雲教、出雲大社教の本部とも公式には説明も何もないのですが、自分は『横向いている』っていうのをはじめとする根拠は別として
『平和に国を譲るわけがない』という古今東西共通する人間の愚かさ視点から私は『オオクニヌシは祟り神』という説はありえると思っています。
人間も当然、神様同士だって仲良しとは限らないもんです。
61回の式年遷宮は・・・・平成5年。
令和になる時にこの鳥居を拝むとは・・・・偶然ですけどね( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽ
『諏訪梶の葉』って諏訪大社の神紋です。これは4つの根っこなので上社と同じ。だいたい4つだと思うんですけどね。ちなみに下社は5本。
で、オオクニヌシに該当する神(を崇めていた部族)が負けて、仲間で抗戦派と降伏派で割れた。その物語がいわゆる国譲りなのじゃないの?っていうのが、たぶんコタツにみかんで神棚と仏壇茶の間の日本人ならだいたい着地しそうなところ(´・ω・`)
コトシロヌシはそのままお隠れになったわけですが、タケミナカタは戦った。
で、色んなね、仏教やら中国からの伝来やらミシャグジやらたくさんの要素が混ざり合って大祝として諏訪氏はもちろん、それを降した武田信玄などに信仰され今もそれが続いていると。
『日本第一軍神』などと呼ばれるってのは知らなかった(´・ω・`)
そんだけ強い!ってことですな。
で、なんでこの『諏訪信仰』が全国に広まったかというと狩猟の神としての意味合いが強いのかな?と。
なにせ結構な田舎町でもだいたいありますからね諏訪神社。
神社ってその役割(霊験?)は『その土地の人が欲したこと』と直結だと思うので。
西会津町はカモシカが道路に出てくるほど長閑なところでございます。
で、『鉄砲ぶち』と呼ばれる猟師が山で狩りをして熊や鹿をハントしていたので秋田のマタギのように保存される伝統とまではなっていませんが、猟銃を持って山に入る人はそれなりに儀式をやっていたわけです。
例えば最初に弾を当てた人は獲物の血を飲む、とか。(他地域は知りません)
でね~、ここ埋もれてますけどちゃんと石畳なんですよ。
あれですよ、真正面はアスファルトですけど。
けっこうな山の中なのに頑張って作ったんだなって思います。
ただちょっと疑問なのが、この神社はまだ端っこではなく田んぼ作るスペースもある土地柄(昔も作っていたかは不明ですが)
この西会津町奥川地区ってのは木地師がもっとも奥へ入り込んでいると思われる土地です。
その木地師と抱き合わせで猟師が入ったのではなく、あくまで木地師が先で、『鉄砲伝来後猟師が来たor木地師の中で鉄砲ぶちが出現した』んじゃないかと思うんですね。
なんか今回、郷土歴史研究家みたいな感じになってますが(笑)
火薬を発射する技術を得る前の狩猟は弓矢か槍か罠でしょう。
だいたい西暦800年ごろくらいから全国に広まったとされる木地師、しかも会津は木地師発祥の近江とは別に元から木地師がいたとも言われておるそうなので相当古い。
鉄砲伝来はみんな習う『以後予算がかかる1543年』ですから。
会津がマタギではなく(奥会津でそう呼ぶ地域もありますよ)わざわざ『鉄砲ぶち』と言うことに自分は引っかかるわけ。
本当に憶測でしか語れないテーマで申し訳ないのですが、いわゆる『山の民』としてクロスオーバーしていたんだと思うのです。
木地師は木地師だけで食っていけるわけではない。そんなに甘くないしね。
でも木が採れる場所は山奥、田んぼは展開できない。
だから小さい畑で豆作ったり、菜っ葉植えてみたり、ヤマメ釣ってみたり、山菜採ってきたり・・・・
なんでもしなきゃ生きていけなかったと思うのです。
あまりに厳しい暮らし。
だから山に関わる職業の人って神事が多いのは
「たすけでくんちぇ」
っていつも必死だったんじゃないのって。
唐突な椅子(´・ω・`)
寒いし雪はすげーし、お椀作っても高く売れるわけでねーわ、猫の額ほどの畑作ってもあんまり育たないわで、金銭ではなく毎日の保証がなさすぎて縋るモノが神様なんだべなって。
なのでね、オカルトとかぁゃιぃ伝承好きな人には申し訳ないんですけど、
別に怪しむようなことってないと思うんです。
山で暮らしている人は何かに専業しているほうが稀だった。
それが木材関連・狩り・農業・荷物運び・食い詰めたら泥棒までetc
で、この神社のあたりが狩りと農業を同時に営めて一番町に近い(西会津の凄いところはこれだけ山奥でありながら越後街道の要所だったことです)ポイントだから諏訪神社を勧請したんじゃないのかなって。
どっちかていうと
『偉いお坊さんが夢を見て祠を建てたのが創建由来』みたいなのは後付けじゃないのって思ってます。
これわかんねぇんだわ(;´Д`)
で、今自分が書いたことを逆手にとってみると
この神社は『一番奥にいる住人に一番近いそこそこの規模の神社』ってことですわね。
実際この神社はちょっと歩きますけど福島屋さんってお店がある。ガソリンスタンドもある(なかなか安い)
そのお店のある場所は家が集まっているわけ。だから宿場まではいかなかったけど交通の分岐点で、茶屋とか荒物屋さんがあって感覚的に『駅前』みたいなもんじゃなかったのかなと。
ここまで書いてきてこの神社の説明まったくしてないことに気が付きました。
こういう田舎の山奥の神社、人が集まる場所として利用されていた名残があります。
この手作り1点モノ感あふれる滑り台。
すごいしっかり作ってあってちゃんとしてるんですけど、まあ誰も滑った様子はないよね。
滑り台をさ、逆から昇るってみんなやったと思うんですよ。
その時に手放しダッシュで登れるかどうか?ってけっこう男の子にとっては重要でしたよね?違う?!ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
遊 べ な い ブ ラ ン コ
まあ使わないで錆びたところに滅多に来ない人が座って怪我したら大変だからね・・・・
これわからんの。お地蔵さんだと思うのですけど。ちなみにもうちょっと戻って国道にもお地蔵さんの案内があるんだけど行ったことない。
そしてその横に黒い(ΦωΦ)
くんくん・・・
なんもねー(ΦωΦ)
猫が向かった先は納屋。
ぼかし肥料がばさーって広げてあってシャッターが半開き。そこから猫は入り込んだ。
ねぐらなのかもしれないし、ネズミもいるのかもしれない。
もぐらも蛇も獲り放題だと思う。
その納屋にくくりつけられていた人形がめっちゃ怖かった。
で、この神社からさらに奥へとまいります。
続くよ(UP次第リンク貼ります)
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