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助産師になった理由とやめた理由


私は、助産師を3か月でやめた。

助産師をやめたことも、助産師になったことも、どちらも、全く後悔していない。


【助産師になった理由】

私が8歳のとき、いとこが1人生まれた。2年後に、また1人生まれた。

叔母のお腹が大きくなっていく様子や、産まれたての赤ちゃん、そこからぐんぐんと成長していく様子を近くで見ていた私は、幼いながらに“命の誕生”や“子どもの成長”に感動した。そして、

“赤ちゃんを取り上げる人になりたい!”

と思うようになった。その時は、赤ちゃんを取り上げる人=産婦人科医だと思っていたため、その時の私の将来の夢は「産婦人科医」になった。

しかし、小学校高学年、中学生くらいになると、自分の学力では医者にはなれないことがわかり、産婦人科医は諦め、将来の夢は「保育士・幼稚園教諭」になった。

高校生の前半は、保育士と幼稚園教諭の資格が取れる大学を目指して、調べ始めていた。

高校2年生の途中、本格的に自分の進路を決めていくタイミングで、「そういえば私って赤ちゃん取り上げる人になりたかったんだよなぁ。。。。え、それって助産師じゃん」と思った。昔は知らなかった助産師という職業をなんとなく知っている状態で進路と本気で向き合った時、いわゆる“点と点が繋がった”感覚で、すぐに助産師になる方法を調べた。調べてみると、自分でも頑張ればなれる気がした。

助産師になる方法と同時に、助産師とはなんなのか、どういう仕事をする人なのか、どういう役割があるのか等もたくさん調べた。その中で、「分娩介助をする人=赤ちゃんを取り上げる人」という仕事以外に、「女性の一生をサポートする役割」があることを知った。その役割の具体的な仕事内容などを調べていくうちに、助産師という職業に強烈に惹かれていった。

そして、助産師になることを決めた。

一切迷わなかった。

その後紆余曲折ありつつ、無事、看護専門学校に進学した。(助産師は看護師の資格が必須)

看護学校での様々な学びに加え、自身の精神状態の不安定さの原因が主に家族関係にあるであろうことが自分の中でわかって整理できてきたことで、将来助産師としてどのような役割を果たしていきたか、少しずつ明確になっていった。

“愛されている実感を持てないまま生きていく子どもたちを減らしたい”

自分の中にこの思いが強くあることを認識できたとき、「助産師になれば色んな角度からアプローチできる。色んな可能性がある。」と気づき、より助産師になりたい思いは強くなり、助産師としての人生設計も考えるようになった。


しかし、これらの思いとは反対に、様々な経験を積む中で“自分は助産師にはなれても、助産師をするのは無理なんじゃないか”という思いが次第に膨らんでいった。そんな思いを抱えながらも、助産師になる道を途中で断つ選択はできなかった。

看護学生のときは、「助産師になるために看護師の資格を取りに看護学校にきたんだから。他科と産科は違いが大きいから、看護学校だけの経験で助産師やめるのは、それは違う。そんな簡単に折れるような安易な気持ちで目指してる夢じゃない、」と思っていた。

助産学生のときは、「助産学生と、実際に助産師として働くのは、また違うはず。働いてみないと、なにもかもわかんないから!」と言い聞かせていた。

正直な気持ちは、「ここまで進んできといて、もう後戻りできない。」「ここまできたんだから、やるしかない。」というのが1番大きかった。ただ、唯一救いだったのは、「助産師になりたくない」わけではなく、「なってもできないだろう」という思いだったこと。「なりたくない」だったらきっとどこかで心が折れていたと思う。



【助産師をやめた理由】

耳鼻咽喉科や飲食店でのバイト経験で、接客は向いていないことを痛感した。また、状況に合わせて臨機応変に対応し続けることが自分には難しいと感じた。マニュアル通りの状況であれば落ち着いて対応できるが、状況が変わるとパニックになってしまい全く動けなくなってしまう。それはバイトでも、実習でも、助産師として働き始めてからもずっと同じだった。

看護学校の実習で、医療現場にいる自分は場違いな感じがして仕方がなかった。病院で医療従事者として生きている自分が1ミリたりとも想像できなかったし、しようとしても現実味が一切なく、物語のような感覚に陥った。産科に就職後も、その感覚は変わらなかったし、むしろ強くなっていた。医療現場から離れて1年以上経つ今思い返すと、実習も助産師としての仕事も、幻だったかのような感覚に陥る。

助産学校での実習では、“死にたい”と思っている自分が“命の誕生”や“生”に対し「おめでとう」と向き合うことに、違和感と申し訳なさばかり感じた。そして、違和感と申し訳なさばかり感じているような人間が関わらせていただいていることに対しても、心の底から申し訳なかった。その申し訳なさと違和感は、働き始めてより強くなった。

常に「命」に向き合い続けなければならない環境であることに加え、対象者さん(患者さんや妊産褥婦さん等)の問題と自分自身の問題を完全に別物として区別できなかったことで、常に自分の抱えている問題について考えさせられることになってしまい、苦しかった。

人に感情移入してしまいやすかったり、周囲からの影響を受けやすい体質の私が実習を乗り越えていくためには、感情を捨て、心を無にして対象者さんと関わるしかなかった。
常に「生きるとは」「死ぬとは」を考えさせられる環境は、たとえ心を無にしても、その無さえをもぐちゃぐちゃにしてしまう力を持っていた。
感情を捨てて心を無にして働き続けるのには、無理があった。一人暮らしで、休日に友達と会う時間も作れなかった私は、感情や心を取り戻す時間を失い、精神バランスは崩れていく一方だった。

助産師として働き始め、1つの小さなミスが簡単に人を殺してしまう可能性があることを日々実感し、なにもかもが怖くなった。常に2人の命を背負っているという責任は、自分の命さえも背負えないような私みたいな人間には、到底抱えきれないと感じた。

毎日毎日、行ってみないと自分のすべきことがわからないことや、状況の変化に応じて常にすべきことの優先順位が変化していくこと、何においても心の準備をする時間がなさすぎることは、私にとっては耐えられなかった。
覚えなければならない基本業務の量がえげつなかったし、なにも覚えていない状態で次々に新たな業務を経験しどんどん覚えていかなければならないことも、私にとっては難しすぎた。
準備ができない不安、準備ができないまま仕事を続けている不安、覚えきれていないことを実施する不安。いつ新しい業務を経験することになるかわからない不安。常に不安。不安に取り憑かれる日々だった。

知識不足、技術不足を実感する日々で、“1年目だから当たり前”とわかっていても、その状態で対象者さんにケアを実施することへの葛藤が強く、それをどうしても自分で処理できず、苦しかった。

1日の振り返り、自分が実施した業務やケアの振り返り、覚えるべき業務のまとめ、わからないことや知らないことの勉強、研修の課題、、等々、やるべきことが多すぎて、私にはやりこなせない量だった。仕事から帰って寝るまでの時間や休日までも、ずっとやるべきことで頭がいっぱいだった。やるべきことがある状態で自分の時間を作ることが許せない性格の私には、そんな状態で息抜きなどできるわけもなく、ただただずっと追い込まれていた。

同期たちと色んな話をする中で、“同期のみんなが感じている辛さ”と“自分が感じている辛さ”の種類が全く違うものであることを明確に知った。みんなは主に1年目ならではの辛さと戦っているけれど、自分は年数などは関係なく今後一生付きまとってくる辛さと戦っていると感じ、終わりの見えない戦いを孤独に続けるのは厳しいと思った。




「このままだと、私と関わることになる対象者さんはどんどん増えていく。それは申し訳なさすぎる。」という苦しみや、
「このまま働き続けたら、そのうち人を殺してしまうかもしれない」という恐怖、
「このまま助産師を続けていたらきっとそのうち死んでしまう」という確信に近い予感を
当たり前のように抱えていた。

そして、2か月半が経過した頃には、助産師をやめることを決めていた。

“死にたい”と思いながら生きている私が、
“生きる”ために、助産師をやめる決断をした。


助産学生のときに出逢った人たちのおかげで「こんな私でも、もう少し楽に生きる選択をしてもいいのかも」と考えられるようになっていた私は、“楽に生きられる道を探そう”と自然に考えていた。


助産師をやめたことを、《逃げ》だと言う人もいるかもしれない。
なんなら私自身も、「これはただの《逃げ》なのでは?だとしたら、この判断は間違っているのでは?」と何度も何度も考えた。
けれど、色々と考えるうちに、「逃げだとしても別にいいや、どうでもいいや」という結論に落ち着いた。もちろん、ポジティブな意味で。

そして、まるまる3か月で病院を退職し、助産師をやめた。

助産師という仕事は、私には“合わなかった”のだと思う。




【今の仕事を続ける理由】

病院を退職後は、工場で働いている。

今の仕事は、
接客することもないし、社員同士の関わりも必要最低限で、基本的に1人で作業する時間が多い。
基本的な業務を最初の1か月で教えてもらい、その後はその業務を毎日毎日繰り返す。
新しく業務を覚えることもあるが、1つずつ、順番に教えてもらえる。
私の立場上、例外なことが起こった時は自分で判断せず、報告し指示を仰ぐ必要があるため、臨機応変に対応する能力はそこまで求められない。
自分のすべきことは、遅くても前日までに把握することができ、前日もしくは当日の朝にしっかり準備をして作業に臨むことができる。その日がどのような1日になるか、どんな流れで経過していくかがなんとなく予想することができるため、心の準備もできる。
今の仕事が直接的に人の命に関わることはほぼないし、命について考えさせられる場面に遭遇することもほぼない。
帰宅後や休日にやらなければならないことは全くなく、心置きなく自分の時間を作れる。


毎日毎日、一日中ずっと同じ作業をひたすら繰り返すため、苦痛に感じる人も一定数いる仕事だとは思う。それを全く苦痛に感じない私は、そのような仕事が向いているのだと思う。
思い返せば、助産師時代の仕事で、唯一苦痛を感じずにやれていたのは、病室の掃除や物品補充などの単純作業だった。中学生の頃、保健室で休ませてもらっている時に、ひたすら印鑑を押す作業を先生のお手伝いでやらせてもらったことがあったが、とても楽しかった記憶がある。刺し子や刺繍などひたすら縫うだけの作業が、とても好き。友達とのLINEグループで、1年間で合計何時間何分電話を繋いでいたかという、何の意味もない計算を、自ら勝手に、何十分もかけてやったことがあるが、とても楽しかった。私はきっと、そういう人間なのだと思う。

今の職場は、病院勤務のときの4倍以上の時間をかけて満員電車と徒歩で通っていて、かなり遠くなった。ただ、なぜか全く苦ではない。多分、通勤時間を使って心の準備をして仕事スイッチを入れていて、帰り道で1日の反省会を済ませてスイッチを切って、家に着いてから仕事について考える必要がないようにしているのかなと思っている。

お給料はかなり少なくなった。この収入では暮らしていけない、と思う人はきっとたくさんいるだろうというくらいの低収入である。ただ私は、自分が一人暮らしを続けていけて、趣味にも少しお金を使えるくらいの、最低限の収入があれば十分だと思っており、実際に、なに不自由なく大満足な生活を送れているため、何も問題なかった。

一般的に見たらきっと、とても良い条件とは言えない条件の仕事環境だと思うが、私の中での優先順位と条件は満たしており、とてもありがたく恵まれた環境に巡り会えたと本気で思っている。
私が私を生きるのだから、私基準で満足できたら、それで良い。

自覚は全くなく、自分ではなぜなのか全くわかっていないが、職場の先輩方には仕事ぶりを褒めていただけることが多く、特殊な作業を任せていただけることもある。
自己評価は置いておいて、他者評価(しかも何十年も新人を見てきている先輩方からの評価)がこのようなものであるということから、この仕事、この職場は本当に私に“合っている”のだろうなと思う。

ありがたいことに、職場内での人間関係も全く頭を抱えることがなく、過ごしやすい。
先輩方は皆さんとても優しくしてくださり、可愛がっていただいて、本当に本当に恵まれすぎた環境で働かせてもらっている。

「仕事行きたくないなぁ」と思ったことはほとんどないし、連休明けの仕事も全く苦ではないどころか、少し楽しみだったりもした。休日に1人で家にいると「仕事行きたいなぁ」と思うこともある。
これにはさすがに自分でも驚いたが、こう思えるくらいに、今の仕事が自分に本当に合っているんだなぁということを再認識できた。そして、そんな風に思える環境で働かせてもらっていることに、改めて、心の底から感謝の気持ちが溢れまくった。


転職して今の仕事を始めてから、精神状態も以前と比べてかなり良くなった。
精神疾患を抱え、通院し服薬をしながら生きている事実は変わりないが、自分の感覚として、“以前と比べて楽になった”“少し生きやすくなった”と感じていることも事実である。


職場環境は変化していくものであり、特に人的環境は絶対に変わっていく。だから、今の働きやすい環境がずっと続くとは限らないけれど、少なくとも今の環境が続く限りは今の職場で働き続けたいと思っている。




【助産師になったこともやめたことも、一切後悔していない】


転職して今の環境で生きるようになってから、“自分に合った環境で生きるって本当に大事”ということを身をもって実感した。

転職してよかった、「助産師をやめてよかった」と心の底から思っている。

ただ、それと同じくらい、「助産師になってよかった」とも思っている。

小さい頃からの夢を1つ叶えたことに変わりはないし、助産師という、決して誰にでも簡単に取れるわけではない資格を取れるくらいなら踏ん張ることのできる自分がいることを知れた。
助産師という本当に素敵な職業を経験できた。
全く関わりがなく、完全に無知だった医療現場について知ることができた。
学生レベルであれ、医療や看護、助産の知識を得ることができた。
自分に合った勉強方法や、勉強の楽しさを知ることができた。
実習や学校で、様々な人生を歩んできた人たちと関わらせていただいたことで、自分の視野が広がったり、思考が柔らかくなったりした。
助産学生時代に出逢った人たちのおかげで、人生が良い方向に変わった。



決して、無駄ではなかった。
綺麗事なのかもしれないけれど、どの時間も、どの経験も、私にとって意味のあるものだった。
心からそう思える。















最後までお読みくださった方、本当にありがとうございました。

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