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バーガーマニア白金高輪店がオープンしました

白金高輪にバーガーマニアができた。白金タワーの裏のあたりらしい。
白金店に昔よく行っていたのを思い出して、それで春がまだ遠い雨の日だけど、わざわざ傘を差して歩いていった。

白金店は北里大学の向かいにあった。当時付き合っていた女の子が東大の附属病院のあたりに住んでいたから、彼女の家に泊まった翌朝なんかによく行った。ハインツのケチャップは容器が透明だがマスタードはイケアの小物みたいな黄色いプラスチック。彼女の口元のセクシーなほくろがあったのが右か左か覚えていないのに、こんなどうでもないことばかり覚えている。
なぜ別れたのかもよく覚えていない。覚えていないというより、未だに理解できないままでいる、のほうが近い。この間友達がいきなり「恋愛ドラマで泣けるタイプ?」とLINEを送ってきたので、「人間も犬もパソコンも全部同じに見えるからことさら恋愛だけを取り上げて感動する人の気持ちが分かんない」みたいなことを返した。昔からそうだった。千円札みたいに世に腐るほど流通していて、それでいてかけがいのないものみたいに宣伝される人間の心のワクワクする動きを共有する会員制のソーシャルクラブから、僕だけが阻害されたようにずっと感じていた。

別れよう、と言われたのは、彼女が仕事のために当面のあいだ大阪に生活の基盤を移すと告げられた夜の目黒のドトールの二階だった。そうか、終わるのか、と僕は思って、それで馬鹿みたいな顔でなくなりかけのアイスティーをストローで啜った。彼女の申し出によって始まったこの関係を終わらせる権利は当然に彼女にあって、その行使を僕は馬鹿みたいな顔でなくなりかけのアイスティーをストローで啜りながら聞くしかないに決まってる。それでそうしていたら、彼女はちょっとだけ泣いた。「女の子が泣いてるときはまだ諦めてないってことですよ!」と年末のラジオで峯岸さんに言われて、そうなんだと思った。あのドトールの夜から5年が経っていた。

昨日というか、今朝の朝まで散々飲んでいた。近所のワインバーで友達と飲んでいたらまた別の友達が来て、店主も交えて閉店後もお店に居座って飲んで、そのあと僕の家に移って、それでみんなで4時半まで飲んでいた。昨日の夜も雨が降っていたから、短距離だけどわざわざ乗ったタクシーから降りるとき、女の子に傘を差し出したらちょっと指が絡むくらいのことはあった。日が出る前に解散して、昼前に起きたら当たり前だけど誰もいなかった。飲み会がそうであるように、人との楽しい思い出というのはそれが終わったあとのその人の不在によって完成される。それは「大切なことは失ってから気付く」みたいな馬鹿な話ではなく、そういうものなのだ。ほとんどの人間関係は、それが存在していた時間よりもそれが不在になってからの時間のほうが長く、それはよくできた罰みたいだなといつも感心する。

「バーガーバッグに入れたら、食べやすいように潰すんだよ。もったいないけどね」と彼女はそう言ってチーズバーガーを潰して、右だったら左だったかにセクシーなほくろのついたその口で齧った。だからハンバーガーを食べるとき、僕はいつだってその流儀に従うことにしているし、ハンバーガーを食べるとき、僕はいつだって彼女のことを思い出す。もしかすると僕の心のあり方のせいで、どう間違えてもうまくいくはずのなかった関係にだって、僕の頭の中と、それからこの街のどこかしらに記憶として残る権利がある。僕はそれを行使して、今日もチーズバーガーを潰して、向かいに誰も座っていない人工大理石のテーブルでそれを齧るのだ。

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