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真面目な真也くんの話

真也くんは真面目な人だった。
大学の同期で、ゼミが一緒だった。三田祭論文のテーマが近かったから、ゼミではよく一緒の日に発表したし、よく比較されたし、何となく対抗意識じみたものを僕は明確に持っていたように思う。

真也くんは熊本だか宮崎だかの出身で、実家は農家で、ピーマンを作っていた。夏になると親御さんから規格外のピーマンが送られてくるらしく、僕は彼からもらった袋いっぱいのピーマンを1つ刻んで塩昆布で和えて、当時お気に入りだった「のどごし生」のつまみにして、残りは袋に入ったまま全部ゴミ箱に捨てた。僕はピーマンが苦手だった。苦手だと彼にあらかじめ言っていた。彼はニコニコと袋いっぱいのピーマンを渡してきた。ピーマンの形をしたその善意はやけに軽かった。ピーマンの中身は空洞だからだ。真也くんみたいだなと思った。

論文の発表は、たいてい僕が先で、彼が後だった。なぜなら僕の発表はすぐ終わるが、彼の発表はなかなか終わらず、育ち盛りの害虫の幼虫みたいに時間をむしゃむしゃと食ったからだ。真也くんは二浪して慶應に入ったから、ほとんどの先輩よりも年上だった。老け顔だったからもっと年上に見えた。真也くんはニコニコと研究の成果を発表した。文献の選定もめちゃくちゃだったし、めちゃくちゃに選定した文献の読みもめちゃくちゃだったし、めちゃくちゃな読みをめちゃくちゃに説明した。彼がやっと発表を終えると、一同ホッとしたような顔をして、ニヤニヤと顔を見合わせ、そして誰かが彼の異国の言葉のような発表を奇跡的に理解し、質問をしてくれることを期待した。弛んだ沈黙。何かあるでしょう、と先生はいつも言っていた。でも何もないんです。責任を感じたゼミ代表が毎回質問した。まずは彼の主張の骨子と思しきものを彼がイチから作り上げ、つまりこういうことだよね?と聞くが、真也くんは、いや違うんです、まず着目したのが、と不思議なことを言い始める。先生はニコニコと黙っている。彼の指導を通じてみんなに成長してもらいたいとでも言わんばかりに。成長はなく、ただ徒労感と気まずさに満ちた長い長い時間の浪費だけがそこにはあった。

よく慶應に入れたな、と思った。訳はすぐに分かった。彼はおそろしく真面目だった。毎日メディアが閉まるまでメディアにいた。すごい量の文献を読んだ。先生を捕まえて何時間でも質問をした。成果が努力の量と効率性の掛け算だとしたら、彼は努力の天才だった。宇宙望遠鏡的な努力に、電子顕微鏡的な効率性を掛け合せて、彼はどうにか入試を突破したらしかった。

明らかに彼は人のいい人だった。真面目なだけではなく、他人に優しく、でもその優しさをうまく形にできない人だった。ゼミの同期が盲腸で入院したとき、寄せ書きと「簡単なお祝いの品」を贈ろうと言い出した。たかが盲腸で、たかが数日で退院する堺くんのために寄せ書きを書くのも、お粥みたいな病院食しか許されないであろう彼に山盛りの高級フルーツを贈って結構な額を明るく請求してきたのも、彼らしいなと思いつつ、みんな少し苛ついていた。彼らしいなと思った。

就活はずいぶん苦戦したようだが、最後の最後でみずほ銀行の内定を取ってきた。地元の経済を元気にしたい。四十七都道府県すべてに営業所を持つ御行だからこそできると思う。彼はきっと、あの青臭くて色も悪いピーマンを作った両親の話なんかを前のめりで、身振り手振りを混ぜながらしたんだろうと容易に想像できた。彼の口から飛び散る少し臭い唾。

他の同期がみずほに行ったから、入行後の話も漏れ聞こえてきた。研修でも大暴れしたらしい。同じ班の女の子は泣いたらしい。彼のめちゃくちゃな、しかし否定しづらいほどの熱を持った無駄な努力に、自分のキャリアが汚されたとでも思ったんだろうか。何となく気持ちは分かる気がした。

彼は一年ほど川崎の支店にいて、そして休職したらしい。チューターとの相性が徹底的に悪かったらしい。上司との相性も徹底的に悪かったらしい。よく振り返ると、ゼミでも彼と相性のいい人なんていなかった。先生は無責任だと思った。彼の人生に責任を持てない人だけが彼に優しくした。僕もだ。彼に論文の構想や進捗を聞かされるたび、何言ってんだこいつと思いつつ、いいじゃん、面白いと思う、とか、僕にはない目線だからいい棲み分けができるね、とか、調子のいいことばかり言っていた。あれは優しさではなく責任の放棄であり、彼の未来を見殺しにする行為だったと気付いた。

彼は銀行をやめた。革靴を履けなくなったらしい。革靴を見ると、それを履いて南武線に乗って、改札をくぐって、鳩の群がるゲロを踏まないようにしながら出勤して、チューターや上司に人格を否定される少し先の未来が脳裏に浮かんで、革靴を見るとゲロを吐いてしまうようになったらしい。お母さんが就職祝いにと買ってくれたリーガルの革靴。ゲロのかかったそれを一生懸命拭いたけど、諦めて捨ててしまったらしい。

それでも彼は人生を諦めることはしなかったらしい。彼はプログラミングスクールに通い始めたらしい。引き金を引けるか引けないかの状態で戦場みたいなブラック企業に送り込まれて、今度は職場でゲロを吐いたらしい。彼は努力不足だと思ったらしい。今度はまた別のプログラミングスクールというか、よくよく話を聞くとオンラインサロンみたいなところで空から曖昧に降ってくる知識を曖昧に飲み込んでいたらしい。月額費を聞いてビックリした。どうもタダ働きみたいな仕事もさせられているらしい。合理的に考えればすぐに辞めたほうがいいと思ったが、誰も言わなかったらしい。僕も言わなかった。また誰もが彼を見捨てたのだ。

彼はどうも、頑張ることに逃げているらしいと気付いた。どうも昔からそうだった気がしてきた。努力のぬるま湯に、手を動かしていることのぬるま湯に首まで浸かっていれば、湯気で先の不安が見えなくて済む。彼は昔からそうして逃げているらしかった。彼は真面目なわけではなく、人生に対してひどく不真面目で、その不都合な事実から目を逸らすために、子どもがお母さんに怒られているときに手遊びをするように、努力に逃げているらしかった。 

そう気付いてから、何となく気持ちが楽になった。何となく、彼の人生に対する自分の無責任を責めてしまっていたから。全部彼が悪かったのだ。彼のことを思い出すとき、僕はいつも手を思い出す。彼がメディアで何冊も本を借りてきて、ページをめくり、めくり、ルーズリーフに何か書いて、めくり、めくり、そして十数ページ読んだだけで閉じて、また別の本を開いて、めくり、めくり、めくり…。それを遠くから見たときの僕の感情を、僕はまだ思い出せない。手をじっと見た。手がそこにあるだけだった。

今年、子どもが生まれた。妻が出した名前の案に「真」という字が入っていたから、そうじゃない名前を適当に選んだ。

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