![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169928284/rectangle_large_type_2_399430edbabf807eb50db00c9a5e088a.jpeg?width=1200)
研修制度の矛盾:やってる雰囲気感
身内の恥をさらすのは本意ではないけれど、年を越すにあたって、今年の総括の1部としてアップしたいと思います。まあ教員の気分としては、盆暮れ正月関係ないんだけど。3月末まで仕事は続くし。
都立高校の研修制度の問題点?
まず東京都の研修制度の問題が大きいと思いますが、校内行事が一息ついた10月に多摩地域:Area042の某中等学校で実施された公開授業に関しての感想のコメントから。自宅が近いってのあって参加させていただいた「世界史」の公開授業。その授業を見学すると初任研のポイントになることから10名近い初任の「世界史教師」が参加していました。それ以外は日比谷の有名人講師=高校時代の恩師や青山のこれも有名な講師=大学時代の指導教官?(正確ではない:ごめんよく覚えていない)でも二人とも都立高校の退職者ね!あとは立川と三鷹中等もいたかしら。あとから聞いたのですが同時期に「地理」の方も公開授業としての研修が同じ学校で実施されたようで、、、
まあ、担当させられた若手が10年目にもなるかならないかなのに、勤務校が良いからと言って公開授業を担当させられる矛盾を痛感した事でありました。また、更にその公開授業に参加させられる新規採用教員たちにとっては都内多摩地区Area042の立地を考えると、授業等の校務を犠牲にして、更に貴重な時間をかけて全都から午後の授業に集まってくる。羽村とか葛西南とか、、、東京都って東西に広いんです。
![](https://assets.st-note.com/img/1736767693-MPRjkOhywnQZmGDAYWKeITF8.jpg?width=1200)
しかし問題は、、、
彼らが勤務する「底辺校」や課題集中校では活用できない授業だったんです。そんな授業を良い授業として強制的に見学させられるのは愚の骨頂・不届き1000万ではないだろうか。今回見学させていただいた中高一環の進学校の生徒の実態と彼ら若手が日々接している生徒たちとはあまりにも違いに涙するのではないだろうか。
まぁそれでも我が都立高校ではもっと積極的に授業を公開できる見学できる環境を整備しなくてはならない。しかし、現実には構内ですら空き時間の関係で相互の授業見学がおぼつかない中で何をしろと言うのであろうか?
いやむしろ実質的には政策的なサボタージュ(やれって掛け声だけで実質的にやれんのって制度的な矛盾?)ではないだろうか。もちろん進学校で学んだ生徒が教員になった結果、その授業は劣化したかカーボンコピーに過ぎず、また自らの学習経験を否定するような新しい指導形態は生まれてこない。指導方法や概念に疑問を抱かず、依然としてコンテンツベースの授業をよしとする体質が蔓延していないだろうか。いやそれどころか「いいですね」って自画自賛ならぬ、褒めあってどうすんのよって感ありあり。そんなんでいいんかいな?
コンピテンシーベースへの道は険しきかな
Oecdと文科省はすでにコンピテンシーベースの授業に転換せよと指導要領にも明記されているにもかかわらず、現実の教室現場での指導の多多く定期考査の出題は依然として(括弧)穴埋めと暗記力測定の問題になってはいないだろうか。もちろんここまでの流れの中に、いわゆるベテラン層や指導教諭と言う職層(所謂4号給簿=主幹教諭と同じ)の教員の無作為が蔓延していたのは否定できない事実でもある。もちろん各学校においては、教科外の仕事が溜まっていることで、授業研究や自らの研修に時間を振り向ける事は難しい。特に若手にとっては半ば強制的に押し付けられる本務外のクラブ活動等もあり、本来の教育活動=ここでは教科以外の教育活動も妨げられる結果になっている。その最悪の結果として、総合的な学習の時間や探求的な学習を否定する教員が、ベテラン勢の中にも少なくなく、残念な現場が存在する。いやそれどころか「こんなのは勉強にならない」とか「時間の無駄だ」と悪態されつく再雇用教員って何なんだよ。再雇用なら黙ってろよって思うんだけど。それが0.7(給料の減額率)の仕事ではないでしょうか。役割は7割しかないんですけど。それでも言動は若手に影響するから。更に僕は4日勤務の「短期」なんで0.8かけると0.56=まあ半額ですわ。だから半分程度の仕事しかできない訳です。
要は生徒次第なんだけどね、、、、
彼ら生徒達がよければどんな授業でも展開可能である。もちろん教員側の努力がなくても、生徒側でなんとでもなるのも事実である。しかし、そこにあぐらをかいて教員側が創意工夫工夫もせず、自分が生徒に生徒だった時と同じような事業を展開する矛盾。恥ずかしくないのだろうか? また、ICT化と言う事から、形だけプロジェクターを使ってみたり、視覚的な意味を熟慮せず、ただ資料を一方的に投影するだけの指導例で良いのだろうか?せっかく音も使えるのに、せっかくカラーで投影できるのに、、、、
オーバーヘッドプロジェクター時代と同じ静止画像や文字情報を投影するだけに意味を見いだすことができない。特に生徒にとっては文字情報と言うテキストファイルをスクリーンから読み取る意味をどう考えているのだろうか。自分が生徒側にいたとしたら、そんな授業は御免被りたい。もし文字情報を的確に読める学力があるんであれば良いが、およそ大概の都立高校生にとってはそこに大きな課題が存在する。もちろん入学段階での国語力の問題でもあるだろう。一定レベル以下の都立高校=一般的に受験偏差値55以下だと日本語の学力に大きな課題を持っている生徒が少なからず存在する。現在の勤務校(総合学科)でも、前任校の単位制高校でもそうである。もちろん進学校においてはそのような事はありえないのであろうが、外国にルーツがあったり関連があったり(逆に帰国生とかは増える)、もしくは家庭の中で日本語を十分に学んでこれなかった生徒も少なくない。にもかかわらず日本語という文字情報=テキストを重視するのであれば、むしろ生徒たちに対して、過大な要求ではないだろうか。もしプロジェクターを使いたくて視覚教材を重視するのであれば、むしろむしろイラストや絵画、写真、データやグラフ等の数値を考える工夫をすべきだろう。ICTのプロジェクターからは音声も出すことが可能である。その意味では音楽を活用することも大切である。でも、そのテキスト文字ファイルは印刷されて配布してますから、、、投影する意味ないじゃん。更にその横に歴史語句を白板に記入する。
![](https://assets.st-note.com/img/1736179737-zjwXnsahkQTU9uIMPvDmGxE8.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1736179956-V3fEWpKe78U6Mqji29uO1wlt.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1736179814-S9H8yLfPvUY50x1iZa7uBDd2.jpg?width=1200)
若手が頑張ってるんはありがたや
今回の公開授業の担当してくれた(=多分させられたが正しいかな)教員は、僕が初任研宿泊研修の講師@埼玉の嵐山の1年あとに採用になった教員だったんで、彼の後ろに僕が担当した人たちの顔が浮かぶ。もう10年も昔になるんだ。でも、この10年はいろいろあったな。少なくても僕自身が還暦を迎えても定年退職できないとは想像できない展開。それに最後の3年間はコロナ禍で身動き取れなかった。それまでやってきた仕事が全て「否定」された感じ。いやそれ以前に都教委にも否定されてますけどね。まあ、その分僕が働かなくてもいいという事で納得させていますがね。
で、せっかくなんでもう少し感想というかコメント。
①選択の少ない生徒数なんだからもっと双方向性を高めればいいのに
②個性的な生徒(国際高校でもないのに金髪?僕はそこに違和感は感じないけど)や積極的な生徒をもっと活用すればいいのに
③せっかく資料読み取りするなら、英語とかも使えるんだけど。学力あるんだろ=多様な教材も活用すべきじゃねー 今に繋がる教材とか。 この地域は今どうなっている?って話は一回も出なかったし。国名すらね。地理じゃないからま、いいか。でも、今と過去を結ぶ繋がりも大切なんだけどね。
④でも、もっといろんなアプローチに挑戦してみればいいのに。誰もそれを非難なんてしないんだけど。少なくても僕は若手の教員が何やっても文句は言わないよ。当たって砕ければいいだけじゃん。上手くいかなくてもいいじゃん。少なくても自分が「楽しい」と思える授業ならばそれで良くね?
この「地域」を重視する話するんならその「地域」の民族衣装を着てくるとか、何か関連ある物を身に着けたり、、、実物の何かでも音楽でもいい。
普通にスーツ着てたりネクタイしてても面白くねえよ。ネクタイの柄でもいい。まあ、さすがに中国服を着て授業やってたら熱くなったのと袖が邪魔で黒板かけなくて脱いでしまったこともあるけど、、、ハンガーにかけて吊しておいたわ。NYの時はヤンキースを着ます; ヤンキーって義家じゃねーぞ。
![](https://assets.st-note.com/img/1736184430-hHcYWsd8MnQX597Zt2LE4UDT.jpg?width=1200)
⑤寧ろ、気になったのが公開授業後の研究協議
問題は、、、研究協議の中で、「クラブで忙しい バレー部?」とか、自分が高校時代に経験できた「クラブ活動=運動部」を大切にしたいとか、、、 それって校務外の事なんだけど。勿論若手=35か6歳ぐらいかってのもあって大変なんだろうけど、それを理由にするか? 進学校のプライドみたいに感じたって発言もあったけど、それって時代錯誤っていうか。そういうスタンスで授業やってんではダメじゃないか?
確かに僕が国分寺高校勤務してた時はハンドボール部に振り回されてたし、その後の国際高校でも杉並総合でもなぜかダンス部顧問てのを通算10年以上やってきましたが、体育科の教員が自分の専門の種目の顧問として頑張るとか、音楽科の吹奏楽部とかなら納得できるけど、、、、一般教科の教員が運動部の顧問って無責任すぎると思いませんか? 人が足らない? 外部に委託しろって文科も言ってるしね。この辺も別板にしますわ。
都立高校の学力レベルの1つの指標=音楽力
音楽の話が出たんで一つ追加の情報として合唱祭が可能であるかどうかという指標が存在する。もちろん課題曲や合唱曲の選定にも多くの課題を感じるけど勤務校もギリギリ企画が成立する。学校として合唱祭の存在も否定できない。進学校であれば、男子でもピアノの演奏ができる生徒が少なくなかった。また、いわゆる軽音部と言う蔑称の問題は別の機会に。ちなみに総合学科にはこの辺でプロ並みの奴が結構いるのが楽しい。Rock&Pop! 音楽に貴賎は無いはずなんだけど、、、、日本の音楽教育って何だろうか。Area042の都立高校のヒーロー忌野 清志郎(日野高校卒)はどう思うだろうか?
![](https://assets.st-note.com/img/1736607298-Sub9U7k6Zxi3mXnWsEhJBrTV.jpg?width=1200)