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パートナーの安全域でありたい話


感覚の違い

入籍して2ヶ月が経とうとしています。お付き合いを始めた頃もそうだったのですが、パートナーは出張が多く、月の1/3ほどしか家に居ません。長いときは4週間ぶっ通しで出張から帰らないときもあります。
彼もわたしも、入籍したからといってそこに変化があるわけでないことは承知していたのですが、最近彼が「新婚さんなのになー」とときどき口にします。"なのに"というセリフには、新婚だからもっと家に居たいとか長期の出張は嫌だという気持ちが込められているようです。「分かってたことじゃん」と言うのは野暮だということはさすがに分かるので、「お仕事大変よね」「わたしももうちょっといっしょに居たいなって思ってるよ」と労うようにしています。

分からないから

わたしは「ちょっと変わっている」とか「個性的」とか言われることが多かったです。遠回しに変だと言われています。以前記事でも触れましたが、幼い頃は"よくできること"と"できないこと"の差が大きいバランスの悪い子どもでした。人と同じになりたくて、子どもながらに一生懸命でした。

思春期に入り、周りが好きな人とかカッコいい人とかの話をし始めたとき、これ以上置いて行かれたくなかったわたしは、自分では理解できない恋愛感情というものを、他者の経験談や小説、エッセイ、コラムなどから学んでいました。
他者に触れたいという感情はありませんでしたが、付き合うと手を繋ぐようなので手を繋ぎました。その先も、敷かれたレールをなぞるように歩きました。こうするのが一般的らしい。こうすると幸せそうな女に見えるらしい、と。
ちなみに、一回それをぶん投げて自分の思うようにしながらもいっしょに生きてくれるパートナーを探していて、出会ったのが今の伴侶です。


インプットの集大成

ことコミュニケーションに対しては、インプットした様々な知識を自分なりに噛み砕いて集合体にしたロールモデルをもとに行動しています。脳みその引き出しの中にたくさん入っている成功談、失敗談、心構え、心理学的知識etc…それらをまとめ上げてできた"上手なコミュニケーションができる人物"ならどうするか?を意識しています。もともとは短絡的で短気で感情的な人間なので、テンションが上がったり感情的になるとこの過程をすっ飛ばしてしまうので注意が必要です。
本を読むのが好きなのも、noteやXで様々な人の生活を垣間見るのが好きなのも、自分に欠けているものを補いたいという側面もあります。単純なその人への好意とか興味とか知的好奇心も大きいですけど。

喜ぶようにしてあげたい

一応学習能力はあるので、長く接している人には、その人それぞれの性格や自分との関係性を鑑みて、自分の気持ちを正確にその人に沿った形で伝わる言い方で伝えるように出来ていると思います。しかし、ただのコミュニケーションといわゆる"恋愛の駆け引き"みたいな高度なコミュニケーションは少し勝手が違います。
友だちとも家族とも基本的には腹を割って話すので、ストレートな1対1のコミュニケーションでは必要のない"遠回し"とか"含みを持たせる"とか"試す"みたいなものが苦手です。
うかがうように見られてもどうしたら良いか分からないし、「どうしたい?」とか「どうしてほしい?」って聞いて、「したいようにすれば良い」って言われたらそうしちゃう。要望があるなら言語化して伝えて欲しいなって思います。
ただ、こういう「言葉にしてよ」って思う反面、自分にも言語化しにくい感情とか、言葉にできない弱い部分とかもあるので、相手にとって難しいところはわたしが分かる努力とか気持ちに沿う努力をしたいなとも思っています。

自分が、という視点から

わたしがパートナーを欲しいと思ったのは、ひとりで生きて死ぬ覚悟がなかったからです。順当にいけば、親は歳を重ねて自分より先に死ぬ。自分の家族というコミュニティがなくなったときに、ひとりでこの辛いことも多い社会で生きることを続けられる気がしませんでした。
隣を歩いてくれる人が欲しかった。おはようとおやすみが言えて、今日あった取り留めのない話を報告したくなる人が欲しかった。辛いときに頭をなでて「大丈夫だよ」って言ってくれる人が欲しかった。お土産やプレゼントを渡したり、「これ好きでしょ?安かったから買っちゃった」って、自分の愛を注げる人が欲しかった。
今その欲求が少しずつ満たされてきて、今度は自分にとってのパートナーでなく、パートナーにとっての自分という存在について考えるようになりました。

不安と不安定

籍を入れてすぐ長期出張に行った彼ですが、ラインのメッセージや通話でコミュニケーションを取っていますし、先日週末に出張先に会いに行きました。
言葉や態度の節々で感じるのは、わたしとの関係性に安心を感じていなさそうだな、ということです。長期出張前は丸2週間ほど自宅から出勤していて、そのときは安定していたように感じたのですが、最近不安定というか、なんだか寂しそうなのです。
「ぼくがどれくらいたまちゃんを好きか、伝わっていないと思う」とか「ぼくにあんまり興味ないもんね」とか「たまちゃんには友だちたくさんいるもんね」とか、自分を下げるようなわたしを責めるような拗ねたことを言います。最初は「なんで?!」と戸惑いましたが、俯瞰で見てよくよく考えてみると、弟が生まれたときの不安定な自分に似ているな、と思いました。
弟が生まれて、それまで自分だけのものだった母親に、自分より優先するものができてしまいました。この人にとって自分の価値がなくなったのではないかと不安になったわたしは、「ねえたまちゃんのコトすき?」「たまちゃんかわいい?だいじ??」と何度も何度も聞いて母親を困らせました。困ったようにしながらも母親は「たまちゃんは可愛いよ」「お母さんはたまちゃんが大好き」「たまちゃんが世界で一番大事だよ」と言ってくれました。それまでに形成されていた愛着関係が弟の存在によって揺らいだことで不安定になっていたのだと思います。問答を繰り返すことや「おねえちゃんは頑張っているから特別ね」とときどき物を与えられて満足したのか、少しずつわたしは安定していきました。

それを念頭に考えてみると、彼は新婚という世間的には一番ラブラブ(?)な期間に家におらず長期で物理的に離れることで、わたしとの関係が揺らぐのではないかと不安になったのかな?と推察することができます。

安心できる場所でありたい

これはもう信頼と愛着の形成を繰り返すしかないのかもしれません。離れていても好きだし大切だよ、と伝える。帰って来たらうれしい気持ちを、態度や言葉や表情で表現する。同じものを見たり食べたりして経験を共有する。そういうことの繰り返しで、「ここは何があっても揺るがないのかもしれない」と思ってもらえるのかな。

わたしはパートナーが欲しかったですが、特に結婚したかったわけではありませんでした。結果として既婚者というバッジは社会に溶け込むのに便利ですけど。支え合って生きていける人がほしかった。そして今思うのは、自分がそう望むように、彼にとっても居心地が良くて安心できて自分らしく居られる場所でありたいな、ということです。少し離れたくらいで不安にならないくらい愛情で満たせられたらいいな、と。帰って来るのが楽しみであたたかい居場所であれたらいいな、と思います。彼にとって優しい存在であれたらいいな。

あなたのおかげ

こういう風に相手のことを考えられるようになったのは、彼が最初にがんばってくれて、わたしを大切にしてくれたからだと思います。彼に対する関係性に対してわたしの中で余裕が生まれたから、慮れるようになったのだと思います。だからわたしも、彼の支えになれるよう努力したいです。恋愛感情じゃないかもしれないけど、好きだし愛おしいと思っていると胸を張って言えます。今までそれで悩んだけれど、もう「わたしたちはこれが良いの!」って開き直れるようになったと思います。大切な気持ちをカテゴライズする意味も分からんし。

最後に

過去の恋愛関係では、人の真似をしてなんとかそれなりの形を保とうとしていました。恋愛っぽいことが出来ていることが嬉しくて、相手のことを大切にできていなかったと思います。勝手に糧にされて溜まったもんじゃないかもしれませんが、今までの経験があったからわたしは今のパートナーと良い関係に落ち着けそうなのだと思います。
関係性は可変的で、今落ち着いていても居心地が悪くなるかもしれないし、もっと安心できる相手になれるかもしれない。別の個人だから、パートナー関係は努力の上で成り立っていることを忘れず、そのときどきのベストを選びたいと思います。

今日は少し肌寒いです。朝晩はひんやりするようになりましたね。あなたの秋の夜長に寄り添えていたらうれしいです。それでは。

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