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年内最後のお稽古にて、思うこと。
なんだかずっと気忙しかったので、心待ちにしていた12月の3週目にあった茶道のお稽古。
茶室に入ると、前回から掛け軸が変わっている。
なにかきっと季節の言葉だろうなあ、なんて思いつつ、じいっと見つめてもなんて書いてあるのかはわからなかった。
毎回のお稽古で楽しみの大きな比重を占めているものがある。
ー和菓子である。
先生は茶道の先生でありながら、メインである主菓子を、毎回自ら作ってくれている。
その時候にあったものが形となってちんまりとお皿に乗っている様は、とても可愛らしく、いつまでも眺めていたい…。
ちなみに先生はお花も生けられるし、書道もできる。もちろん着付けもできる。
なんていうこと。
…日本文化のエキスパート…ここにあり。
今回の和菓子は、なんとクリスマスツリーを模した練り切り。
ゆりね餡を抹茶で色付けし、中は黄身餡。
飾りもカラフル。そして上に降りかけられているのは、金箔、銀箔。
こんなに色とりどりな和菓子、初めて見たかもしれない。
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見た目は華やかだけれど、味はいつも通りのはんなりほっとするような優しい味。
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あとクリスマスのベルや星のクッキーに、紅葉のお干菓子、小豆入りの干菓子。
あとは、干し柿も出てきた。毎回お腹がいっぱいになるくらいたくさんのお菓子たち。
食いしん坊には、ありがたい。
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クリスマスシーズンしかお目にかかれない、落ち着いた金色の地にサンタクロースのお棗(なつめ)。
お抹茶の粉を掬う茶杓も実はクリスマス仕様。
螺鈿の控えめな輝きが、とても素敵。
御名を「星の光」というらしい。
クリスマスらしくモミの木でできた茶杓もあり、どちらを使うか選ばせてもらえたのだけれど、迷わずこちらに軍配があがった。
次に出会えるのは、1年後なので、お稽古の後に撮らせてもらう。
今回は、今年最後のお稽古。
終わり際、先生から来年の茶道手帳をいただいた。
先日投稿した「ここから始まる、茶道日記」でも触れた、いろいろ教えていただいたことを書き込んでいる、茶道手帳である。
月と兎の灰色がかった水色の表紙も気に入っていたけれど、冬の空のような明るく澄んだ水色もすがすがしくて、いい。
しかも、よく見ると辰の柄である。
表紙干支で変わっていくのかと知ると12冊集めたくなってしまう。
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早いもので気付けば、昨年わたしがこの教室に初めて見学に来させてもらってから丸1年が経った。
先日、定期的に会って近況報告し合う先生仲間でもある友人Eちゃんに、茶道を習いだしていることを話した。
お稽古1回あたりの時間を尋ねられ、
「3時間半くらい。」と答えると大層驚いたEちゃん。
「えっ、3時間半も何をしてるの?」
何しているの、と聞かれると何をしているんだろうなあ、と私も不思議に思う。
ただ、一杯のお茶を点てる。
その過程に、覚えなきゃいけないことや作法が山ほどあり、一つできてもまた一つ何かが抜け落ちている。
茶道って、優雅なイメージを抱いていたが、わたしはこの1年、そして以前にも1年弱カルチャーセンターで習っていたのにまだまだ拙く、優雅とは程遠い。
「茶道をしています。」と胸張って言えるまで、道のりまだまだ長い。
習いたての頃は、今何時なのか気になって仕方がなかったし、他の方のお点前を見ながらも、気持ちがそぞろになっている時間もしばしばあった。
お稽古が終わり帰路につくと、夕方の気配が顔を覗かせている。貴重な休日、この使い方でいいんだろうか、なんて思ったりしたこともあった。
けれど、仄かに香るお香の香りだとか、しゅんしゅんと小さくお湯が沸る音だとか、可愛いらしい和菓子とか甘みを包みこむお茶の心地よい苦さだとか、全て含めていつの間にかこの空間がわたしにとても大切なものになっていることに気付く。
一緒にお稽古している方のお点前をじいっと見て、ふるまわれるお茶を飲み、わたしもまた一杯のお茶を点てる。
普段の喧騒から離れ、気づけば心が春の海の如く凪いでいる茶室でのひととき。
毎回、そんな3時間半が気付けば、あっという間に過ぎていて驚く。
帰りがけに、掛け軸に書かれている言葉は何であるのか、先生に尋ねた。
書かれていた言葉は、「無事」らしい。
年の暮れにこの掛け軸を選ばれたということは、1年を無事に終えられての感謝ということなんだろう。
今ここに大きな怪我も病気もなく過ごせていること。
普段その有難さを感じることなんてわたしは正直ほとんどない。
けれど、怪我や病気をして、平穏無事という当たり前を失ってからようやくその有難さに気づくのではなく、日頃からこの有り難さにきちんと目を向けなければなあ、と改めて思う。
この1年も、仕事もプライベートも、しなければいけないこと、やりたいこと次から次へと波のように押し寄せてきた。
楽しいこともうれしいこともたくさんあったけれど、時に波に飲まれ塩水に顔をしかめながら、それらの波をやりくりすることで、精一杯だったように思う。
ただただ、目の前のことに心を寄せる、この茶室での凪のような時間がわたしには、必要みたいだ。
2023年もいつの間にか明日、明後日を残すのみ。
わたしとわたしの大切な人たちが平穏無事に2023年を終え、新しい年を迎えられますように。
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