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ADHDと普通の境目

  以前YouTubeでとある動画を見つけた。旦那さんがADHDのご夫婦の動画で、生活の仕方やADHDとの付き合い方について話されている。

このご夫婦は病気にきちんと向き合い楽しく暮らされていてとても良いと感じた。そしてコメント欄を見て、自分もそうかもしれないと言う人や、旦那さんは普通の人よりできているなどというコメントを発見し違和感を覚えた。

病院やクリニックでADHDだと診断され、動画を見て共感している人はわかる。おそらく病院に行くまでにたくさん悩み、そして診断されてからもこの病気と上手く生きる努力をしてるからこそ共感できるのだろう。しかし、この動画を見て自分もADHDかもしれないと思った人は、果たして本当にコメント欄にそういう事を書くだろうか。そもそも動画を見ているだけでは日常的にありうることも多く、自分もあるあると思うかもしれないが、根本的に普通の人と病気の人の違いを理解できていないのではないかと感じた。そんな中、一つはっとさせられるコメントもあった。

YouTubeのコメントが引用できない為スクリーンショットを貼らせてもらう。

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本当にこの通りだ。ADHDの人は、努力ではどうにもならない。

  何故この動画のコメントだけでここまで考えるかと言うと、私自身ADHDの気があるからだ。自分こそクリニックへ行って診断はされていない。だが何度もネットのADHD診断を行い、その度にクリニックへかかる方が良いという結果が出ている。人の気持ちを考えられずに発言し、人を傷つけてしまいその度に後悔する。忘れる事が多く勉強や仕事も人一倍時間がかかる。その分メモやノートをとる事が凄く上手くなった。集中力は5分と持たず、無意識に手遊びしたりモゾモゾしてしまう。ずっとだ。もう小さい頃からずっと変わらない。自覚症状が出てからは「気をつけて生きる」ようにしている。気をつけていても同じ間違いを繰り返す内に強い自責の念にかられた。私の場合、深刻に悩んだ末母に打ち明けた。母は養護教諭をやっており病気や発達障害に理解がある。そして恐らくADHDの気はあるだろうと私に言った。しかし、自覚があり「気をつけて生きる」ことができているから病院に行く程のものではないとも言った。その言葉に救われた。自分はちゃんとできているんだと思った。

いろんな事を病気のせいにすることは簡単だ。だが、病気で無いと思うことで改善策を考える事ができる。だから私は自分にADHDの気があっても、きっとそうではないと思っている。

こうして生きているからこそ、動画のコメントに、自分もそうかもしれないと書くだろうかと疑問に思った。このコメント欄の人達はここまで悩み、考えた上で自分もそうだと思ったのだろうか。自分の彼氏、彼女と一緒だとか旦那がそうだとか言う人は、本当に一緒に治す努力をしてみてそれでも無理で、一緒に上手くやっていける方法を考えて2人で向き合っている結果そうだと言えるのだろうか。

コメントを書くことは自由だが、コメントを書いた人達がそこからADHDについての理解を深められている事を願う。


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