スウ・ドン剣法免許皆伝47「今日から俺は」
主題歌のメロディが好きで、よく見ていたテレビドラマのタイトルだが、ドラマの内容は別にして、この言葉は剣道にも使えるぞと思っている。それぞれの年代で違いはあるが、僕らの小さい時は、赤胴鈴の助の真空斬りだとチャンバラごっこして遊んだ。強くなった気分がして、本当に真空斬りが出来た感覚でいた。あるいは、星飛雄馬になりきって大リーグボールを投げられた気分でいた。テレビや漫画の世界のヒーローは、僕らに途轍もない力を与えていた。サッカー、バレーボール、バスケットボール、柔道、あるいは悟空のカメハメハー、そのあこがれからスポーツを始めた人は多い。普通に考えたらそんな技出来っこないけど、出来る気分になったもんだ。小さい時は、素直に騙されて、仮面ライダーにもなれたし、その時俺は心の底からなりきっていたのだ。その頃の俺は無敵に強かった。大人になった俺は、変に目が醒めて、そんなこと出来っこないが先に来て俺はそんなに強くないと悟った気分でいる。でも今思う。「今日から俺は」「今日の俺は」「今度の俺は」、⭕⭕だーと思い込むことは、とてもいい事なのだと。自分の憧れる誰かになりきって活動し、剣の立ち合いが出来たなら強さの補完をしてくれるだろう。脳科学的にも証明されている。「今度の俺はムサシだ」となりきっていると、脳も騙されて心も体も強気で動けるものらしい。まさに子供の頃の俺だ。もちろんムサシの技を研究してなければ出来ないけれど。これが
「今日の俺はムサシだ」になり「今日から俺はムサシだ」になれたら最強になれたのだろうが、時遅し、あるいは三日坊主が常が凡人の証。研究してその物になりきった時、全てが自信満々で何の心配も疑問もなく、それこそ剣道の四つの戒め、驚く、恐れる、疑う、惑うはないのだ。それっていい事ではないか。それぞれ自分の知る現代の剣道家でもいいだろう。近くにいる誰かでもいいだろう。古い自分は、持田盛二だ、中山博道だ、中倉清だ、自現流だ、柳生新陰流だと、参考にしてなりきる対象は多い。剣道は変化してきているが、剣の技術を根底に含んでいる。ただ単にメンだコテだコテメンだだけでなく、ここをこうしたメン、だれだれのなんとかメンなど、技のネーミングをしておけば、今度は何何、次は何何と頭に浮かべ安い。手数は多い方がいい。これが通用しなければ次はこれ。ネーミングの力は実はとても大きい。最後にもう一つ。なりきってやっている時の利点がある。なりきっている時の自分は自分ではないという事だ。子供の頃の事をもう一度考えてみるとよく分かる。仮面ライダーをやっている時の自分は、自分ではなく、仮面ライダーなのだ。禅問答みたいだが、理解して欲しい。今戦っているのは自分ではないという事は、大事なポイントであるが、長くなるので今日はこれくらいでやめよう。オレガノはいい匂いのする香草だが、オレガオレガの強気は香りが強すぎて避けられる。
剣道再開の道筋が少し見えて来たが、どうなるだろうか。近づいてはいけない声出してはいけない、剣道してはいけないという事とおんなじだ。新しい生活の中にスポーツとして生き残っていけるのだろうか。