少量多目
今日のテーマは「少量多目」
なぜこのテーマになったのかと言うと、昨日外食を一人でする機会があり、大好きなメニューの大盛りを食べていて、自分に違和感を感じ出てきました。
具体的なステップは
地元の昔なじみの見せに行く
「いつもの」的なメニューであるタンメンの大盛りを注文
食べている途中で違和感を感じる
序盤で飽きてしまった(不味い訳では無い、むしろ美味しい)
他のメニューが気になり始めた
定食が食べたいと思った
中盤には、もう食べなくていいんじゃないかと思った
この経緯を改めて考えてみるたところ、昔の自分は好きなものをたくさん食べ満足していたのに「少量多目」に自分が変わってしまったことに気づいた。
さらに、なぜ逆の「1つを大量」だったかを分析してみたところ思いついたのが、
知識、経験が少なかったから
と行き着いた。
そして現在は昔に比べ知識、経験が増えたことが味への飽きに繋がってしまったのではないかと思いついた。
ちょっと話は違うが
奴隷制度があった時代、奴隷の人たちには鬱などの症状はなかったと聞いたことがある。啓蒙思想が広まり他の暮らしや考えを知ってしまった結果、自分と相対化して不幸だと認識し、現代では鬱などの症状を発症している人が多いのではないかと言うようだ。
今回の件も自分の中で知識、経験が増え他と相対化してしまい、タンメンに飽きてしまったと考える。
そしてもう一つ、刺激のなさからかもしれない。
いくら美味しいものでも食べ続けていると、刺激、情報は少ない。
変化がなければ飽きに繋がってしまうとも思った。
よく、甘いものとしょっぱいものが無限に繰り返してしまう。またビールと枝豆だけでも十分という人もいるだろう。
それは同じ刺激、情報でも間に別の刺激、情報が入ることによって一度リセットされ繰り返しても別の刺激や情報と認識し飽きがこないのではないかと思った。
そしてここで話してきて結論を言うならば
「次回はタンメンじゃなくレバニラ定食を頼もう」
と思った今日この頃でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?