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幼い頃のわんこな思い出
近所のミニトライブ
先日、夫と車で出かけた時、出発してすぐ夫が忘れ物に気づき、自宅周辺をくるりと回って戻ってきたことがあった。その時ふと子供の頃に、私をなだめるために行われたミニドライブのことを思い出した。
幼い頃は、犬を飼っていた。最初にコリー、その次にポメラニアン。ポメラニアンは2匹いて、ラッキーとポポという名のご婦人たちだった。ポポの行方に記憶がないが、ラッキーは小学校低学年の時、近所の駄菓子屋さんにもらわれていった。そして自宅にはペットがいなくなった。
母からは、その駄菓子屋さんに行くことをきつく禁じられた。私が行くとラッキーが元の飼い主を思い出してかわいそうだからという理由だったと思う。でも、きっと、私は、ラッキーに会いたいと訴えたのだと思う。そこで、大人たちが私をなだめるのに考え付いたのが、近所のミニドライブだった。
我が家に車は無かったので、隣家のお兄さんが運転する車に乗ることになった。車に乗る時、私はラッキーに会えると思っていた。そう説明されたのか、そう私が思い込んだだけなのか、それはよくわからない。でも、期待に胸膨らませて乗り込んだものの、歩ける範囲をくるっと回っただけで、車はすぐに自宅に戻ってきた。
車から降りる時、なぜ大人たちが私を車に乗せたのか、理由がわからないと思った。車に興味がない私にとって、車に乗ることが何かの代替になるはずがない。大きな不満が心の中でくすぶった。しかし、そのミニドライブに抗議することはしなかった。ラッキーに会ってはいけないという念押しであることは、理解したからだ。
愛犬との再会
でも、ラッキーには会いたい気持ちはずっと続いていた。ある日、ついに私は禁を破って、ラッキーのいる駄菓子屋さんの中に入った。友達も一緒にいたから、友達がその駄菓子屋さんに行こうと言ったのか、私が行きたいと言ったのか、記憶は定かではないが、私の目的はラッキーに会うことだった。
店に入ってしばらくすると、奥からラッキーが元気よく出てきた。しかし、彼女は新しいご主人様に夢中で、私に見向きもしなかった。新しいご主人様は気を使って、私が来たことを何度もラッキーに告げてくれたが、彼女は、一度も私を見ることがなかった。
この時私は、母がこのことを予測したから、ラッキーに会いに行ってはいけないと言ったのかなと思った。ラッキーが私を忘れてしまったことに、ショックを受けるのを防ぐために、禁止したのかなと思った。
でも、その時の私は、寂しいなとは思ったが、悲しくはなかった。新しいご主人様に向かって、尻尾をビュンビュン振りながらピョンピョン跳ねるラッキーを見て、どれだけラッキーが新しいご主人様を好きなのかを、どれだけ幸せなのかを理解した。そして何より、自分の中で区切りがついた。それからは会いたいという気持ちも、全く起きなかった。
もし、ラッキーと再会した時、少しでも彼女が私に関心を寄せたら、飼えない彼女を恋しく思って、きっと大きく傷ついたと思う。あの100%の無関心さが私を救ってくれた。そして、私の中で大好きな犬種は、ずっとポメラニアンだったりする。