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琵琶湖疎水の旅

3月、蹴上インクラインを訪れる

きっかけは美術館から

今年の3月末日、京都市京セラ美術館を訪れた。ついでに周辺観光が出来ないかとGoogleマップを見ていたら、「蹴上インクライン」という文字が目に入った。説明を読むと、どうやら「琵琶湖疎水」に関係しているらしい。

「琵琶湖疎水」は、琵琶湖周辺の近代建築を検索すると必ず登場する名称だ。何度もこの名称を目にし、それに関する記事をいくつも読んできたが、何となく頭に情報が残らなくて、ずっと興味の対象外としていた。しかし、せっかく徒歩圏内に関係施設があるなら、行ってみようかなと思い、「蹴上インクライン」に向かった。

蹴上インクラインとは

途中、「琵琶湖疏水記念館」を見つけたので、入館して、琵琶湖疎水の知識を入れた。知識は楽しさを増やす助けになる。

「琵琶湖疎水」は、簡単に言うなら、琵琶湖の水を京都にひくために、明治時代に造られた水路だ。ただし、その目的は人々の喉を潤すだけではなかった。

オーバーツーリズムで混雑する現在の京都からは想像もつかないが、明治時代、都が東京に遷ったことで人口が激減し、京都は寂しく衰退した街となっていた。その京都を再び活気ある都市として復活させようという目的が、「琵琶湖疎水」にはあった。

「琵琶湖疎水」の水は、電力発電、農業用水、工業用水など、産業の発展に大いに役立てられ、舟運として多くの貨物を運び入れるのにも活用された。その舟運の際に必要となったのが、「蹴上インクライン」である。

琵琶湖から繋がっている「琵琶湖疎水」は、京都の東側にある「蹴上」で、一旦陸路となる。「インクライン」は、その陸路から次の水路まで船を移動させる装置のことを言う。貨物を積んだままの船を台車に載せ、レールの敷かれた陸路を、ケーブルカーのようにワイヤーロープで移動していたらしい。

蹴上インクラインを歩く

現在見られるのは、そのレールの跡であり、その上を自由に歩くことが出来る。台車とその上に載せられた船の展示も、見ることが出来る。

蹴上船溜付近で見られた船を載せた台車

「蹴上インクライン」の両側には桜が植えられているため、桜見物の観光名所のひとつになっているらしい。今年は桜の咲くのがとても遅かったお陰で、3月末日であるにも関わらず、華やかな風景を楽しむことが出来た。

本当は沢山の人がいたが、Canvaで消した

「蹴上インクライン」のレールの周囲は、ごろごろ大きな石が転がっているため、非常に足場が悪い。その上、緩やかではあるが全長582mの登り坂だったので、少々キツイ運動だった。そして登り切った先には、琵琶湖疎水第3トンネル出口と旧御所水道ポンプ室が遠くに見られた。

琵琶湖疎水第3トンネル出口と旧御所水道ポンプ室

ポンプ室に近寄ることは出来ないかと道路側に回ってみたが、入口の扉は固く締められていて、中に入ることは出来なかった。その時、「乗下船場」という文字が目に入った。「乗下船場?琵琶湖疎水の船に乗ることができるの?」と思ったが、あまりにひっそりしていたので、疑問を感じながらその場を離れた。

4月、琵琶湖疎水船に乗る

きっかけは『成瀬』スタンプラリー

そして、その約1か月後の4月30日の朝。私は琵琶湖疎水船の待合室にいた。「この春を成瀬に捧げるスタンプラリー」の旅を提案した夫が、計画してくれたのだ。スタンプラリー後大津に泊まり、翌日、琵琶湖疎水船に乗る手配をしてくれた。まさか、琵琶湖疎水船に乗ることが出来るとは思ってなかったので、素直に嬉しい。

今回はもろもろの都合で、第一トンネルにほど近い三井寺乗下船場から山科乗下船場のルートを予約した。そのほとんどが第一トンネル内というルートである。

近代建築・大津閘門

三井寺乗下船場の見どころのひとつに、「大津閘門(おおつこうもん)」がある。「明治期の現存するレンガ造りの近代閘門としては、石井閘門(宮城県、重要文化財)が最古のものとして知られていますが、大津閘門はそれに次ぐ近代閘門として注目されています。」(大津閘門 | 見どころ | 日本遺産 琵琶湖疏水(びわこそすい)より引用)という建造物だ。

乗客は琵琶湖側の閘門の上にある通路を歩いて、疎水の向こう岸へ渡る。下の写真で左側にあるのが閘門。右側には乗客がいるが、人の大きさと比較すると、水面から閘門上の通路まで、かなりの高さがあるのがわかると思う。実際、通路から下を見た時は、吸い込まれそうでちょっと怖いなと思った。

琵琶湖側の閘門。両脇にレンガがあるのが見られる。

ちなみに、琵琶湖疎水船には「大津港」から出発するコースがある。「大津港」と言えば、「この春を成瀬に捧げるスタンプラリー」の旅で紹介した「ミシガン」が停泊する琵琶湖の港だ。

「大津港」からのコースを選択すると、大津閘門(おおつこうもん)を抜けるので、船に乗ったまま水位の変化を楽しいむことが出来るらしい。「閘門の隙間から水が流れ出る瞬間は圧巻」(びわ湖疏水船【公式】見どころ5大津閘門より引用)らしいので、一度見てみたい気もする。

いよいよ琵琶湖疎水船に

大津閘門から疎水に沿って数分歩くと、第一トンネル東口洞門近くの船乗場が見えてきた。洞門により近い船が、今回私たちが乗った船だ。

第一トンネル東口洞門付近

定員は12名。席は左右に分かれており、重さのバランスを取らないと船がひっくり返ってしまうので、左右交互に案内される。

夫と私の場合、夫が3番目に名前を呼ばれて右側前から2番目に案内され、4番目に呼ばれた人は左側2番目に、5番目に私が呼ばれて右側前から3番目に案内されて、夫と私が隣同士になる。

事前に、乗船の順番については、ガイドさんからかなりしっかり説明があったが、連れが案内されると、つい、自分も続いて乗船しようとしてしまう。要注意だ。

乗船後は、席に置かれたライフジャケットを腰に巻く。全員の準備が整ったらいよいよ出発だ。

明治時代の技術に感動

以前から明治時代に作られた洞門を間近で見たいと思っていたが、船のスピードは意外に速く、あっという間に通り過ぎていく。

トンネルを入って直ぐのところで、ガイドさんからトンネルの長さについての質問があった。1kmぐらいかなぁという乗客に対して、「ほとんどのお客さんが短くおっしゃるんですよね。何故だかわかりますか?」と更に質問が加えられる。

その理由をあれこれ考えていたら「それはこのトンネルがまっすぐ直線だからです」と告げられた。「え?」と思い、前後を確認すると、確かに出口の光がはっきり見える。カーブしている様子も全くない。

江戸時代には、伊能忠敬がかなり正確な日本地図を作っていたから、明治時代なら測量技術はあったのかもしれない。しかし、トンネルがまっすぐ掘れるかどうかというのは、全く別物だ。

20代の頃ゼネコンにいたので、トンネル工事の話も土木課の人たちから何度か聞いたことがあるが、両側から掘り進めて貫通させるのはとても技術の要ることだと教えられた。

「いや、なんか、凄い、凄すぎるぞ、このトンネル」と、何度もつぶやく。今回一番感動したのが、このトンネルが真っすぐだとわかった瞬間だった。

トンネルを入ってすぐの出口方向の写真。トンネルの全長は2,436mある。

今回のコースは先にも述べたように、トンネル見学がほとんどのコースではあったが、見るべきポイントは随所にあり、乗客のみんなが「おー」と何度も感嘆の声を発していた。

詳細は公式ホームページに譲るが、興味が湧いたら、是非体験することをお薦めする。「琵琶湖疎水船」の旅は、文字からはわからない、リアルならではの楽しさ・面白さに満ちている。

今後の予定

琵琶湖疎水には、水路にほぼ沿った散策道「そすいさんぽ」というものがある。「大津-鴨川コース」「鴨川運河コース」「疏水分線コース」の3コースがあり、琵琶湖からの距離を示す道標が整備されているらしい。今回は大津から山科までを船で楽しんだが、次回は山科から蹴上まで歩いてみるのも面白いかもしれない。

3月に訪れた蹴上にしても、蹴上インクラインの下にある「ねじりまんぽ」、南禅寺にある水道橋「水路閣」など、まだまだ見ごたえのありそうな遺跡がある。京都市京セラ美術館で興味のある展示がされた際には、再びそこから足を延ばして、周辺観光を楽しみたいなと思っている。

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