その道の名は日本の名。そして歴史は繰り返すのか?
(カバー写真 Wikipediaより)
以前、3回にわたって香港の道路名(王室、総督など)の考察を行ってきましたが、今回はそのスピンオフ企画。
さて、第二次大戦中は日本が香港を占領していたことは知られていますが、香港の主要な道路には、一時日本の道路名がついていたことがありました。
カバー写真は当時の総督磯谷廉介名で発表された地名及び道路名変更の公示です。
写真の上下が欠けているので書き出しました。
道路名
干諾道中 → 中住吉通
干諾道西 → 西住吉通
告士打道 → 東住吉通
皇后大道中 → 中明治通
皇后大道東(現皇后大道東及び金鐘道) → 東明治通
皇后大道西 → 西明治通
德輔道中 → 東昭和通
德輔道西 → 西昭和通
堅尼地道 → 東大正通
上亞厘道(現上亞厘畢道) → 大正通(東段)
堅道 → 中大正通(西段)
般含道(現般咸道) → 西大正通
東海旁(現軒尼詩道) → 八幡通
怡和街 → 春日通
高士威道 → 氷川通
英皇道 → 豐國通
干讀道(現干德道) → 出雲通
寶雲道 → 霧島通
彌敦道 → 香取通
太子道 → 鹿島通
地名
太平山 → 香ヶ峯
皇囿(現京士柏) → 九龍競技塲
大鐘樓(現畢打街一帯) → 昭和廣塲
快活谷(跑馬地) → 竹葉峽
兵頭花園(現香港動植物公園) → 大正公園
淺水灣 → 綠ヶ濱
堅尼地域 → 山王台
香港仔 → 元香港
なるほど、明治通り、大正通り、昭和通りなどいかにもって感じの道路名が割り振られました。でも香港仔→元香港ってどうよ。センスないな。
さすがに香港中の道路名や地名を日本風の名前に変えることは出来なかったようですが、こんな風にある日突然名前が変わったら大ブーイングものです。
残念ながら当時の総督である磯谷廉介の評価は、歴代の総督の中でも最悪のレベルです。名目上はイギリスから中国人を解放したことになっているのかもしれませんが、実態はイギリスより相当強権的で、日本人のイメージを大いに毀損したことは言うまでもありません。
もっとも地名に日本語が割り振られたのは香港だけではありません。一時期日本の統治下にあった台湾も同じです。
例えば台北の「松山」。松山には空港があり、かつては国際空港の地位にあったので、一時期日本の松山空港に直行便があり松山⇔松山という冗談みたいなルートもあったそうです。
また、松山⇔板橋のバスが通っていたりしますが、私は学生時代東松山市と板橋区をしょっちゅう往復していたので、こんな直通バスがあればよかったのにと思ってしまいました。
もちろん台北以外にも日本の地名がたくさんあります。
「高雄」と言えば台湾の南に位置する台湾第二の都市ですが、もともとの地名は「打狗」でした。台湾語の発音がタカオに近かったので、高雄の字を当てたと言われています。
台湾の場合、日本の敗戦後中華民国政府により大陸の地名が大量に投入されたのですが、なぜか日本の地名を一掃しなかったので、現在においても台湾の地名はなかなかカオスです。
香港の道路名は日本の敗戦により元の名前に戻されたのですが、香港は2047年には完全に中国の統治下に入ります。その時までに再び道路名の改称があることが予想されます。
皇后大道とか英皇道とか太子道とか、イギリス由来、特に王室関係の人名や事象が道路名になっているのは中国にとって目障りなのは想像に難くないですし、今でも有形無形のイギリス外しが進行中ですからねぇ。
しかも交通がイギリス式ですから、車は左側通行です。世界的に自動車は右側通行が多く、いわゆる先進国で左側通行を採用しているのはイギリスと日本くらいなものです。
もちろん中国は右側通行なので、一国両制終了とともに香港も右側通行になる可能性が高いわけですね。
もしかしたら前倒しになるかもしれません。
もう忘れている人も多いと思いますが、かつて日本も同じ問題に直面したことがありました。
沖縄の交通です。
沖縄は米軍統治下では右側通行に変えさせられましたが、本土復帰後左側通行に戻す必要性が生じました。
日本が1964年から加盟している「道路交通に関する条約(ジュネーブ交通条約)」では、一つの国で左側通行と右側通行の混在は認められていないからです。
なお中国はこの条約には未加入なので、通行が混在しても問題はありません…が!香港は加入しています。これは揉めそうですね。脱退してしまうのでしょうか?
沖縄県では、1978年7月30日に右側通行から左側通行に一夜にして変えました。
自家用車はともかく、ほとんどのバス・タクシーなどはこの時期に合わせて左ハンドルから右ハンドルに買い替えとなり、大量の中古車が中国などに輸出されました。
(余談ですが、90年代には香港から広東省に中古のタクシー「日産セドリック430」が相当数輸出されました。右ハンドルをものともせず、ドライバーはガンガン追い越しをかけるので、乗っていて怖かったです。)
ただ、運転は慣れるまで大変だったようです。
事前にバス・タクシー事業者で右ハンドル研修を実施してはいたとはいえ、沖縄も細い道が多いですから、プロの運転手でも縦列駐車や角度のきつい交差点などでの切返しなどに手こずる場面が多々見られたとのこと。当初は事故も頻発したそうです。
1978年の沖縄でコレですから、交通量が段違いに多い現在の香港では相当な困難が予想されます。
香港にはすでに廣東道も北京道も上海街もありますけど(ついでに東京街もありますがもちろん日本とは無関係)、皇后大道は重慶南路とか中山北路とか長安東路になるんでしょうか?
それとも建国路とか解放路みたいなコテコテの名前になってしまうんでしょうか?
(でも光復路はないだろうな…光復香港を連想させるので)
これはイヤですね。
2047年時点の中国首脳が、日本軍と同じ過ちを犯さないことを強く望みます。