惠康はWellcomeに非ず
住む場所が決まれば、そこで生活していかなければなりません。まず必要なのは、食べること。
お金があってもロクに言葉も話せない外国人にとって、スーパーとはまことにありがたい存在であります。
家から15分くらい歩いたところに小さめのショッピングセンターがありました。そこはGFが専門店、1Fが惠康、2Fが駐車場になっていました。おそらく香港生活最初の食品購入はここだったと思います。
しかし、そのスーパーは私が日本で通い慣れていたオダキューOXやイトーヨーカドーとは違っていました。
1st floor : 惠康
まず入るのに勇気がいります。三本のステンレスバーのついた回転する門?(スーパーに限らずあちこちの入り口で見かけますけど、あれはなんて言うんですかね?)は、小学生である私の心を萎えさせるのに十分な役割を果たしました。カリカリッと軽快な音を立てておなかでバーを押し回すと、もうそこからバックは出来ないのです。振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない。人生そのものだ。(大げさ)
買うものが見当たらなかったらどうするんでしょうか?
中に入ってしまえば日本のスーパーと同様で、財布と相談しながら普通に買い物が出来るのですが、どうしても日本製の商品をチェックしてしまいます。お菓子類は結構日本製品と思われるものが売られていて、袋に「株式会社」の文字をみつけるとなんだかホッとするのでした。
養命酒を見つけたときは「なんで漢方薬があるのに香港人がこんなの飲むんだろう」と思ったのですが、あまり身体が丈夫ではなかったせいもあって結局購入(笑)。麦茶で割って飲むようになりました。
外箱は日本語のままでしたが、中に入っていた説明書はもちろん中国語でした。「成人」の用量の次に「小孩」と書いてあって、なーるほど、子供のことを中国語で「小孩」って言うんだ、と即理解しました。はい、よくできました。
棚には蒸留水とミネラルウォーターが多数並んでいるのには驚きました。だって水ですよ、水。生水が飲めないとは聞いていましたが、買うもんじゃないだろ。高いし。1リットルくらいのボトルなんて日常生活ですぐになくなってしまうのに。
今は日本でも普通にボトルの水を買いますけどね。昔はありえないことでした。
こんな高くて重いボトルを買って帰るのはツライので、ウチではお湯を沸かして湯冷ましにして飲んでいました。
私の住んでいたエリアはメイドを雇っている人が多かったので、重い買い物はメイドに任せていたんだろうと思います。
レジに並んでかごを置くと、日本なら「いらっしゃいませ~♪」が聞こえるものですが、ここはまったく無言です。もっとも広東語で「いらっしゃいませ~♪」をなんと言うのかは当然わからないので、何を言おうが言うまいが関係ないのですが、やっぱり雰囲気でなんとなくわかるモノですよね。店員さんはむしろ不機嫌そうにも見えました。
しかも$500.-紙幣を出すと必ずウラオモテに透かして見るんですよ。偽札なんて使うワケないだろ、失礼な!それにおつりはもっと丁寧に渡せよ!あんたは商売の基本がなっとらん!……とは言いませんでしたが、慣れるまではついついそう思ってしまいました。
ただ、一度だけレジで感心したことがあります。支払いで小銭を出したときに、一枚のコインだけヒョイっと返してよこしたのです。それもほとんど見もせずに。母は一瞬困惑していましたが、別のコインを出したら今度はサッと受け取りました。
その返されたコイン、確かにクイーン・エリザベスの横顔が刻まれていたのですが、裏返してよく見ると…、あれ、豪ドルじゃん?
どこか別のところで買い物をしたときに混ざっちゃったんですね、きっと。
しかし見つけた店員さんは、なんであの一枚だけ香港ドルではないことがとっさに判断出来たのでしょうか?母は「レジ台に置いたときの音かしら?」と言っていましたが、あれは未だに謎です。
ところでここの惠康はWellcomeではなく「Dairy lane(大利連)」と呼ばれていました。この名称は、Dairy farm牛奶公司とLane Crawford連卡佛が共同出資して出来たスーパーなので、両社の名前を半分ずつ採ったものです。
もともと惠康と大利連はライバル関係にある別のスーパーだったのですが、合併してひとつのスーパーに統合されました。両社の店舗はあちこちに点在していましたから、店舗の名称をどうするかで揉めたか、あるいは面倒臭かったのか、70年代まではどこでも「惠康 Dairy lane」の表示が普通でした。だから当時の日本人は皆デイリーレーンと呼んでいましたし、私は今でもついついデイリーレーンと呼んでしまいます。
自宅調味料棚から発掘したバニラエッセンス、1979年頃製造
Grand floor : 専門店街
街市ほど広くはありませんが、茶餐廳っぽい飲食店、肉屋、八百屋、豆腐屋、プラモデル屋などがあったのを覚えています。
茶餐廳っぽい飲食店は正面入り口のすぐ横にあり、外から見えるガラス窓には「雲呑」の文字が読めました。当時は茶餐廳で食べるという習慣がなかったので(小学生ですし)、結局食べずじまいでした。母にねだって食べておけばよかった。ちょっと後悔。
乗り物好きなので当然プラモデル屋は大好きでしたが、なぜかあまり通った記憶がないです。ちょっと高かったせいかもしれません。置いている商品は日本とあまり変わりなく、「田宮模型」がハバをきかせていました。結局プラモデル本体は買わず、パクトラタミヤ(塗料)は何度か買った覚えがあります。
一番よく覚えているのは豆腐屋です。この豆腐屋の兄ちゃんはまるで商売っ気がなく、いつも小さな椅子に座ってぼーっとあたりを眺めていました。
ここの豆腐は結構美味しくて特に厚揚げをよく買ったのですが、近寄ると「豆腐?」とだけ話しかけてあとはなーんにもしゃべらない。大抵は小さな厚揚げ7、8個を天秤はかりに載せて値段を言うだけ。でも袋に入れるときに必ず2、3個おまけしてくれるのです。
だまっておまけしてくれる店って、香港で出会ったことありますか?
誤魔化せるものは10¢でも誤魔化そうとする人が多い中で、ここは異色でした。悪い人ばかりじゃないですよね、当たり前ですけど。それとも実は損して得取る商売上手だったのでしょうか?
あの兄ちゃん、今はどうしているかな。孫でも抱っこしてるかな。
さて帰りましょうか。
父がいるときは車で行き来したのですが、香港は運転マナーが悪く、母は事故が怖いということで一度も車を運転しませんでした。でも坂がきついので、買い物用カートを引っ張って帰ります。
実はカートを引いて帰るのにもコツというか、注意点があります。それは、
犬のフンに注意。
道すがら犬のフンがとても多く、飼い主のマナーの悪さが伺えます。自分は回避しても、うっかりするとカートのタイヤで轢いてしまいます。私は何度か母に怒られました。
道路脇には犬のトイレ、というかフンを捨てる場所がちゃんとあるんですよ。1.5m四方くらいに区切った土のエリアがあり、犬のイラストと下向きの矢印が書いてある看板が立っています。字が読めなくてもすぐわかるようになっていました。
でも、あまり使われている様子がないんです。使えよ。
今回紹介したショッピングセンター、実はまだあるのです。
35年ぶりに行ってみたら、冒頭の写真のMarket placeに改装されていたのでした。建て替えたかと思っていたのですが、よく残っていたものです。