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アーティゾン美術館M式海の幸森村泰昌ワタシガタリの神話


 前から気になっていた森村泰昌さんの「M式海の幸」ワタシガタリの神話。もう行かないかな、と思っていたけれど、この記事を読んでやはり行かねば、と最終日に駆け込んできた。
 この、さとなおさんは、私が関西に住んでいた頃にブログを拝見して、いつもとにかく美味しいお店をご紹介されていたので、お店選びの参考にさせていただいたり、ご著書も読んでいたり。

 最近美術館にまた行くようになった。足が遠のくと、もう一生行かないんでは?というくらい一年スパンで行かなかったりするけれど。
 さっきラジオで聞き齧ったものの受け売りだけど、アートを観に行きたくなるのは、つい正解を探りがちな自分に対して、アートは正解のない自由を与えてくれるからかもしれない。
 自由がないな、窮屈だな、と思うと、アートを観たくなるのかもしれない。いろんな見方も許してくれるのがアートのような気がする。

 森村泰昌さんの自画像的再現シリーズが好きなのも、森村さんは正解を見つけようとしているわけではなく、自分で再現することによって、わたしたちに、いろんな見方があるよ、という奥行きを示してくれるような気がするからかもしれない。
 アートは正解のない自由という言葉はラジオで京都芸術大学の先生のトークから今聞いたのだけど、とても印象に残った。

 私の親族の女性たちは私を除いて皆、芸術系の大学に進み、その道で生きている。その道で生きられるだけですごいな、と思う。
 私は見ること専門なのだけど、作り手になるというのはすごいことだな、と思う。親戚がそうなのだから私にも才能あったりしないかな、と昔は思ったりもした。
 才能って何だろうか、と思うと、彼女らを見ていると、とにかくそれをやり続けることなのかな、と思う。一つのことをやり続けることができるのは才能だな、と。嫌になることだってあるだろうに。やり続けると、そりゃ当たり前に上手くなるよねー、と思う。すごい素人の感想だけど。

 展覧会の構成は、最初に青木繁の自画像と、それにインスパイアされた森村さんの作品が並び、そのあと青木繁の作品群と、この展覧会の主題といってもいい「海の幸」。
 その後、「M式海の幸」変奏曲の制作過程が並び、満を辞して「M式海の幸」変奏曲が並ぶ。フィナーレは「ワタシガタリの神話」という映像作品だ。
 この順番で見ると、否が応でも期待が高まる。制作過程を見ると、アートは感性で一気に描きあげる、天才の技、みたいな変な思い込みを打ち破る緻密な制作ノート、ジオラマ、衣装などなど。
 アートとは、緻密に積み上げて作られるものなのだな、と改めて思う。これは昔、村上隆さんの展覧会で、プロダクションノートのようなものを見たときに思ったことと似ている。
 作品全体像がわからぬまま、こういう過程を観れるのはとてもワクワクする。期待が高まる。
 作品に到達すると、圧巻の一言。円形の部屋にぐるりと展示される作品群。その世界観に圧倒される。一つ一つの作品も面白いけれど、この一堂に会したこの展示室が一つの作品のようだった。
 この作品群は連作で、円環のように繋がり、ぐるりとまわるような気がする。
 一つ一つ細かく見ると、森村さん自身が総出演(確か男女85人ほどをお一人で表現されている)で、正直美しさ、みたいなものはあまり感じられない(すいません)のだけれど。美しいだけがアートではないんだな、と。
 最後の映像がまたいい。作品の解説でもあり、観るとまた作品に戻りたくなり、また映像を見て作品と2周。
 この展覧会だけでお腹いっぱいになったので、次のフロアの印象派はかなり流してみた。モネの作品をさまざま見ると、やはり先日見たレッサー・ユリィも印象派の範疇なのかな、など思いつつ駆け足。

 と、つらつら書いてみたけれど、観ていない人に伝わらないなぁ、と苦笑い。自分が後に読んでも思い出せないかも。
参考記事でも思い出せるかな。

https://artexhibition.jp/topics/news/20211001-AEJ523320/?amp

青木繁の「海の幸」

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