最初の病名が分かるまで
このnoteはしばらく、私と亡くなった母との記録が続きます。
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その当時、私は社会人4年目。
入籍は済ませたものの、まだ身軽だし週末は友達との予定があったり、旦那と出かけたり、気ままに過ごしていたと思う。
予定が空いていて旦那も不在の暇な週末だけ、実家に帰り、夜ご飯をご馳走になって帰ることがよくあった。この日もそんな感じでふらっと実家にお邪魔した。しかし、母の元気がない。ベッドに横になっていて食欲がないと。
2013年4月頃。母の具合は悪くなっていく。
近くの町医者を受診するも、薬をもらって経過観察。そしてその後も良くならず、また経過観察…。そして3度目の診察でついに、大学病院を紹介される。症状としては、胃痛。
てっきり胃が悪いのかと思っていた。そして、相変わらず私は何かのストレスなんじゃないかと信じて疑わなかった。
大学病院へ行っても初診で待たされ、診察されてもいまいちハッキリした原因が分からない。そのとき母はかなり弱っていて一人で病院に行かれないほど。私は会社を休んで付き添った。
血液検査をするも、何か病気を示すハッキリとした数値が出ておらず、薬を処方され、帰宅。母の具合はちっとも良くならない。日に日に弱っていく母。だって食べられないのだから当然だ。そしてある日、決定的な症状が起こり、入院することとなる。
気持ち悪さもなく自然に自動に、反射的に嘔吐してしまったのだ。これはおかしい、とさすがの強がりの母も異常を感じ、自らその大学病院に入院させて欲しいと願い出た。ほんとに辛抱強い我慢強い母だったので、自分から入院したいと言うなんてよっぽど辛かったのだと思う…。
なぜ、もっと早く私が行動に移さなかったんだろう。なぜこんなに悪くなるまで放って置いてしまったんだろう。なぜ、お医者さんはもっと早く病気を見つけてくれなかったんだろう…。過去のことは悔やんでも悔やみきれない。
2013年5月7日、母入院。