肝臓への転移と愛猫との別れ
しばらく更新があいてしまったけど、ようやくまとまった時間が取れたので、記憶がどんどん薄くなる前に…手元に手帳もないので過去を遡る手がかりがなく、断片的になるけど、記録のために書こうと思う。
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大腸癌のための治療をしてしばらくして、
検査を受けたら、肝臓への転移が分かったとのこと。辛い治療を乗り越えてもまた次の敵が…。
原発の癌が別の場所に転移するということは、
本当に良くないこと、とその時の私は知らず、本当に無知だった。
母が私を駅に呼び出して、ドトールコーヒーだったかな、2人でコーヒーを飲んでいる時に、転移があったと打ち明けられた。
私はその時の母の気持ちに寄り添ってあげられていなかったと思う。そんなに深刻な状況だなんて。辛かったと思う。私は、そうだったんだね。と返すことくらいしか出来なかった。
ただ、妹はそれがステージ4を意味しているということを理解していた様子。けれど、姉妹で母の病状や看護についてなんて話題にしたことはあまりなく、ただお互いの生活を一生懸命に過ごして時間は過ぎた。
2015年2月
父方の祖母が亡くなった。
その後を追うように、飼っていた猫(クロ)もその2週間後に亡くなった。20歳という大往生だった。
母は猫が嫌いだったが、父が無許可で飼い始めて、面倒は結局母が見ていたし、だんだん愛着が湧いたのだろう、気がつけば家のそこらじゅうに黒猫のマグネットやらマグカップやら小物が増えていった。猫は一緒にアメリカ駐在にも連れて行ったし、私が10歳の頃から30歳になるまで一緒に過ごした、本当に大切な家族だった。
クロの亡骸をペット専門の火葬場へ連れて行き、
骨壷に入れてもらった。大雨の日だった。
母は自宅から火葬場へ車を運転してくれた。体はきっと辛かったと思うけど、長年一緒に過ごした相棒のような存在のクロのために、1番ベストな方法で天国に送ってあげたかったのだと思う。
私たち姉妹は、火葬されてしまう最後お別れが1番辛かった。。涙を堪えきれなかったけど、母は涙を見せない。どうしてこんなに弱みを見せないでいられるんだろうと思うくらい、泣き顔は一度も見た方がない。
家には小さな骨壷とクロの写真を飾って、
立て続けに不幸が続き、あまり明るい気持ちにはなれなかったと思うが、私はこの頃第一子を妊娠中で、数ヶ月後には初孫を見せてあげられる!と、早く母の喜ぶ顔が見たいな、と思って過ごしていた。
里帰りもさせてもらうが、母の体力のこともあるので、出産のギリギリまでは自宅で過ごした。