空白を想う
夏休みの予定にワクワクしている人もいれば、夏休みの無い人が顔を真っ青にしている今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうかろくまるで御座います。
さて、最近はスケジュール帳に空白があるのが耐えられないのを空白恐怖症なんて呼ぶそうですが、これは絵描きやデザイナーでも似たような症例を持った人は多いと思います。
グラフィックデザインでも空間デザインでも、ともかく余白があれば埋めてしまおうとする心理も分からないではありませんが、しかしそれはそれで目が滑ったり、居心地が悪くなってしまうものです。
こうした言葉が出てくるくらい空白の時間、何もしない時間というモノが耐えられないという人が増えたと言う事でしょうか?
それはよろしくない。
空白、或いは余白というのは大事なモノで御座います。
空白や余白の無い時間の過ごし方と言う物はこれこのように句読点も段落も考えずに文字をトントントンと敷き詰めた読みにくい文書の如く疲れるただただ疲れてしまうだけで内容がひとつも入ってこないものです分かりましたか?
おふざけはさて置き、何もしない時間というのは脳を休めるのに必要な時間だと思っています。
私も最近はちょっと横になった時や手が空いた時に動画を見てしまったりしていますが、これでは脳が休まらない感じがいたします。
それよりかはぼんやりと部屋の観葉植物や、窓から見える空を眺めて物思いに耽ったりしている方が心身共にリラックスできているように感じるのです。
また、枯山水や屏風絵のような余白の美学も御座います。
例えば一本の木が立っているだけであっても、四季折々に変化するその周囲を思い浮かべれば如何でしょう?
或いは人の往来のある街中に立つ一本かも知れない。はたまた川のそばで風に揺れている一本かも知れない。
余白とは、空白とは、そうした見えない所に思いを馳せて楽しむのです。
今夜はひとつ、何もしない時間というのを一時間ほど設けてみてはいかがでしょうか。
それでは、また。