短編小説:杏ちゃんとミーコおばちゃん(短編集・春愁町2)
https://note.com/6016/n/n352d15d76d43
こちらの小説と同フォルダに入る小説になります。時間軸は少しずれますが、同じ商店街の中に起きる話。春なので優しい話を書こうと思ったそれの
2作目です。
1
「あの…吉本さん、教科書わすれたのやったら、私の見る?」
「ううん別にええねん、ウチちょっと外、行ってくる」
「えっ?今授業中やで?」
「えっ?授業中に外に出たらあかんて法律でもあんの?」
そう言い終わらないうちに立ち上がり教室の外に勢いよく駆けだして行ってしまう。小学1年生の春、杏ちゃんはいつもこんな感じやった。とにかく授業中に大人しくプリントの升目を埋めたり教科書を読んだりしていたためしがない。自由奔放にして天衣無縫、衝動の生命体、私の大切な友達の杏ちゃんはそういう感じの女の子やった。
今『女の子やった』とは言うたけれど、小学1年の春、入学式の日に初めての小学校の初めての教室で隣になった杏ちゃんを最初、私は男の子やと思っていた。
小学1年生は皆お揃いの名札を左胸につけることになっているから、当然杏ちゃんにも『吉本杏奈』という名札が付けられていたけど、そして『杏奈』という名前は大体の場合女の子の名前のはずなのやけど、何しろその頃の杏ちゃんの頭はショートカットより更に短く刈り込まれた丸坊主一歩手前の5分刈り言う案配で、注意してよう見たらそこには切れ長の目とその中に薄い茶色の大きな瞳のある、睫毛が頬に長い影を落とすそれはかいらしい顔があるのやけれど、日がな一日校庭のジャングルジムに登りお日様を身体中に浴び、そうかと思えばブランコを水平になるまで漕ぎ続け、大人の背丈ほどある鉄棒の上によじ登って更にそこから飛び降りる、とにかくずうっと教室の外を走り回って暮らしていた結果、年中真っ黒に日焼けをしていて、服装と言えば多分よう走り回って汚すからやろうけど、大体はTシャツにハーフパンツで、スカートやった事なんか見た事はないし、身長もクラスで一番高くて、クラスの中で一番身長の低い私と比べると頭ふたつ分くらい大きかった。
その見た目に加えて杏ちゃんの生態というのんか普段の行動というものが、抜群の運動神経に補強された衝動性に全てが支配されているというんか、それが本気でとんでもなくて例えば授業が始まってすぐに杏ちゃんは元気に挙手をするのやけれど、それは質問やとかトイレに行きたいとかの報告では一切なくて
「先生、今モンシロチョウが飛んでた!」
授業とは一切関係のない杏ちゃんだけの関心事で、そしてそれを報告した次の瞬間には外に飛び出してしまう。その杏ちゃんを先生が慌てて追いかけて行くと、校庭に逃げたはずの杏ちゃんは当初の目的のモンシロチョウのことなんかすっかり忘れて今度は中庭にある池の水の上に太陽の光が反射してキラキラしてとてもキレイやからその光ごと両手で掬い取りたいねんと言うてコケやら水草の茂ったどぶのように生臭い水の中に躊躇なくざぶざぶ入って行く。それで算数の授業と子ども達を放置した担任教師との
「吉本さん、戻りなさい」
「なんでなん」
「授業中ですよ」
「せやから授業中やったらなんで外にでたらあかんの」
全く平行線で意味の無い会話とつかみ合いの末、数十分の後、杏ちゃんは首から下のほぼ全身をぬめぬめとした水草や藻を絡ませた深緑色の生き物になり、去年大学を卒業したばかりやと言う担任の先生の泣き顔と共に教室に泥水を滴らせて戻って来て教室は騒然となる。
そんなことはもう日常茶飯事やった。
普通の学校の普通の教室に突如現れた全然普通と違う衝動的な野生の生き物、それが杏ちゃん。
しかしここまで奇人変人の濃度が濃いと、悪戯で口の悪いクラスの男子達からも一目置かれてしまうものなんか、男子に杏ちゃんをからかったりいじめたりする子は意外なことにひとりもおらんかった、というよりもそこには
「あいつはヤバイから、近づかんとこう」
教室の一杯に充満する暗黙の了解、同調圧力の中にあって杏ちゃんだけは治外法権なんやと、そんな雰囲気がそこにはあったし、対して女子は呪いの沼のように濁って汚い中庭の池に躊躇なくざぶんと飛び込むような女の子のことを
「うちらとは違う子や」
そんな感じにして視界に入れること自体を避けていた。空気が読まれへんどころか教室の秩序を叩き壊して踏みつけ授業を崩壊させるような子はその存在を許されないのやという女子の不文律が小学1年生にすらもう存在していて、それを守るどころかぐしゃぐしゃに丸めて窓の外からぽいと捨てるような態度である杏ちゃんは文字通り野生、孤高の1匹オオカミみたいな女の子やった。
そして隣の席に座ってその杏ちゃんの奇行というのんかな、そういうのを毎日をつぶさに見ていた私は、杏ちゃんのことを
(こんなの子の隣やなんてイヤやなあ、早う席替えにならへんやろか)
そう思っていたと言えばそうでもなく、時たま大人しく席に座っている杏ちゃんの横顔のほんのりと生えた産毛がまるで水蜜桃のように見えるつやつやとした頬とか、瞳の色が薄くて光にあたると更にきらきらとした鳶色に見えるところとか、背の高い分のすらりと細くて長い手足とか、あとは何より
(吉本さんは、足が速くてええなあ)
杏ちゃんが窓の外の何かに心を突然掴まれて刹那的に外に飛び出して行く時、その細い肢体がどこまでものびやかで、草原の野生動物のように自由にいくらでも遠くに走っていけることを途轍もなく羨ましいと思っていた。眩しいくらいに。
生まれつき脊椎に病気のある私は、今も昔も、両足が他のみんなのように自然に動かへん子やった。手術をしたりリハビリをしたりして自力で立ち上がれるようになったのがやっと4歳になる頃のこと、それやからウチのすぐそこにある幼稚園にも保育園にも
「こういうお子さんはお預かりしたことがなくて…設備も足の悪い子の為にはつくられていないし…それで怪我でもしたら大変ですから」
やんわりとそんな風に断られてどこにも通う事がでけへんまま、代わりに療育園という私と同じような、それかそうでもないような、とにかく身体の不自由な子どものいる施設に通って、6歳の春、そんでもやっぱり小学校は普通の学校に通うのが私のためにはええんやないかと考えた両親が、今度は入学の2年も前から市議会議員の先生に相談し、教育委員会に話を通して、今度は地域の公立小学校に入学できた。それで入学式の日、とりどりのチョークで『にゅうがくおめでとう』と書かれた黒板の一番前の座席に座った私は教室をぐるりと見渡して
車いすの子も、歩行器の子もいてへん。
誰一人自分と同じような子どもがそこにいないことに驚愕して、それから少し悲しくなった。この時まで私は、世界には自分や療育園にいる子どもみたいに歩行の為の装具とか車椅子とかその他の、色々な医療機器を携帯して生きている子が全体の半分くらいはいてるモノやと思っていたので、まさか自分が教室の中で少数派であるどころかたったひとりの、何もかもが特別あつかいの子どもやなんてひとつも考えてへんかった。
この頃の私は自力で歩けるようになったとはいえ、内またの、関節のこわばったような固い動きでごくゆっくりとしか歩く事がでけへん、それは一生治らん類の『しょうがい』として私の生活に定着してしまっているもので、体育は絶対見学やったし、トイレはみんなとは別のんを使てたし、遠足の日はおばあちゃんかお母さんがついて来る、そういう子どもで、せやから杏ちゃんは確かにその数々の奇行でクラスのはみ出しモンやったのやけれど、私は隣の席の杏ちゃんが『普通と違う』ということに実はとても安心していた。
うちらは2人ともはみ出しモンやね。
私は外に飛び出して行かない時は大抵机に突っ伏してぐうぐう寝ているか、何かのプリントの裏にひたすら4を暗算で足した数字を書き続けている杏ちゃんを見ては自分はこの小さな教室という箱の中でひとりぼっちでないのやわと少しだけ、心強く思えた。
でもそんな『はみだしモン』の私たちは、互いの属性があまりにも違う、全くの別方向をむいていたふたりやったもので最初のうちは殆ど会話が成立せえへんまま「おはよう」とか「ばいばい」程度の言葉しか交わさなかったのやけれど、朝の会で「今日は体育で持久走をします」と言わはった日、あれはまだ夏の気配のひとつも消え去らない秋のことで、休み時間、こんな陽気の日に外を走らされんのんはかなわんとぶうぶう言うていた同級生達がふと
「石塚さんはええなあ、走らんでええから」
最初はただの感想いうのんか、今日の体育が嫌やなあと、ドッヂボールがよかったとか、ちょっとした文句のような言葉やったものが、段々とクラスの中で
「なんか狡いよな」
「石塚さんはいつも特別扱いやんけ」
「歩くのはできんのになあ」
それは子どもらしい無遠慮な言葉から最終的にはクラスの特殊なひとりへの残酷な揶揄に化学変化を起こして、特にいつも塊になってドッヂボールやら鬼ごっこに興じている男子のグループから
「ずーるーい!ずーるーい!」
からかいと揶揄の両方が攪拌された面白半分の掛け声と手拍子を浴びせられる結果を生んだ。そういうの、言うてる方はきっとものすくご楽しいのやろし、相手が言い返さないと延々と続くのが常なものやと、私はそれをよう分かっていたのやけれど、私の気性というのか気の弱い性格ではひとことも言い返す事ができへんまま、俯いて机の傷に視線を向けてずっと黙っているしかなかった。そんなこと言われても足が上手いこと動かへんのはウチのせいじゃなし、お母さんのせいでも、お父さんのせいでもあらへん、何やねんこいつら全員殺したろか、私は猛烈に腹立たしくてしかし恥ずかしくて、それやから口の中がからからに渇いて、頭がかあっと熱くなって涙は出てくるし、ほんでも立ち上がってその場から逃げようにも、杖は教室の後ろに置いてあるしそれがあってもこの足ではさっと立ち上がってその場から機敏に逃げ去ることはでけんしで身動き出来ずにいたら
「ほしたらウチがアンタの足も動かへんようにしたるわ」
校庭の桜の木のてっぺんに登り、当然のように先生に叱られて戻って来た杏ちゃんが揶揄の中心にいた男子に飛び蹴りをして、腹ばいに倒れたところで更に膝の裏を踏みつけた。男子は杏ちゃんの見事な蹴りを背中に受けて倒れた時に机の角で頭を打ち、その驚きと痛みで大声を上げて泣いた、普通の子ならそこでもう攻撃の手を、この場合足やけれども、それを緩めそうなモンなのやけど、杏ちゃんは違う、起き上がろうとしてもがくその子の背中を器用に左足で抑えながら、右足で執拗に膝を踏みつけた。その躊躇も遠慮も迷いも無い狂気じみた暴力行為はクラスの誰にも止める事が出来ず、結局誰かが職員室まで慌てて呼んで来た担任教師と学年主任がそれを2人がかりの力づくで制し、杏ちゃんを抱えるようにして職員室に連れて行った。
男子は、立花君という子やったのやけれど、倒れた時に机の角にぶつけた時に額に小さなコブを作り、それを保健室で手当てを済ませて職員室に連れてこられた後もずっと鼻水を垂らして嗚咽を漏らし続けていた。そして連行された職員室の、衝立で仕切られた会議机とパイプ椅子の設えられた簡易な応接スペースで身柄を拘束された杏ちゃんは「うちの一体なにが悪いねん」という顔で腕組みをし、皆が一体何を言うているのか心底わからんと、そういう顔をして誰に促されても断固として謝らなかった
「だって、立花君らが持久走を走りたくないて、石塚さんを羨ましいて言うてたから、ほしたら足が折れて砕けたらもう走らんでええやんて思て、うちはそれを手伝うたったんです、それってあかんの?何?どっかおかしい?」
事件の関係者でありこの騒動の中心人物の1人として事情聴取の為に一緒に職員室に呼ばれた私は杏ちゃんのその理路整然とした暴論に半ば呆れてそしてなんだかおかしくなってしまってフフと笑って先生ちょっと嫌な顔をされた。その杏ちゃんの明瞭な暴言に対して軽症とは言え怪我をしてしまったということで電話で学校に呼ばれた立花君のお父さんは顔を真っ赤にしてぶるぶる震えながら
「一体何をどうしたらひとんちの大事な子に飛び蹴りくらわしといてこんな太々しいツラで平然と開きなおって座ってられるガキが育つんや、親どこや、連れてこい!」
杏ちゃんを指さして、コイツ頭おかしいのと違うかと言って怒り狂った。立花君のお父さんは、普段何をしているのかはよく分からへんのやけど時折黒くて巨大な車に乗って商店街とか駅前大通りで、世の中のここが間違ごうてます世界は陰謀に溢れているのですと言う手大きなスピーカーに大音量の音楽でそういうのを宣伝して歩くのがお仕事の人で、とにかくチリっとしたパーマに色の濃い眼鏡をかけた新喜劇に出て来るやくざみたいな見た目のおっちゃんで、先生達はこの保護者とはとにかく揉めたなかったらしい
「生徒同士の揉め事ですから保護者同志で話し合いをしていただけると」
そう言うて杏ちゃんの保護者も学校に呼び出した。と言うても杏ちゃんは父さんとお母さんとは暮らしていなかった。杏ちゃんの保護者として呼び出されたのは、私の家である『イシヅカ電機』とは目と鼻の先にある『やきそばのおかもと』のミーコおばちゃんや。おばちゃんは仁王立ちで腕組みして、なんやら懐から刃物でも取り出してきそうな顔をした立花君のお父さんに深々と頭を下げて
「ほんまに申し訳ない、何と言うていいのか、この通りです」
そう言うてから綺麗なお辞儀をして、ながいこと深く頭を下げて立花君のお父さんに謝ったのやけれど、その頭をぴょこんと上げてから、その、目でヒトを殺しそうな立花君のお父さんの見た目にはひとつも臆せず、こうも言わはった。
「でもまあ確かにこの子はちょっと変わった子ですけど悪気は…こんなことしでかしましたけどもほんでも意外にぜんぜん無いんですわ。ちょっと普通の子と考え方が違ういうのんか、だれかを助けたろ、なんかしたろと思た時の方法にちょっと問題があるというのんか、勿論怪我さしたことはホンマに悪いことです、杏奈にはよう言うて聞かせます。ほんでもね、菜穂ちゃんが生まれつき走る事がでけへんとか、杖なしで歩いたりでけへんとかいうのは別に菜穂ちゃんが悪いのとは違うわね、もちろん菜穂ちゃんとこのおじちゃんとおばちゃんのせいでもあらへん、それをやな、狡いやとか羨ましいとか言うて手拍子までしてからかうのは、ええことなんやろか、なあ翔?」
翔と言うのは立花君の下の名前で、立花君は実はミーコおばちゃんの店にいつもひとりでやきそばを食べにくる常連さんやった。それやからミーコおばちゃんは立花君が一体どういう家の子で毎日どんな暮らしをしているのか何でお母さんがいてへんのかもよう知ってはってんや。
立花君には去年からお母さんがいてない。去年の春、立花君の家から煙みたいにふっと消えてしまわはったんやて、私もよう行く駅前のパン屋のレジで働いてた立花君によう似た猫目の優しいおばちゃんで、お母さんの買い物について行った時に「これおまけやからね」とコロコロした小さなドーナツをひとつようくれはる、子どもの好きな人やった。
「旦那さんああいう人やろ、よう殴られて顔にアザ作ってはったけれどほんでやろか、なあ」
商店街の集まりがうちの電気屋であった時に、よそのおっちゃんやおばちゃんが小声でそんな話しているのを聞いていた私もその辺の事を何となく知っていた。それでその過酷な家庭環境にあった立花君のことを
「あんたお腹すいてへんか、ご飯たべてくか?」
そう言うて、ちょっとしたことを、服のほころびやら、校庭で転んで出来た膝の擦り傷やら、立花君の暮らしの諸々を気遣って繕うていた大人が立花君にとっては赤の他人であるミーコおばちゃんであって、そのいつも自分に優しいミーコおばちゃんに正面から真っ直ぐに真剣に叱られてしもた立花君は、きっとばつが悪かったのやろな、しぶしぶやけれど立ち上がり、そして意外と素直にごめんなと言うて私に頭を下げた。そして杏ちゃんには
「オマエの蹴り、マジで痛いで、二度とやらんといてくれ」
ちょっと恥ずかしそうに笑ってそう言うて、この話は沙汰なし言うことになった。
その日からや、私と杏ちゃんは一緒に帰るようになったのは。放課後、杏ちゃんから「一緒に帰ろ」と言われて、最初私は自分が杖をついても酷くゆっくりとしか歩けないし吉本さんは私と違って足が速いから速度がぜんぜんあわへんよと言うて遠慮したのやけど、杏ちゃんはべつにかめへんやんウチまっとくしと言うてくれて、ほんまはものすごせっかちで興味を引くモンがあったら何もかも忘れて飛びついてしまう癖のある子やのに、ホンマに私の歩みに合わせてゆっくり、ゆっくりと歩いてくれた。この日からずっと後になってから、あの坊主頭の髪がうんと長く、その頃から既に美しくあった姿形からさらに美しく、その細い手足がもっとすんなりと成長した杏ちゃんが言うのには
「うちな『誰かの歩幅に合わせる』とかいうの?相手に会わせるのを意識して歩くっていうのができたんは、うちの記憶にある限りなっちゃんと一緒に帰ったあの日が最初やわ、まあ今でもなっちゃんと一緒の時にしかやれへんことやけどな」
杏ちゃんは、この日から私のとても大切な友達になった。
2
ところで私が生まれるずっと前からミーコおばちゃんの家でお店の「やきそばおかもと」はウチの斜め向かいにあって、月曜日から土曜日の昼11時から夜の19時までお店をあけてはる。
それは、何種類かの焼きそばとお好み焼きと、冬はおでんに、夏にはかき氷、あとはおばちゃんの気分次第で焼きおにぎりやとか唐揚げが出ることもある、そういう近所の子どもや中高生がお小遣いを握りしめて友達と来る店や。以前は畳屋さんだったらしい古い木枠のガラス戸に掛けられているろうけつ染めの暖簾をくぐると、真ん中に鉄板のあるデコラ張りのテーブルが4つに6人程座ったらもう満席になる油がようしみてテカテカしているカウンター、20人もお客さんが入ればもう店はぎゅうぎゅうになる小さな店や。大体の子がたのむ焼きそばはひとつ350円で、ほんでもすぐそこの高校のラグビー部とか野球部のごっついお兄ちゃんらが
「おばちゃん大盛りにしてな!」
そう言うと、ホンマに山盛りの麺にキャベツともやしと豚バラとイカ、小食の4人家族なら十分お腹いっぱいになりそうな量の大盛りの焼きそばが出てくる、それでも550円。
「ミーコおばちゃんのお店、潰れてしまわへんやろか」
10歳上と7歳上と4歳上、3人の兄がいる私は夕暮れ時、部活動でグラウンドを走り回って、その結果顔も膝も真っ黒にして帰って来た兄とその友達に「ミーコおばちゃんの店行くで、菜穂も一緒においで」と声をかけてもらい、兄に背負われてミーコおばちゃんの店に行くことがようあって、そこでは夕飯の前やからなと、特別にミニサイズに作ったかき氷やとかおでのこんにゃくを食べさせてもらっていたのやけれど、その隣の、おばちゃんのお店の常連のラグビー部やとか陸上部の子らの頼む「ゾウかてここまで食べへん」と思うような大盛りのやきそばを見ていると、ミーコおばちゃんはこれでちゃんと儲けが出るのやろうか、ちゃんと自分はご飯を食べられているのやろうかと心配になって、兄がお金を払う時、自分で持ってきていた小さなちりめんのがま口から500円玉を出して
「ミーコおばちゃん、うちもお金はらうし、あんなに山盛りで焼きそば出して550円は安すぎやてうちのおじいちゃんも言うてるねん、おばちゃんの店が潰れてまうて」
お店が潰れておばちゃんがいなくなったらうちはものすご淋しいねんと、祖父から貰った銀色の硬貨をミーコおばちゃんの温かい掌に握らそうとして兄達に大笑いされたことがあった。兄達は
「菜穂は心配性やな、おばちゃんはこの量で30年近う低空飛行でもギリ店を潰さんと商売してはるのや、そんな心配いらんて」
と言って大笑いしたけれど、ミーコおばちゃんは、カウンターの中の厨房から出て来て、私の前にしゃがんで膝をつき、うんと優しく笑うてから
「なっちゃんは優しいねんな、せやけどおばちゃんはその日に自分がひとり、食べられる分のお金があればそれでええのよ」
優しくその500円玉を私の掌に返して、ついでに飴ちゃんまでくれたのやった。それが確か小学校に入るほんの少し前のことで、その頃杏ちゃんはまだミーコおばちゃんの店にはいてなかった。そして春、突然杏ちゃんはミーコおばちゃんの店で暮らし始め、そこから小学校に通うようになった。親戚やろか、隠し子かもしれんでと近所の人は噂したけれど、ホントのところは誰もわからんまま。
大体杏ちゃんの名前は『吉本杏奈』で、ミーコおばちゃんの名前は『岡本美衣子』、苗字も違うし、切れ長の目に日焼けして小麦色の細い肢体の杏ちゃんと、丸顔に丸い二重の大きな目にもち肌で色白のミーコおばちゃんでは全然見た目も違うしいっこも似ていない。年齢も杏ちゃんは私と同じ年で、ミーコおばちゃんは杏ちゃんと暮らし始めた当時は50歳を少し行ったとこやったやろか、親子という感じではないしかと言って別に孫と祖母という訳でもないのらしい。
うちのお父さんなんかはその手の噂話なんかはどうでもええらしく、店先におる2人のことを見てはよう「かいらしキツネと気前のええタヌキさんや」と笑って言ってはったけれど、とにかく2人は姻戚関係も血縁関係も無さそうに見えるし関係性がわからへん。そもそもミーコおばちゃんはずっと1人であのお店をやってはるのやし、過去に結婚していたとかそういう話も
「ミーコちゃんはここに来た時は30の少し手前やったか、今よりほっそりしてはってまあきれいな子で、とにかく1人で店をやりたいんですて言うて、ホレあの、不動産屋の民ちゃんが言うてたのには、分厚い茶封筒に入ってる現金でホイてあすこの店を丸ごと大根買うみたいにして買わはったて聞いてるけどな、結婚は…してない言うてたし、今日の今までもそんなことは無かったと思うで」
元・商店会の会長やったウチのおじいちゃんが言うには、そういう話はひとつも聞いたことは無いのやそうで、どうしてミーコおばちゃんが杏ちゃんと暮らしているのか、杏ちゃんはミーコおばちゃんの一体何なのか、その関係はひとつも解らないまま、それでも私と杏ちゃんは仲良くなり、毎日一緒に学校に行き、時折私が
「ええて、下ろしてや」
と笑いながらそんでも
「なっちゃん軽いわ、あと1人くらい全然ヨユウで背負えるでウチ」
運動神経は抜群でその上相当に力持ちでもある杏ちゃんがランドセルふたつに私ひとりを背負って商店街を全速力で走って帰り、店先にいたお父さんを驚かせたり、ウチの店がかき入れ時の春先と年末、それからクーラーの注文と設置と修理の依頼でお父さんとお母さんもおじいちゃんまで朝から晩まで家にいてへんような夏はよう杏ちゃんのお店で焼きそばを食べさせて貰った。代わりにミーコおばちゃんのお店が高体連やら文化祭のシーズン、打ち上げの高校生とかリトルリーグの子どもらがようけ来て満席どころか外にまで子どもがあふれかえって、もう杏ちゃんのご飯どころやあれへんという季節には夕方ウチに夕ご飯を食べに来てそのまま一緒にお風呂にも入った。
友達というよりはもう同じ年の姉妹みたいなもんにうちらはなっていったのやった。
そんでも私は杏ちゃんに、どうして杏ちゃんは両親と暮らしていないのか、もしかしたら死んでしもてこの世にはもういてないのかなとか、そして何より杏ちゃんにとってミーコおばちゃんは一体何なのか、そういうことを聞いた事はなかった。それは元々駅向こうのどら焼き屋の娘で、せやから商売屋の娘としてこの土地でずっとそういう商売の理いうのんか、義理と礼儀は絶対やという道理の中で育って暮らしているうちのお母さんが
「なっちゃんあんな、人には色々と事情っちゅうもんがあるねん、なっちゃんかてあんたの足をやね、何も知らへん人から『その足、なんで動けへんの』とか『もう治らへんの』なんてしつこう聞かれたら嫌やろ?知らんがな、こっちが聞きたいわて思うやろ?せやからな、人様の事情はいちいち詮索はするもんと違う、向こうが話してくれたらそうなんやて静かに聞くもんなんや。ほしてな、それを話してくれはるということは、相手の子がアンタを信頼してくれてはるてことなんやから、おかしな突っ込みは一切せんと、ちゃんと最後までうんうんて相手の話をよう聞いて、それで聞き終わったらまず『話してくれてありがとう』てひとことお礼を言いなさい」
そう言うていたし、私もお母さんの言葉を「それもそうやな」と納得して、杏ちゃんのこれまでのことはずっと何も聞かんままいた。どうにもならんことをひとに聞かれて曖昧に笑わなあかん時の気持ちが、とても暗くて苦いものやというのを私は自分の足が思うように動かんせいでよう知っていた。
ふつうとは違う身体を持って生きているというのは、子どものうちに色々と我慢して暮らすいうのんは、人の心の小さな傷やほんの少しの歪みに敏感になるて言うのんかな、ある部分でふつうの子どもよりすこしだけ早う大人になってしまうて、そういうことなんやと思う。
そして杏ちゃんもまた、私の足がどうして普通の子のようにうまく動けへんのか、給食の後に飲んでる薬は何なのか、そういうのを一度も聞いてきたことがなかった。私たちはそれぞれの事情を「言うてくれるまでは聞かんとこう」と思って聞かずに過ごしていたのやと思う。
それに何よりうちらは「アンタの足では危ないから」とお母さんにきつう禁止されているブランコに2人乗りして空が掴めへんか雲を手に取れへんのかを真剣に本気で試したり、杏ちゃんがウチのお尻をよいしょて押してジャングルジムの一番上に上げてくれてそこに2人だけの王国を作って空想の世界の王子と姫やとか、魔法使いと妖精やとか、そういうのになって遊ぶことに忙しかったので、お互いの持つ仄暗い事情とかそんなモンは、2人の王国の中ではほんまに小さな些末なことやった。どうでもええと言うのんか。
でもある時、あれはミーコおばちゃんが昔にお世話になった大切な人のお葬式で、急に遠くに行かなあかんことになった小学校4年生の時や、日帰りは流石に慌ただしいやろけどやっと10歳になったとこの杏奈を1人で家に置いとくのは心配やしと言うてたミーコおばちゃんに、杏ちゃんならウチで一晩くらいは預かりますがなと、面倒見のええうちのお母さんが胸を叩いて、杏ちゃんがうちに泊まりにきた。ほんならお願いしますと言うて喪服姿のミーコおばちゃんに見送られ、と言うてもウチの斜め向かいですぐそこのミーコおばちゃんの店から水色のリュックサックを担いで来た杏ちゃんと、それを迎えた私は
「お泊りやて!」
「杏ちゃん、うちの部屋にお布団2つ敷いて一緒に寝よ、な、お母さんええやろ」
もう嬉しくて嬉しくて、うちの電気屋の前で互いに手を取りあって歓声を上げた。あん時は秋の大会の近い時期で、夕方、お日様が沈むのと同じくらいにお兄ちゃん達が泥だんごみたいになって帰って来るし、その泥団子どもの入った後のお風呂なんかに預かりもんの女の子である杏ちゃんを入れられへんておじいちゃんが言うので夕方、まだ少し明るい内に早めに一緒に入ったお風呂の中で、私の背中と腰に大きな手術のあとがあるのを初めて見た杏ちゃんは
「これ、どうしたん?何なん?」
とは聞かず、ただ
「なっちゃん、これ痛いことない?お湯につけても大丈夫なんか?」
それはずっと昔の手術の痕で、昨日今日の擦り傷や切り傷みたいにお湯に浸かったからってしみるなんてことはひとつもないのに、その瘢痕が痛くないのかをとても心配してくれて、自分でも見てもケロイド状になっていて醜くて大嫌いなそれをそっと指の腹で優しく撫でてくれた。それで私は杏ちゃんのその躊躇の無い傷への労わりにとても驚いて
「杏ちゃん、これ、怖いことないん」
そう聞いたのや。この傷は流石に他の何も知らん子が見たらコワイかもしれんと自分は思ていたし、お母さんもこれを見た子が「なにそれコワイ」やとか「気持ち悪い」やら言うたら私が深く傷つくやろうと、それを気にして今まで誰にも見せんように気をつけていたモンやったから。でもあの時、杏ちゃんとお風呂に入ろうと言うたのは私の方で、そうしたらこの傷を杏ちゃんの目の前に包み隠さずに晒してしまうことになるのに、どうしてそんな風に思えたのかあん時はよくわからへんかった。でも、あの時の私はもうすでに杏ちゃんのことを心から信頼してたのやろと、今はそう思う。
「うーん、どやろ、もしかしたらこういう傷が知らんひとの体にあったのやったらちょっと怖いかもしらん、せやけど、何せウチの大事ななっちゃんやからな、心配が先や、びっくりすんのはあと」
そう言うてくれたので、私はなんやら胸の内側が真冬におじいちゃんの寝床でゆたんぽを抱かして貰った時みたいにほっとあったかくなって、杏ちゃんに自分の事を初めて話したのやった。
私に生まれつきの病気のあること。
何度か手術をしたけれどそれでも下半身が上手く動かないこと。
週に1回リハビリと月に1回大学病院に通ってはいるけれど、もう良くはならないこと。
どころか身体が大人になっていくことで、自分の体が自分を支えきれなくなってもっと悪くなってしまう可能性のあること。
そもそも両親は私がこの病気のことを、今は自力で歩けても、いずれまた少しずつ悪くなるものなのやと、『予後不良』であるということは知らないと思っているし、私も家族の前ではつとめて明るく振舞っていたのやけど、いつか今よりもっとずっと足がこわばって関節が硬くなり、自分の足で歩いて移動ができなくなるかもしれへん、その日がくることがとても怖くて哀しくて夜、布団に入った時に天井に小さく灯された灯りを見て泣いてしまうことも全部、私が溺れてしまわないようにお父さんが手すりをつけてくれた湯船の中にゆらゆらと私の長い髪の毛をゆらしながらぽつぽつと話をした。杏ちゃんは、普段なら例えば国語の時間に突然
「なあ、サバンナモンキーの金玉てすごい綺麗な水色なん知ってる?」
とか話したいことを話したいように話す子なのやけれど、この時だけは、うん、うんと言うて私の話を聞いてくれて話の最後には
「話してくれてありがと」
にこっとしてお礼まで言うてくれた。そして少しだけ何かを、お風呂の天井を見上げながら考えて
「その病気な、うちがいつか治したるからまっとき」
そう言うたのやった。杏ちゃん何言うてんねん、これは駅の向こうのとこにある大学病院の先生にもお手上げなんやで、指定難病言うて国のえらい人も「治りません」て認めてはるねん。私は笑ったけど、杏ちゃんはウチは本気やでと言うてからにやっと笑ってお湯の中にぶくぶくもぐってしもた。杏ちゃんは泳ぐのも得意なんや、でもお風呂ではあかんで、のぼせてしまう。私がそう言うと、杏ちゃんはざばぁと湯舟から出て来て、そんで私に
「なっちゃんは、なんかウチに聞きたいことないの?今なっちゃんの秘密を聞いてもうたんやから、ウチにもなんか聞いてもいいで」
にこにこと自分に聞きたいことはないんかと言うもんやから、私は、杏ちゃんと仲良うなってからずっと不思議やなあと思っていたことを思い切って聞くことにした、うちらは今、自分の一番大切な秘密を交換しているのやと思って
「あの…あんな、ほしたらうちもひとつ聞いてええ?その…杏ちゃんはどうしてミーコおばちゃんと暮らしてんの?お父さんとお母さんはいてへんの、もしかしたら亡くならはったとか?」
それは杏ちゃんと出会ってからの私の3年越しの疑問やった、もしかしたら杏ちゃんはこれだけは聞かれんのはイヤやったかもしれん、口からその質問をするりと吐き出してから私は少し心配になったのやけど、当の杏ちゃんはけろりとして
「え、ううん両親は生きてるで、もうずっと会ってないけど西宮のでっかいマンションで両親と弟とで暮らしてるはずやわ。ウチ捨てられてん、オマエなんかいらんて小学校に入る前に最初はおばあちゃんの家にポイって置いて行かれてん、ほしたら、おばあちゃんもウチのことはよう育てんて言うて、そんで最後にそんならウチにおいでて言うてくれたのがミーコおばちゃんやねん」
杏ちゃんのあまりに残酷で明瞭で、なんちゅうか私には全く理解不能な回答に私は軽く眩暈がして杏ちゃんが支えてくれへんかったらもうちょっとでお湯の底に沈みこむとこやった。
3
杏ちゃんがミーコおばちゃんの家で暮らし始めたいきさつはこうや。
杏ちゃんは元々兵庫県の西宮市いうて、うちらが今住んでいる古い商店街のある町とは比較的近いのやけれど、でも雰囲気のかなり違う若くて新しくてきれいな街に、ちょっとした事業をしているお父さん、せやから社長さんや、そういうお父さんと、そのお父さんよりは10歳程若い綺麗なお母さんと暮らしていた。杏ちゃんは生まれた時はまあよう泣く元気な赤ちゃんやなくらいのことで、とくにおかしなこともない、健康で「普通」の子やったそうや。
でも問題はその後で、杏ちゃんは1歳を待たずに歩きはじめて、言葉も同じころから出始めて、新しい言葉を日に日にどんどん覚え、2歳でもうひらがなとカタカナと簡単な漢字も読めたのらしい、文字と数字に関する興味と理解がフツウとは全然違う、3歳になる頃には、掛け算ができたとか。
「すごい、天才児やん」
「せやろか。でもそれのせいでな、お母さんはこの子は賢いねやて、なんか変に期待してしもたんやろな、幼稚園に入るより先に小学校受験のための幼児教室みたいなとこに入れられてんけれど、まあ何せウチのことやから教室のちいちゃい椅子に30秒も座ってられへんで、お教室用にて買うたお高い紺のジャンバースカートを暇やからて工作用の鋏でざくざく切ったり、隣の子にひたすら「どこからきたん」て話しかけてみたりやね、あと「昨日のお夕飯は何を食べましたか」て質問に過去1ヶ月の分の夕ご飯のことを話してたりしててんな、ほしたらもう来んといてくださいて言われてん」
「…杏ちゃんて昔から杏ちゃんやってんなあ。その幼児教室やら言うのに入れること自体が間違いやってお母さんはすぐ思わはらへんかったんかなあ、うちは確実に向いてへんと思うねんけど」
「ウチもそう思う」
そんでも何とか杏ちゃんは3歳の時、杏ちゃんの家のすぐ近くの私立大学の附属幼稚園に入園した。そこでも杏ちゃんは、通園用のカバンに朝には入っていたはずのお手拭きタオルやコップを毎日全てどこかに置き忘れ、外遊びの時間が終って先生がお教室に入りなさいと言うてもそれを無視してずっと砂場で護岸工事をするか、飼育小屋の兎にタンポポの葉っぱを与えてひとつも言うことを聞かん。発表会の歌の練習で先生がいっこでもピアノを間違うとあかん煩い音やと言って怒り、クリスマスの劇は衣装がちくちくするからという理由ではぎ取って逃げるし、ぐりとぐらも、こぐまちゃんも「どうぶつはしゃべらへんやろ」と言うて読み聞かせをすべて拒否して愛読書は電話帳。それである日杏ちゃんのお母さんがとうとう
「お願いだから普通にして、それができないのなら一日中、ずっと黙っていて頂戴」
と言うたそうで、杏ちゃんはそんならそうするわと言うて1年間話すのをやめたのやそうや、お母さんや幼稚園の先生に何をどう言われても口を開けへんかった。杏ちゃんのやりそうなことや、杏ちゃんは相手の言うたことを言うたように捉えるんよな、そんでまた自分で決めたことは絶対に覆さへん、自分が正しいと思たら絶対に謝らへん、ほんまに頑固なんやから。
それで年長の時、弟が生まれた事もあって、取り扱い説明書なしの難解な精密機械のような杏ちゃんと、まだ手のかかる小さな赤ちゃん、2人を抱えたお母さんはとうとう音を上げた。
「こんな子、育てられない」
そうして杏ちゃんは、お父さんの宝塚にある実家に連れていかれたのやそうや、ホンマならお父さんが
「よし、そんなら杏奈は俺に任しとけ」
と腕まくりするのんが普通なんやないのかと思うのは、うちのお父さんが末っ子の私にものすご甘くて、リハビリでも病院でもピアノのお稽古でも、いつもおんぶして私を送迎してくれんのが私の日常やからなんか、とにかく杏ちゃんのお父さんは、自分は仕事が忙しいし、大体子育ては自分の仕事と違うと言うて子どものことは少しも構わんまま、お母さんが泣いて杏ちゃんをもう自分では育てていく自信がないと言い出した時も
「母親の君がしっかりしていないからだ、僕の母親は父の会社を手伝いながらでもちゃんと僕と兄を育ててたぞ」
そう言うて、自分ではなんもせんまま、それでも杏ちゃんをもうどうする事もでけんと言うて生まれたばかりの息子のお世話はかろうじてするものの、杏ちゃんのことは5枚切りの食パン1袋渡してあとは放置するようになった杏ちゃんのお母さんと、一日黙って電話帳を眺めている杏ちゃんのことをさすがに見て見ぬふりはできず、とりあえず杏ちゃんを実家に連れて行ったらしい。でもその実家でも衝動的で活動的過ぎる上に、生態があまりにも謎である杏ちゃんは、もうすでにだいぶおばあちゃんやった「仕事をしながら兄弟を育てた立派な母」である杏ちゃんのおばあちゃんには扱いきれなかったそうや、おばあちゃんもまた1ヶ月を持たずにこの孫娘に対して根を上げはった。
「何なのこの子、おかしいわよ」
そう言うておばあちゃんは杏ちゃんのお父さんとお母さん、それからお父さんのお兄さんとその奥さんを電話で自宅に呼びつけて、アンタ達でこの子を何とかしないさいと迫ったのやそうや。
「そんで、そんなん言われてもウチではこんな子面倒見切れん、ほしたら施設に入れるか、せやけどふた親揃っててお金もちゃんとある家の子なんか引き取ってくれるもんやろかて話になった時に、なんでなんかそこにいたミーコおばちゃんが、それやったらウチが連れて帰ります、いつかこの子が惜しくなって『返せ』いうても返しませんけどよろしいなて言うてウチのことをここに連れて来てくれてん」
「ほんなら、ミーコおばちゃんてやっぱり杏ちゃんの親戚の人か何かなん」
「それが、しらんねん」
「えっ…ほしたら、杏ちゃんは今、一体誰かしらんミーコおばちゃんと暮らしてるて、そういうことなん」
「そういうことやねん」
長風呂してるとのぼせてしまうでとお母さんが洗面所から呼んで、うちらはお風呂から上がり、兄3人と父と母と祖父、それから杏ちゃんと私、7人の騒がしくて賑やかな夕飯の後、私の部屋にお母さんが早めに敷いてくれた2枚の布団の上、ころころと転がりがら杏ちゃんが話してくれた杏ちゃんの半生はまるで映画かドラマのようやった。
両親が早くに亡くなった訳でもない、貧乏で泣く泣く子どもを手放したとかそういうことでもない、ただ杏ちゃんが扱いにくいから、面倒やから、回りの大人がみんなして何とか工夫して杏ちゃんと繋いでいなければいけないはずの手を放して、結局今は赤の他人のミーコおばちゃんが杏ちゃんを育てている。杏ちゃんはこの話を私に笑って話して聞かしてくれたけど、私はなんやらものすごい理不尽な、そしてどこか人の血の通っていないような杏ちゃんの親族の態度にすうっと背中が冷たくなった。
そして何よりも
「ミーコおばちゃんてすごいんやな…」
そう思たんや。その場にどうしてミーコおばちゃんがいたんか、ミーコおばちゃんが杏ちゃんの何なのかは全然わからんのやけれど、ほんでも人間の子どもひとり連れて帰って育てるて、ちょっと並大抵の事やないと思うねん。ハムスター飼うのとはわけが違うねんから。
「ウチもすごいと思う。ミーコおばちゃんはな、ウチをここに連れてくる時に『杏奈ちゃんあのなあ、お父さんとお母さん言うモンは子どもを選ばれへんねん、子どももお父さんとお母さんを選ばれへん、でも今日、おばちゃんは杏奈ちゃんを選んでん、おばちゃんはこの先あんたをどこかにやったりとか、もういらんて言うて捨てるとか、神様に誓って絶対にせえへん、せやからどうやろ、杏奈ちゃんはおばちゃんを選んでくれるやろか』てそう言わはってな、ウチも流石に実の親におまえなんか要らんから出て行けて言われたて、捨てられたんやて、あの時幼稚園児やった自分ではようわかってへんかったけど、ほんでもそういうのって雰囲気くらいは伝わって来るもんやん、流石に淋しいて思てたんやろな「ウチ、おばちゃんと暮らすわ」て言うてからワンワン泣いてん、阪急電車の中で」
ミーコおばちゃんは、昔からそういう人で、立花君もそうやけど、色々とお家がややこしいことになって、お父さんは仕事やしお母さんは家出して、せやから誰も子どもの面倒を見てない家の子とか、着るもんにも食べるもんにも困ってへんしお父さんもお母さんもいるのやけれど、お家で全然大事にされてへん、そういう子を見ると放っておかれへんと言うのか、つい
「アンタ、なんか食べていくか?いらん?ほしたらここに座っとき」
そう言うて優しく声をかけて、その子の食べられるモンを作ってあげたりして、それもお金はまた今度でええよて言うて結局1円も貰わんまま、その子の親に商店街で会うことがあっても
「あんたのとこの子にタダで焼きそば食べさせてあげたんやで」
なんて一言も言わん、そういう人なんや。でもまさか親戚でもなんでもない子を引き取って育てているやなんてそんなこと思ってもみいひんかった。
そうして、ミーコおばちゃんは結局何処から来たのか、杏ちゃんのお父さんの家とは一体何の関係のある人なんか、それは一切謎のまま、実際のところ全くの他人かもしれへん杏ちゃんを育てているのやという逸話っちゅうか謎をまたひとつ追加して、毎日元気に店を開け、旺盛な食欲の中高生を相手に山盛りの焼きそばを焼き、そのお金の中から
「あたしは、菜穂ちゃんみたいにピアノとかやらへんかて言うてんけど、杏奈はピアノよりも数字が好きやいうねん」
そう言うて、商工会議所の小さいビルの2階でやっている公文に杏ちゃんを通わせたりしていた。お影で私もお母さんに「丁度ええわ、あんたも杏ちゃんと一緒に行きなさい」て公文に放り込まれてしもた。まあそれはそれで楽しかったんやけど、なんせ杏ちゃんは私の10倍ほど賢いもんやから、あっという間に高校生のやるような問題を解き、私はいつまでたっても学年相当、そこはちょっとだけ面白くなかった。
そうして杏ちゃんは、その髪と背丈がするすると伸びて中学生になる頃には、他の小学校から来た杏ちゃんの数々の武勇伝をなんも知らん男の子が、放課後杏ちゃんをどこか空き教室に呼び出して「つきおうてくれへんか」なんて月に1人は言うてくるような、ほんまに綺麗な女の子になった。そんでミーコおばちゃんは年頃の女の子はおしゃれをするもんやろて、お店が休みの日には時折梅田とか心斎橋まで出て杏ちゃんに似合う洋服を探して買うのを一番の楽しみにしていた。と言うてもミーコおばちゃんはお金持ちとは違うから季節ごとに1枚か2枚、それをせっかちな杏ちゃんが
「服なんかどうでもええから早う帰ろうやおばちゃん、あっ、うちイカ焼き買うてきてええ?」
と全然興味のない顔をしているのをよそに
「ええやないの、おばちゃんの一番の楽しみなんやから少し位つきあってえな」
そう言うて、この頃小学生時代に散々担任教師との追いかけっこをして鍛えた逃げ足を生かして陸上部に所属していた杏ちゃんの、よう日焼けした長い手足に似合うワンピースやらTシャツを時間をかけてじっくり選んで買うて、杏ちゃんはその間にイカ焼きやらたこ焼きやらをその辺で買うてきてお店の外でもりもり食べていた。
そうやって杏ちゃんとミーコおばちゃんは年の離れた親子のような、ちょっと若いおばあちゃんと孫のような、そんな風にして仲良う暮らし、杏ちゃんの変人ぶりはそのままやったけれど、とにかく美しくて成績は学年トップで、そうやって学力と外見でゆるぎないアドバンテージを取ってしまった杏ちゃんに周囲はもう
「あの子、変わってるよな」
そんなことを何も言わへんようになり、けれどやっぱり能力ゲージが平均を大きく振り切ってしまうとまわりからは浮くもんらしい、私は私で、足の事があって見た目にも普通と違うし結局、私と杏ちゃんは、中学生になっても、杏ちゃんとは学力差が激しすぎて「無理やて」と兄達に笑われていたのを、必死に勉強して杏ちゃんと同じ府立高校に入学してからも、2人して周囲からは何となく浮いていた。
うちらはやっぱり、互いに世界でたったひとりの、一番大切な友達やった。
4
うちらの世界が大きく動いたのは、うちらが高校を卒業して、それから杏ちゃんがまさかの阪大に受かり、高校に入学した頃からまた1段階下肢の動きの鈍くなってしまった私が通学や通院のことを考えて単位の殆どを通信、リモートの授業で取得できる、市内の私立大学に合格を果たした頃やった。
高校でもダントツ首位の成績を取っていた杏ちゃんは、若い担任の先生が全国模試の結果を見ながら興奮気味に「オマエは京大や、とにかく京大に行け、な?」と言うのを
「いやや、そんなん遠いわ、ウチ朝起きられへん」
朝もっと寝ていたいんやとその期待を一蹴して、そんでも阪大に合格した。専攻は医学部医学科。
それがまた周囲の度肝を抜いた。杏ちゃんは予備校やら塾なんかにはひとつも行かんと、そのころ少し膝を悪くしてお店に長時間立てなくなっていたミーコおばちゃんに変わって夕方制服の上からエプロンをして店の鉄板の前で焼きそばを焼きながら、その難関を易々突破してしもたという事実もそうやけど、何より杏ちゃんの事をよう知っている人間からすると
「杏ちゃんが6年後にホンマにお医者さんになったら、研修医の段階で死人が出るのと違うか…」
あの杏ちゃんが人様の命を預かる職業を目指すのは大丈夫なことなんかということで、うちの3人の兄のうち一番下の兄は杏ちゃんとおんなじ大学の理学部で、うちらが大学生になった年に大学院に進学したのやけれど、杏ちゃんみたいなモンは臨床に出たら最後、確実に何かやらかして訴訟になるさかい、悪い事は言わん、俺みたいに基礎研究をすることにしとけと散々言うていたし、その兄の親友で、浪人して兄とは1年遅れで京都の大学の法学部に進学していた花屋の隼太ちゃんは
「ええか杏奈、もし万が一医者になって下手こいて医療訴訟になったら、そん時は力になったるからまず俺に連絡せえ」
大真面目な顔でそう言うていたけれど、杏ちゃんは将来は脳外科医に、それも小児の脳外科医になるねやと言うて、6年後どころかもっとずっと先の自分の未来を決めてしもてるようやった。
「杏ちゃん、脳外科医ってな、うちが長いこと自分の病気でお世話になっている先生がそれやから知ってるけど、選ばれし人しかなれへん、相当な難関なのやで」
そう私が言うと、杏ちゃんは
「知ってる、せやけど簡単なことなんかやってもつまらんやろ」
自分はそのためにいくらでも勉強するつもりやと言うていた。そうなんや、杏ちゃんはいっこも落ち着きのない、まあいうたら奇人変人に類する人間なのやけれど、同時に興味と感心のあることならいくらでも机の前に座ってられるて、とんでもない集中力の持ち主で、その間はお風呂も食事も、何ならトイレも、生活の概念いうもんか、それが消失するらしい。
せやから私とかミーコおばちゃんがよう気を付けてないと「そう言えばうちお風呂に5日程入ってないわ」なんてフツウに言い出すもんで怖いのや。あんな綺麗な子やのに脂でべたべたしたフケだらけの頭でおるとか、そういうのをうちはもう信じられへんくて、ようそんな杏ちゃんの首根っこを捕まえて家に連れて帰り、洗面台で犬みたいに頭をごしごし洗ってあげたもんや、もう犬のトリマーになった気分やった。
そして杏ちゃんは宣言どおり、1回生からとにかく死ぬほど勉強して、ミーコおばちゃんの焼きそば屋を手伝う役目はその杏ちゃんと姉妹のようにして育った私に巡って来た。これは別に誰に頼まれたわけでもなくて、私は大学生になったと言うても、週の殆どを通学せんで家で勉強するわけやし、そんであとは病院に行ったり自宅である電気屋の店番をするだけの生活で暇いうたら暇やし、ミーコおばちゃんの店やったら通勤いうてもすぐそこやし、何より自分が勉強しているんは経営とか会計のことで、それならうちもミーコおばちゃんの力になれるんちゃうかと思たんや。
いつもひとに何か手伝うて貰わんと暮らせへんかった私が、一生懸命焼きそばを焼いて、それを食べてもろて、美味しいて喜んでもろて、それでその日暮らせるだけのお金を稼いで、もしかしたらこういうことをほんの小さな単位ででも自分の力でやれるのやったら、うちはいずれ自立いうのんか、誰にも頼らんと、1人で身を立てて暮らしていけるのかもしれん。
それに気が付いて、毎月の月末にバイト代を手渡しでもらうごとに自信を少しずつ蓄積していった2回生の頃、うちはその考えを持つに至った自分がとにかく嬉しくて、そこに生まれた自信がほんまに楽しくて、ある日の夕方、飢えた高校生の子らが来るかき入れ時の時間のすこし前、それは夕方のお日様が商店街の西側のアーケードに掠るようにして茜色に沈み始める少し前の時間や、もやしを洗いながらミーコおばちゃんにこそっとそれを話した。
「おばちゃん、自分でお金を稼いで暮らしていけるのかもしらんて思たら人間、なんか力が湧いてくるもんなんやね、うちな、昔からお父さんとお母さんからな、それは愛情やてわかってんねんけど、アンタは足が悪いのやから無理せんと、将来もこの店を手伝うといたらええし、お兄ちゃんが店を継いでもここで暮らしてええのやでてずっと言われててんけど、それは違うんちゃうかなて思っててん。ほんでも、うちこういう身体やろ、じゃあどうしたら1人で生きて行けんのかって考えて、例えばどっかうちのことちゃんとしたお給料を満額はろて雇うてくれるとこはあるのかなあて、思ててんけど」
自分で店とか事業とかやるて考え方もあるんやねえ。そうやって自分が食べて行ける分だけ稼いで小さい暮らしを立てていくのは、結構幸せなことなんかも知れへんねえ。
そう言うたらミーコおばちゃんはニコっとして
「うちも同じこと、今のなっちゃんよりもう少し年いった時に考えて思いついて、ほんでこのお店を始めてん。お陰様で杏奈もこのまま成人するまで育てられそうや。あんなあ、なっちゃん、おばちゃんはな昔々ちょっとひとにはちょっと言いにくいような類の仕事をしててんな、そこで無茶して身体を壊して、お医者さんにもうアンタには子どもは無理やて言われてん」
突然、自分の半生いうのんか、昔話を始めた。おばちゃんはこの町からそう遠くない、おんなじ市内の、ちょっと治安いうのか人気いうんか、そういうのんのあんまり良うない地域に生まれて、そんで両親がなんかの理由でおばちゃんを育てられへんて6歳位に突然、児童養護施設みたいな所におばちゃんをぽいと預けて、ミーコおばちゃんそこで18歳になる年まで暮らしていたのやけれど、さあ高校を出てこれからと思てるところに両親が迎えに来て、実は家に相当額の借金がある、せやからお前も働いてくれて言われたのやて。両親は一体何にそんなに使うたんか、全然マトモじゃない金融機関からびっくりするような額のお金を借りていて、それの返済のために丁度18歳になったばかりのミーコおばちゃんを働かそて、そう思わはったのらしい。
「まあ、18の娘がマトモに働いて返せるような額面やなかったし、うちは親に言われるまま色んなとこで色んなことしててん。なっちゃんももう大人やし何となく分かると思うけど、ミナミなんかのちょっと裏手に入った路地みたいなとこに、なんやえらいギラギラした電飾の看板がようけあるやろ、まあそういうお店やわ。そこで働いて、働いたお金はほとんど全部親に吸い上げられて、全部終わったからお前は用なしやて言われたのが25歳とかそん位やろか、そんでじゃあ今度はちゃんと昼間にお日さんの下でふつうのお勤めをして生きて行こうと思たら、今度は行くとこがなかってん。家には『もう帰って来んでええで』て言われて帰れへんかったし、そんで4年程やろか、「オマエは真面目やから」てその…お店の社長さんが紹介してくれて、宝塚の大きいお家でお手伝いさんみたいなことして暮らしてお金を貯めてん。ほんで昔18から25まで働いてた店でお客さんに直接もろてたチップみたいなお金をみんな貯めといたのと、住み込みで働いてたそのお金を全部合わせてここの店を買うたんやわ」
にこにこしてそんなどっかのやくざ映画みたいな話をするミーコおばちゃんの顔をまじまじと見つめながら、私はしばらく言葉が出てこんかったのやけど、ミーコおばちゃんの話の中に結婚とかそういう話がいっこもないことに気が付いて、私は思い切って長年の謎をひとつ、尋ねてしもた。そしたら杏ちゃんはおばちゃんの何なんて。
「あの…そしたら杏ちゃんておばちゃんの」
「杏奈?赤の他人や。その…25歳位から4年程住み込みで働かしててもろたお家、それがあのホラ、杏奈のお父さんの実家で、うちを雇うたてくれたのはその家の、杏奈のおばあちゃんのお姑さんやな、大奥さんや。その人にほんまによう世話になったもんやから大阪に来てからも時折挨拶とかお見舞いとか、そういうのに寄せてもろてて、たまたま大奥さんの好きなフキノトウ味噌を作りましたから持って行った時にな、まだ6つやったそこに杏奈がおってねえ、ええ大人が揃って大広間で『こんな子いらんからどっかに預ける』て大騒ぎしてはるもんで、いらんのですか、ほしたら貰いますて、貰ってきてしもた」
「へっ?そんなことあんの?それってアリなん、その…法律的にとか」
「それは色々とややこしい手続きはあったで。弁護士さんにも相談したし。ほんでもな『親に捨てられる』て、例えばそれがどんな親でもなんだかんだで子どもは辛いもんやねん、自分は親からすら愛されへんかったて、そういうの抱えながら生きるのて何やろなあ、普通よりずっと生きるのに馬力のいる人生になってしまうねん。そうでなくても杏奈はほら…ちょっと普通と違うし、せやから、いらんなら貰おて、ほんでウチが大事に愛情いうのんかなあ、そういうのを沢山注いでこの子を育てたろて、それが昔に親に捨てられた自分の魂みたいなもんを救い上げることになるかもしれんてつい、そん時に思てしもたんよ」
でも正解やったと思うわ。お陰でものすご楽しかった、杏奈は変りモンやけどええ子に育ったし、杏奈の親友になってくれたなっちゃんまでもれなくついて来て、今店を手伝とうてくれる。なっちゃんは何やろ、ウチにとっては親戚の子みたいなもんやね。
下ごしらえのキャベツをさくさくとんとんとリズムよく刻みながら話すミーコおばちゃんの身の上話は、あまりに壮絶で私の予想の範疇を大きく越えていた。だってそれって、自分の子を育てもせんと施設に放り込んで、年頃になって呼び戻したと思たら今度はまだ18歳の、今のうちより年下やったおばちゃんを風俗店、ええと何それソープ?ヘルス?とにかくそういうのんで働かしてそのお金はほどんど全部搾取して、借金完済と同時に家から放り出したてことやろ、おばちゃんはそん時の仕事がきつうて、無茶苦茶嫌なことも沢山されて…ということは何度も哀しいて痛い目におうて、結果赤ちゃんを産めへん体になりましたて、どんな地獄なんよそれ。
「おばちゃん、大変な生涯やってんな…」
私はこの会話の続きにどう言葉を繋いでええもんか、なんかもうため息しか出えへんで、なんやらおかしなコメントをしてしもていた、そうしたらミーコおばちゃんはいつもみたく優しく笑って
「うちまだ死んでへんで。でもな、なっちゃん。生まれつきの不幸言うのんか、不運がべったり背中に張り付いてるような人間にもな、何がどう巡り巡って幸せいうもんがくるのんか、それは誰にもわからへんのよ。せやから「これは絶対にほしいねん」て思たモンが目の前に来たら悩まんとパッて掴んでしまうのがええかなておばちゃんは思うねん。うちにとってはそれがこの焼きそば屋で、杏奈やった。せやからなっちゃんも、好きな男の子がおるなら、自分は足が悪いからとか、身体が普通やないからとか思わんとまず自分から好きやて言うてみ、向こうかてなっちゃんのことがホンマは好きかわからん。そんでもし働いて自立すんのが今のなっちゃんの1番の望みや言うんなら、おばちゃん、なっちゃんにこのお店あげるわ」
そんなことを言うたので、私は顔が真っ赤になるやら、驚いて汗が噴き出すやら、暫く顔の上で感情が渋滞してものすご恥ずかしいし大変やった。ミーコおばちゃんは、私が一番下の兄の親友の隼太ちゃんをもうかれこれ10年近う好きやて思うてるのも、せやけれど自分の身体がこんなんやから何を言い出す自信もなくて、せやからうちは初恋と一緒に一生処女のまま生きていくねんて、いつやったかこの家で杏ちゃんに酔っぱらって宣言してたこともよう知っているのや。
「おばちゃん何言うてんの、隼太ちゃんはホラもう、あの…弁護士さんにならはるのやで、司法試験に1ぺんで受かったて、ほら隼太ちゃんの叔父さん…ちゃうか、叔母さんの春ちゃんも大喜びして大泣きして大騒ぎしてたやんか、もしうちのこの足が普通やとしてもや、釣り合いがとれるどころの騒ぎやあれへん、それにお店くれるとか、それはアカンやん、だってずっと親子みたいにして暮らして来た杏ちゃんの家でもあるのやでここは」
「杏奈は焼きそば屋さんにはならへんやん。あの子はお医者さんになるのやろ、近い内に外国にも行って勉強したいて言うてるし、それに第一あの子は料理がとんでもなく下手やん?その上使ったもんを全然片付けへんし、思たことを思たように口にだすし、頭はとびぬけてええけど、とにかく商売にはむいてへん」
焼きそばはなっちゃんの方がずっと上手や、商売のセンスもある。おばちゃんはそう言うて笑い、これはあたしの決定事項やから遺言状に書いておくなと言うてさっきよりももっと嬉しそうにして笑った。
私は、おばちゃんが亡くなる未来というのんは、人間の命が有限である以上、それはいつかはあるのやろうけれど、きっとうんと先のことやし、ほしたらその時うちがお店をやれそうな体調とか状況で、何より杏ちゃんがそれでええよと言うてくれたらそん時はありがたく相続させてもらうわと曖昧な返事をしておいた。
そうして確かにうちは商売屋の娘で、お客さんと会話しながら互いを理解して信頼してものの売り買いをする商売ごとが凄く好きやし、この商店街も大好きやし、ここでミーコおばちゃんと一緒にやきそば屋をやって、子ども達に「やきそばのおばちゃん」て呼ばれてずっと暮らすのもええのかもしれんて、そう思うようになった。
でもそんなん、きっとずっと未来の話や。
5
そう思てたうちらが大学3回生の春や、ミーコおばちゃんは突然亡くならはった。くも膜下出血で倒れて、病院に運ばれた時にはもう意識も息もなかった。
享年64歳。
ミーコおばちゃんの葬儀は、びっくりするくらいの参列者で溢れた。
葬儀の会場自体は商店街を少し出たとこの小さなお寺さんやってんけれど、その境内にはとても入りきらん参列者は、ここの商店街で生まれて育った私が見た事もないような長い行列を商店街の中に作り上げた。
列の中にいたのは商店街の人たち、ミーコおばちゃんのお店のお客さん達、それはいつもお小遣いでやきそばを食べに来ていた元高校生のおじちゃんおばちゃんやら、制服姿の現役中高生やら、地域のスポーツ少年団の子ども達。特にスポーツ少年団の子らは、おばちゃんに敬意を示すために彼らの第一種礼装であるチームのユニフォームに誰が用意しはったんか黒いリボンをピン止めした喪章をつけて参列していて、見ている大人たちはそれがまたけなげやと、一層哀しいと言うて泣いていた。それ以外にも一体どこで聞いたのか、他府県から駆け付けたと言うほんまに沢山の人たち。
その中にはあの小学1年生の時、杏ちゃんに飛び蹴りをされて泣いた立花君の姿もあった。同級生の中では一番に、ほんまに早うに結婚したらしい立花君は多分あれは娘さんやと思う、小さな女の子を抱いて、静かに泣いていた。
おばちゃんの死は小さな焼きそば屋の店主が亡くなったというよりも、みんなのお母さんが亡くなったような、そんな死やった。
この葬儀の喪主はミーコおばちゃんにとっては事実上の娘で、法的には赤の他人である杏ちゃんで、そんでもまだはたちそこそこの杏ちゃんには葬式言うても何もわからんやろと、商店街の人たちが座布団はあるのんか、湯呑みはどこや、花輪は来たんかとすべてを取り仕切って世話を焼いてくれて、世界でたった一人、保護者として責任をもって慈しんでくれたミーコおばちゃんを突然亡くしてただ茫然としている杏ちゃんには、葬儀の間中、私が隣にずっと付き添っていた。
その慌ただしい葬儀の後や、ミーコおばちゃんの店のカウンターに座って、支払いやら、お香典の整理やらがひと段落して、手伝いに来ていたうちの両親やとか、花屋の春ちゃんとか、そういう商店街の有志の何人かの前で杏ちゃんが突然
「あんな、ミーコおばちゃんて、遺言状いうのん?それを残してはるのやけど、それってどうしたらええもんなんやろか」
そう言うのでその場にいた大人たちは
「それやったらややこしいことがおきんようにホレ、立ち合い人がある時に開いた方がええのやないか」
「せやな、お金のこととか、杏ちゃんははまだ学生やし、これからの生活があんねやから、そう言えば遺言状を開封する時て、改ざんしたり、その…内容に噓偽りがございませんて証明すんのんに弁護士がいるんちゃうのか、ほしたらあれや、春ちゃんとこの隼太今おるやろ、アレ連れてこい」
「そうね、連れて来るわ」
そう言うて急遽、件の花屋の隼太ちゃん叔父というのか叔母と言うのか、春ちゃんに腕をつかまれて、この春に正式に弁護士になったばかりの隼太ちゃんがお店にやって来て、とにかく新米のペーペーではあるものの、弁護士同席の元、ミーコおばちゃんが1年に1回、書き直しては杏ちゃんに預けていたという封書を開封した。
そうしたらそこには、ミーコおばちゃんらしい小ぶりな優しい文字で、まずは商店街の人々へのこれまでのお礼と、イシヅカ電機、せやからうちの家には杏奈のことでようけお世話になりましたという個別のお礼、自分の死んだ後の事務的な処理ていうのか色々な手続きを昔からよう知っている近所の子で今は弁護士でもある伊勢谷隼太君に任せたいということ、そして思いがけず杏ちゃんを引き取って育てて自分には過ぎた彩りのある楽しい人生を送れたということが書かれていた、そして何よりこれはその後が肝心で
と書かれていたもんやから、その場は騒然となった。特にうちのお父さんが驚いて珍しく大声を上げてはった。
「いや別にミーコおばちゃんの有価証券やとか預貯金を全部杏ちゃんが相続すんのはそれは当然というか道理やけど、何で全くの赤の他人の菜穂がこの店を相続すんのんや、そんなん無茶苦茶やろ」
遺言状にはさらに店を数ヶ月やっていくための予算言うのか、その分のお金の入った信用金庫の通帳のお金は菜穂ちゃんのモンやとも書かれていたのやけれど
「店やるて、そんな飴ちゃんあげるんと違うのやから、なあ隼太君」
そう言うてお父さんは、オマエにはそれは無理や、せやからこれは無効や、第一ここは杏ちゃんの家でもあるのやからこれは放棄するのが順当やろうと私に言うたし、同席した隼太ちゃんも確かにこれはミーコおばちゃんの遺言、希望であって放棄も可能やしそもそもここを自宅として長年居住していた杏ちゃんには、ミーコおばちゃんとは法的に無関係な人間ではあるのやけれども今後も居住し続ける権利みたいなモンが発生しているのやて言うたのやけれど、その杏ちゃん自身がこともなげに
「ううん、ウチ店はいらんねん、それに来年からアメリカに行って勉強することになってるんで、ここはむしろなっちゃんにもろて欲しい、なによりミーコおばちゃんが一番それを望んでいるのやから」
それにウチもおばちゃんとは赤の他人です。
そう言うて私のに真っ直ぐな視線を向けたので、私は杏ちゃんに静かに頷いて
「うちが貰います、うちがこの先このお店をやります」
そう言うたのやった。
6
翌年、杏ちゃんは向こうの大学の始まるよりずっと先、4月に渡米することになった、何がどうしてそうなんかうちにはようわからんけれど、まだ言葉が、英語を喋んのがあんまりやという杏ちゃんは、向こうで暫く語学のクラスに通ったり、生活のために色々と準備をすることがあって、早めの方がええのやとコーディネーターさんが言うからと、そういうことやった。
私は寂しかったけれど、何しろ私こそが杏ちゃんの実家というもんか、ミーコおばちゃんのお店の2代目であるのやし、杏ちゃんがいつか必ず帰って来る場所で待っているのやから、そこまで絶望的に哀しいということはなく、でもこれは春の勢いというのんかな、何となく皆が卒業やら入学やら転居やらで新生活を始める春にふと心が沈むような、何かに急かされるような気持ちのまま、杏ちゃんは渡米の準備に、私は、ミーコおばちゃんの店をふたたび開けることに忙しくて、結局杏ちゃんの出発前、ゆっくりと話ができたのは、杏ちゃんが出発する日、杏ちゃんの家であり、今後は私がオーナーになる「やきそばおかもと」のあの油の染みたカウンター席でのことやった。そこで杏ちゃんは、ビールの会社からもろた小さなグラスに麦茶をついで飲みながら私にこんなことをぽつりぽつりと話して聞かしてくれてた。
「うちな、ホラあの家を追い出された6歳の時にな『あんたのことなんか誰も好きにならへん、友達も一生でけへん』てお母さんが言うもんで、なんかそうなんかなて思い込んでたんよな。ほら、母親の言葉って小さい子には絶対やろ。それがおかしいとか、この人は今正気やないんやわとか、そんなん全然わからんような年齢ならなおさらや。ほんでまあ元々多動いうのんか、自分のやることなすこと制御不能のところはあってんけど、それやったらウチは今後も好きにやったるわて思てたんよな」
「杏ちゃんてそんな達観した子どもやってんや…」
「せやで。でもそしたら1年生の時に、となりに大人しそうな女の子がおって、うちに、教科書見せたげよかとか、消しゴムないなら貸そかとかいうやん?なんやろこの子、どうしてウチなんかに親切なんかなあと思って不思議に思てたんやわ。ほしたらいつやったかなあ、その子が、うちの顔を見て『よしもとさんはきれいや』て言うたんやわ、なっちゃんが言うてんやで、覚えてる?」
「そんなんうち言うた?いつ?全然覚えてへん、思てたことが知らん間に口から出てんやろか」
「なんや覚えてへんの?夏休み前のプールの授業の後の5時間目や、眠たくて眠たくて、うちにしては珍しく座って授業中に大人しくしててんよ、そしたらなっちゃんがウチのことじぃって見てるやん、ほやから聞くやん?ウチの顔になんかついてる?て」
「ふん、そんでうち何て答えたん」
「せやから、よしもとさんはきれいな顔できれいな瞳なんやな、ほしたらきっと心もきれいなんやわて」
「えー?そんなこと言うた?」
私は昔も今も変に空想癖があって、せやからこそあの小学生時代の2人の王国ごっこは長く2人だけの遊びとして続いたのやけれど多分、その時も空想の中で鳶色の瞳の杏ちゃんはうちの頭の中で初夏の、青葉の国のお姫様でそれでうちはその姫の傍ら長く彼女を大切に慈しんできたばあやのような、彼女に恋焦がれて来た王子のようなそんな気持ちで、杏ちゃんのその美しい瞳をそのまま言葉にして褒め讃えてしもたのやと思う、なんや知らん間に。
「言うたわ、ウチ基本的に、何であんたはそうなんて、酷い子やて、挙句あんたなんか産まんかったらよかったて、そういうのを言われてモノゴコロついてから6歳までを育ったんよな。そういう一流のお育ちやったもんやから親にさえそんな『心がキレイや』なんて言われたこと無かったんやわ、嬉しかったなあ、ほんでウチはあの時決めてん」
「なにをよ」
「ウチのこの先の人生は、この子と、ミーコおばちゃんに全部あげよて」
ひな鳥は生まれて初めて見たものを親やと思てついて行く習性があると聞くけど、杏ちゃんのこれは一体どういう現象なのやろか。杏ちゃんが産みの親になんや理不尽な理由で捨てられて、そんで杏ちゃんを拾って育てたミーコおばちゃんに返しきれへん恩があるて、そう思うのは分かるけど、うちなんかただの友達なのやで
「そんなんいらんで。杏ちゃんてまさかそれで、阪大切り上げてアメリカの大学に行くて言うてんの?そこでアホ程勉強して、ほんでうちの病気を治すのやて、本気でそう思てるん?」
「そうや、ウチがなっちゃんの病気を何とかしたるって、小学校4年生のあの日に、一緒にお風呂に入った日にウチはなっちゃんに言うたはずや」
杏ちゃんは、私の体に残る瘢痕を見たあの日、なんも悪いことをしていない親友が、理不尽な病気というのんか運命に選ばれて、この先も不自由を背負って生きるのやと、やってみたい色々なことを静かにあきらめて、例えばプールの時間にプールサイドでぼんやりと水の跳ねるのを見学するしかないことやとか、体のことがあって好きな人に何もよう言わんまま死んでいくんやと思てるて事を、とにかくなにもかも全部を、自分の人生と引き換えにしてでも
「うちがなんとかしたろ」
とそう思ったのやそうや。何やそれ、いらんでそんなん、そんなん言うたら杏ちゃんの幸せと人生はどこにあんのよ。隣のだれかの幸せが自分の幸せやなんてまるでミーコおばちゃんの人生や、2人は一緒に暮している間に、最初は全然似てへん2人やったはずやのに、仕草や表情や考え方まで似てしもたんか。
「そんなんええねん、杏ちゃんがやりたいようにしてくれたら、ほんでもまあもう入学も留学も決まってるのやもんな。せやったらうちはあのお店をちゃんと守って、ほんで杏ちゃんのことここで待ってるから」
杏ちゃんは私のために遠く外国に船出し、私の体は遠くにはいけないけれど、杏ちゃんの思い出の詰まった大切な店を守って、ミーコおばちゃんの作った城をひとりで続けていく。自立ってうちにとってはちょっと前まではホンマに夢みたいなことで、と言うてもうちの商売なんて実家のすぐそこでやる小さな店やし小遣い程度の収入にしかならんのかもしれへん、せやけどこれは私にとってまるで未知の大陸への航海みたいに思えるねん、太陽の光を受けてきらきら光る水平線の先のさらに先をいくみたいな、怖いような、ほんでも嬉しくて浮足立つような、今そんな気持ちや。お店を潰す訳にはいかへん、だってここはうちのたった一人の親友の大切な家なのやから。
「関空て結構遠いし、なっちゃんの車で高速にのるんは心臓に悪いから来んでええで」
「うん、うち空港で見送りなんかしたらきっと泣いてしまうわ」
そんな双方の合意と結論のもと、私と杏ちゃんは店を出て商店街の桜並木を抜けてすぐの、駅の改札で杏ちゃんが次に帰国するまで、多分1年ほどになるしばしのお別れをした。
「元気でね」
「いうても移動中はツイッターで実況して、着いたら即メールもするけどな」
「変なモン食べたらあかんで、杏ちゃんすぐオナカ壊すし」
「医学部やで、医者ならそのへんにようけいるから平気や」
「うちがいなくてさびしなっても泣かんといてな」
「そのへんは自信ないわ」
さいごの会話のあと、杏ちゃんはくるりと踵を返して改札てホームに歩いて行って、桜の散ってピンクの絨毯になっているホームを見つめ、私の方にはもう振り向けへんかった。私も風にふんわりと舞う桜をただ眺めて杏ちゃんのことは、もう呼び止めへんかった。
それは、変人ではあるけれど、ほんまは誰よりも泣き虫で優しい杏ちゃんが泣いているのを、私が誰よりわかっていたからや。
大丈夫やで杏ちゃん、今度はうちがいつも絶対、ここにおるからな。
うち、待ってるから。