救急搬送されちゃったけど、相変わらず生きてる。
先日、救急搬送された。
色々と障りがあるといけないので詳細は省くけれど、人に救急車を呼んでもらい、あの赤いサイレンに乗って運ばれ、担架で病院に担ぎ込まれて、点滴をしてもらい、数時間で病院から出た。
搬送される間、意識ははっきりしていたものの、思考が錯綜してさっぱり意味がわからない、まま、泣いていた。
(前置きさせてください。
少々汚い表現もありますし、精神的にダウナーにキマるタイプの記事になると思います。でも、どうしても何かに書いて整理しておかないと、ずっと心に澱のように残りそうで、何とかしないといけないと思って 思い出しながら書きます。
本当は軽々とこんなこと書くべきではないのでは、と思っています。本当に必要としている人はもっといるはずだから。)
急性アルコール中毒と過換気症候群だった。
流行りの病でもなく、脳や心臓でもなく、誰かに殺傷されたわけでも、もちろん自傷したわけでもない。血も流れていないのに、どうして救急車を・・・とあのときの私は考えていた。
(過呼吸で両手両足痺れて参ったことなんて、数年前も何度かあったのだ。職場でパワハラされていた頃に。そのときは、とりあえず地面に転がって何とか呼吸をしていれば少しずつ回復した。そんなに深刻ではないはずだった。)
けど、飲んだ水も何もかも吐いて、手足が動かないほどしびれて、動けなくなっていれば、そりゃあ客観的には救急車も呼ばれるわ、一人きりだし。と今は思う。
救急車も病院も足りていないご時世だと言うのに、誰かもっと尊い命を救うための救急車だったかもしれないのに、本当に申し訳なかったと思う。泣いていた一因かもしれない。
ーーー吐くのを意識して呼吸するようにと救命士の人に言われて、ただひたすら吐くのを長めに呼吸だけしていた。
急性アルコール中毒でも人の命を奪うのだということは、帰ってからググって思い出したことだ。症状が進むと呼吸が弱くなるとのことだ(それはまぁ息して!って言われて然りである)。
ーーー何度か嘔吐した後、通りすがりの人が「大丈夫ですか」と何度か声をかけてくれた。一人か二人、「大丈夫です」と何とか答えて、彼ら彼女らは立ち去った。それが普通だ。
日本語の大丈夫にはある程度の拒絶が含まれるような気が、私はする。
ーー若い女性が声をかけて 体を支えてくれた。うまく動けなかった。もうそのときには、大丈夫 ではなかった。
ずっとその人は傍にいて背中をさすったり介抱してくれた。救急隊が来るまでずっと。
遅い時間だというのに、あかの他人だと言うのに、「自分も潰れたことがあるから」と、ずっと傍で声をかけてくれた。多分、私よりも若い女性だった。嫌な顔一つしなかった…顔を上げられる状態ではなかったけど、声が そうだった。
自分なんかよりずっと優しくてしっかりしてるな、と思った。情けなかったけど、今まで生きてきて これ以上ない程に、ありがたかった。
吐いているのに、マスクも外れていたのに、「感染してるなんて思わない」と言ってくれた。嘘でも何でも、それにすごく救われて泣いた。
(※これでマジのガチで私が感染者だったら本当に笑えないので、その後の体調にはかなり気を遣っている。前後で発熱していた期間や咳などの症状はない。)
恥ずかしながら、私はその人や他の人たちを、最初とても警戒していた。
何も取られたりしなかった。
一瞬でも火事場泥棒かしら、なんて思った自分をぶっとばしたい。
ある人は水滴のついた冷たい水のペットボトルを これ飲んでください!って言って置いていってくれた。吐瀉物まみれの私を見てティッシュや手持ちの袋なんかをくれる人もいた。何て優しいんだろう、と思った。
こんなご時世で、罵られても蹴られても、何も文句は言えないというのに。
ーーー救急車の中からあの赤い色のサイレンを聞く日が来るなんて思わなかった。それはこもった いつもの音で私を病院まで運んだ。
平日の真夜中、たらい回しにされるだろうと予想したけれど、救急隊が2つ目に連絡を取った病院に搬送されることになった。ご時世的に、本当に申し訳ないなと そればかり思った。
(こんなことを覚えている程度に意識はしっかりとしていた。99.9と言われたような気がする。)
救急車で運ばれて、病院で点滴を打たれて落ち着くまではずっと悪い考えばかり頭の中を回ったが、不思議と 死ぬかもしれない とは思わなかった。
ただ、親や親戚などの連絡先を聞かれても ざっくりとしか答えられず、誰も迎えに来てはくれないし、助けに来てはくれないのだ と改めて思い知らされた。
…そしてこれがきっかけで地元に戻ることになったらどうしよう だとか、職場に知られたら どうなるんだろう、休職?でもうつ病でも何でも無いしな、とかいう思考が湧いては消えを繰り返した。
思えば軽薄だ。何のことはない、これで何かが変わらないかな、なんて また思っていただけなのだから。
結果的には、誰にも知られなかった。ネットで私がぽつりと呟いて、それを見てくれている友人たちが朝っぱらから心配してくれて、それがとてもありがたかった。
それでも、やはり物理的には 独り なのだと痛感した。
ーーー介抱してくれた人、優しくしてくれた人、救急隊の人々、病院で診察して点滴をしてくれた人々。
本当に、ありがたかった。見ず知らずの人でも救ってくれる人がこの世にはいるものなのだと思えた。
(伝わることは無いかもしれないけど、本当にありがとうございました。)
いつも私が怖がって・勝手に害意を想定して 自分のテリトリーに入れないでいた"他人"はこんなに優しかったのか、私は一体何をしていたんだろう。
そんなふうに思って、情けなくて、書いていても涙が出る。
ずっと何とか独りで戦って生きてきたような気でいたけど、全然そんなんじゃなかったな って。
ーあの日、吐瀉物まみれで家に帰ってからもずっと落ち込んでいた。最初は落ち込んでる自分の気持ちにも気付けなかった。
点滴が終わった後は、血液も抜かれた気がしたけど特に何にもなく、あっけなく見知らぬ駅から電車と徒歩で帰ることになった。早く寝たかった。
何も変わらない。
あんなけたたましい音で、激しい光で、救急搬送されるというわりとショッキングな出来事が起こっても、私の人生のワンカットに過ぎないし、現在までの経過だけを見れば、搬送前と何も変わりはない。
変わらないのだ。
今回は、たまたま優しい誰かが救ってくれただけなのだ。
たまたま、運良く、優しい人がそこにいて、通りかかった人もみんな悪意なんてなくて(もしくはその場では潜めていて)、上手いこと命が助かっただけかもしれない。
でも、その たまたま運が良かった を蔑ろにしないようにしなくては。生きねば。とは、病院帰りの朦朧とした頭で考えていた。
…あれから、少し経った。
私は何か劇的なことを始められたわけでもなく、いつも通り自分の精神や仕事や状況に追われ、右往左往する毎日を変わらずに過ごしている。
それでも、変化はすぐに起こるものではないし、今すぐ何かしなきゃいけない、というわけではないのも知っている。
私は未だにダメな私のままだ。
それでも、こんな私を助けてくれた人たちがいた、ということは、私にとってひとつの希望であり続けてくれるんじゃないか、と思っている。
あの時、助けてくれた方、あなたがいなかったら私は もしかして もしかすると 死んでいたかもしれません。
届かなくても、ずっと感謝しています。
本当に、ありがとうございました。