役者の現場に上下はないんすよ 〜演劇人あるある〜

久しぶりの演劇人あるあるシリーズです。そういえばこのもやっと書いてなかったし、そこ解説ほしいよなぁ、と思ったので。
今回のワードは、
「いつかテレビとか出ちゃうんじゃないですか(笑)」
です。
わかります。ブレイクを期待してもらってるの、わかってます。
でも、やっぱりなるんすよ、演劇人、
モヤッッッ!
一般の人(あいも変わらず演劇人に対しての呼称とご理解ください)の認識の中で、きっと以下の公式が成り立っていると思うのです。父母、伯母と演劇人に囲まれているうちの息子の中にすらありました。
テレビ>映画>>>舞台演劇
これね。違うんす。ホント違うんす。
それぞれにそれぞれの特長があって、それぞれの現場に上下なんかないんす。
これについての話をね、なんとかご理解いただけないかと。
テレビドラマに出るって確かにすごいことです。
民放ドラマにセリフ付きのキャストで出演するってすごいことです。
バラエティ番組の常連になるってだけで天文学的な確率の末の成功です。
俳優として生きていくことを目標にする人間にとって、NHK朝ドラ、大河はやっぱり一つの金字塔です。
そこを目指して俳優として名を成したいと藻掻く人間は、名前のないエキストラに手弁当で向かい、時に一般人の顔をしてインタビューを受け、再現Vの仕事に綺羅星のようなチャンスを見出すのです。
それはおそらく、語弊を恐れずに言えば、テレビの現場が一番収入に繋がりやすい、という認識によるものだと思います。
そして、テレビで名が上がる、というのが俳優生活の変化へのわかりやすい道であることには違いないとも思います。
では、映画はどうでしょう?
三浦透子さんのように、海外で評価されてブレイクしたり、鈴木紗理奈さんのように海外で評価されて再ブレイクってあたりは、皆さんの記憶にあるかと思います。
映画、というとシネコンにかかるもの、という認識が一般の方あろうと思うんですが、ミニシアターでかかっているようなものこそ海外に出ていっていたりします。
海外って国ごとに様々なフイルムフェスタがあって、映画人のネットワークが密に存在して、全世界から作品が集まります。
吉岡里帆ちゃんは、実はそう言った海外のフィルムフェスで主演賞を多数受賞している猛者なので、じつは彼女のことは国内以上に世界中の映画フリークが知っている、と思っています。
地元神戸からカンヌのショートフィルムフェスに出品した事例もあったりしますし、じつは、規模の大小問わず“世界(ワールドワイド)”に近いのはテレビよりも映画だと、吉田は思っています。
(先日のキーホイクワンさんの問題のような、人種の壁が大きく有ることも確かのですが…。)
なら、そんなドラマ、映画に舞台演劇は何を持って並ぶのか、という話です。
舞台演劇をお金になるお仕事にする方法も実はちゃんとあります。
でも稼げねぇんだろ?
とお思いでしょう。というか、稼ぐのが目的なら映画、ドラマ含め表現なんかやるより稼げる方法はたくさんあるわけで。
金額の過多は今置きましょう。
何を持って並ぶのか。
語弊と誤解を恐れずに蛮勇を振るって云わば、
ドラマ、映画、舞台演劇、
この三者の中で最も体験性が高いのが舞台演劇です。
実物の肉体を伴った演者が、目の前で動き、話します。その一挙一動、息を飲む瞬間すらも、共感の上ともに体験できるわけです。
1000人の小屋では1000人の小屋なりの、50人の小屋では50人の小屋なりの、20人のカフェでは20人のカフェの、
それぞれの体験が舞台演劇の現場でお客様を待っています。
そしてその体験を用意するためのプロの技術を、舞台の俳優たちは蓄積し、舞台の上でLIVEで提供しているわけです。
そして、その舞台の上では、テレビに出るでも名前が世に響き渡るでもない、でも確かな輝きを放つ俳優たちがお客様との体験のため、3ヶ月から、長くて半年、一年の時間をかけて稽古し準備した芝居を携え待っています。
結局何が言いたいかと言えば。
お心に止まった方は是非近くの芝居小屋へ。という話です。
追記
正直な話をすれば、配信コンテンツがこれだけ充実した昨今、かつその只中に生まれ育ってきた息子から、
「テレビに出るのが一番すごいと思う」という発言が出たことに対して驚いたのです。
テレビドラマというコンテンツは、圧倒的なシェアと顧客を持つものから、配信コンテンツの一種、という立ち位置まできてしまっている、と思っていました。
まだまだ、強いんですよね、テレビ。

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