2021年4月24日のいま、思うこと
3度目の緊急事態宣言が発令されようとしています。
2019年に発生した新型コロナウィルスは、世界各国で未だに猛威を振るい続けています。
吉田はホン書きです。演劇の脚本を書く人です。この間、自分の脚本公演を幾度も延期し、その中には公演を諦めたものもあります。
公演というのは、ナマモノです。生き物じゃないかと思うときもあります。メンバー、時期、時勢、全てのタイミングが合って成立します。
延期というのは、そのタイミングが次合うかわからない状態で行うもの。次に起きることができるかわからない状態で行う冬眠のようなものです。
その危険な冬眠を僕らはこの一年以上、何度も選択してきました。
同時に、ここで冬眠したら次がない公演は、感染対策にコストと赤字を飲みこんで、実施しました。
けして僕らは、現在感染対策を主導する専門家の意見を無視せず、そこに従ってきました。
全ては、お客様の安全のため。心置きなく芝居ができる日を取り戻すため。満席の小屋でお客様と時間を共有するためです。なんの気兼ねもなく、お客様に芝居を楽しんでもらえる日の為です。
正念場の2020年の春を、我慢の年末年始を、蔓延防止のこの数ヶ月を、血を流す思いで、協力してきました。
今、公演に踏み切ったすべての表現者も同様だと思っています。赤字と多大なコスト、集客に対する後ろめたさを飲み込んで、開催しているはずです。
その痛みを飲み込むのは、やがて来るはずのその日まで、文化の火を絶やさないためだと思うのです。
僕らの待つ日は、いつ来ますか。
その日を迎えるための、その道筋は見えていますか。
人と人が、マスクもプラスチック板も無しに触れ合えるその日まで、後どれだけの時間耐え凌げばいいのですか。
吉田は、満席の小さな小屋で見るお芝居が好きなのです。やるお芝居も好きなのです。
それだけじゃないです。
狭い小さなお店で、肩寄せあって飲むお酒が好きなのです。
ライブハウスで肩組みながら瓶ごと酌み交わすビールがまた飲みたいのです。
そんな日々は、後どれだけ待てば来るのですか。
僕らは今回の緊急事態宣言にも、粛々と従うでしょう。気力と、体力、お金の続く限り。
その日々のために。
その横で倒れていく、表現から去っていく仲間を、閉まっていく小屋に血涙を流しながら。
もうとっくに、耐えられる限界など超えているのです。
その日々に至る出口は、誰が示してくれるのですか。
為政者と呼ばれる人に、国のトップと呼ばれる人にすらそれが見えないというのなら、
それは、誰が示してくれるのですか。
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