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たそがれに寄せて(30)「マルソー」
Sは私がH社に入った時の同期生である。東京工大出身の秀才だが、童顔でいつもニコニコしていて、さわやかな感じの男だった。彼のそばに居るとモーツアルトの室内楽を聞いているようなやすらぎを覚えた。
Sとは特別に親しかったわけではない。技術屋と事務屋のちがいもあって同じ職場で働いたこともない。大阪から東京の本社に転勤して来た初日、昼休みの少し前にSがふらりと現れ私を昼食に誘った。人間とは奇妙なもので、変なことが心配の種になる。実は、この日の昼食をどうしたものかと思い悩んでいた。それだけにSの誘いは有難たかった。
当時の日比谷の三井ビルはいくつかの大会社が入っていたが、それぞれの会社は専用の社員食堂を持たず、八階の共用の食堂を皆で利用していた。Sはここに案内してくれ、勘定は割り勘だったが、私には彼のこうしたちょっとした気遣いが嬉しかった。
いつのことだったろうか、町田の研究所動務になったSが出て来て再び昼食を共にした。 この時は少し気ばって近所のレストランに入った。
食後の散歩に銀座通りを歩いていると、Sはプレイガイドに立ち寄り、マルセル・マルソーの公演の切符を一枚求めた。マルソーはジャン・ルイ・バローと人気を二分するパントマイムの名優である。「女房の奴が大のファンでね」とSは少し照れくさそうな表情だった。
あれから多分二十年近い年月がたった。私の方は転職したり、脱サラしたりで、Sとの交際は途絶えがちだったが、それでも年賀状のやりとり位は怠らなかった。H社は昔気質のところがあって、定年で辞めようが、途中で飛び出そうが一定の資格さえ満たせば、社友扱いをしてくれ
て年に一回はOB交歓パーティに招いてくれたり、社内報を毎月送ってくれる。
Sの死を知ったのはその社内報の追悼記事を見てのことだった。血液のガンに冒され、死の直前にカソリックの洗礼を受けて亡くなったとのことだ。あの童顔の笑顔を再び見ることが出来ないと思うと、涙を禁じ得なかった。
面識はなかったが、Sの奥さんを慰めたいと思った。カッソリックにお香典を送るのも何となくおかしいから、花束でも送ろうかと思いながら下北沢の駅まで来ると、構内でマルセル・マルソー公演のポスターが目に入った。
失礼とは思ったが、私はマルソー公演の切符を求めて銀座のプレイガイドでのいきさつを書き添えてS夫人に送った。
彼女から礼状が来た。「私たちのささやかな歴史を覚えていて下さっていて、涙が止まりません」
マルソーの公演の数日後、再び便りがあった。その日のマルソーの名演をつぶさに伝えている良い文章だった。
私は良いことをしたな、と思い嬉しかった。が、次の瞬間こんなことを思った。もしも、神なるものが存在するならば、これは正に神の技である。私はSの奥さんを慰めるべき運命にあったのだ。もしも、神が有ればの話であるが、私は神の演出に感謝したい。
今年、S夫人からの年賀状に孫の海(カイ)が生まれました、と記してあった。おめでたいと思う。