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中日ドラゴンズ・細川成也の活躍は偶然か必然か? 元チームメイト・倉本寿彦が明かした細川の魅力
大輪が花を咲かせつつある。2022年まで横浜DeNAベイスターズで若きスラッガーとして期待を背負っていた細川成也は、今や中日ドラゴンズの主軸を担っている。
開幕3試合目にはスタメンに名を連ねると、その後はコンスタントに出場を重ね、5月には月間MVPを受賞。6月下旬には早くも初の2ケタホームランに到達した。
横浜でもそのポテンシャルには大きな期待が寄せられていた。が、自らの力を持て余していたのか、横浜での6シーズンで放ったホームランは6本のみ。
細川は中日で生まれ変わった。大方の見方はこんなものだろう。
ただ、あまりに豹変したせいで、細川が横浜で培ってきた要素が見過ごされているような気もする。中日に移籍してまだ約半年。だが横浜には6年もいたのだ。今の活躍のベースは、この期間にもあるのではないだろうか。
「別に今の活躍を見ても驚かないですね。(試合に)出たらあんぐらいやるだろうなというのはすごく感じていました」
細川の元チームメイトであり、現在は古巣の日本新薬で活躍する倉本寿彦の言葉は、図らずも私の思いと一致するものだった。
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倉本は細川のアドバイスで打撃フォームを変えていた
細川と倉本。選手としてのタイプは真反対な2人だが、倉本が「一番仲良かった選手なんじゃないですかね」と振り返るほど、自主トレや食事をともにしてきた。横浜時代の細川を一番近くで見てきたのが倉本なのだ。
その関係は細川がルーキーだった17年から続いているが、倉本から見ても細川のポテンシャルは目を見張るものがあった。
「『こんな高校生いるのかな』ってくらいボールは飛ばすし、足も速いし肩も強い。ジムもずっと一緒だったんですけど、数値も遥かに置いていかれるし。だから(能力が)生かされる場所があればいいなってずっと思っていました」
もちろん、野球の話で刺激を与え合うことも多かった。象徴的なのは19年秋の出来事だ。このシーズン、倉本は24試合出場で4安打、打率.121と自己ワーストの成績に終わっている。そしてこの秋、倉本は打撃フォームを変えている。きっかけは細川とのやり取りだった。
「その時、たしか成也はめちゃめちゃ打っていたんですよね。秋山(翔吾。現・広島)さんの自主トレに行っていて、バットの出方がすごくキレイで。夜一緒に素振りしながら話を聞いたら、僕も『この打ち方したらけっこういいかも』って思って。それでフェニックスリーグやキャンプに行って。成也の話を聞いて、そこから僕もちょっと良くなったんですかね」
明けて20年、倉本は82試合出場で55安打、打率.276と存在感を取り戻した。一方で細川もこの年、ファームでホームラン王、打点王、最高出塁率の3冠を達成している。
人の野球を吸収し、自分の血肉にもしつつ、先輩にも還元する。細川の野球への姿勢が結実したのが、20年の2人の成績だった。
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細川の確変は偶然の産物ではない
そんな細川だが、横浜では出場機会に恵まれず、一軍では期待に応えられない時が多かった。
「持っているものは良かったけど、チームのニーズには合わなかった部分も正直あったとは思います。粗いところもあったし、本人も出られなくて焦っている気持ちもあったでしょうし」
活躍の素地はある。だがそれを生かす場がない。だから焦って粗くなる。ファームと一軍では別人のようだった細川の姿が思い出される。
そういう意味で、長距離砲を渇望していた中日に移籍できたのは天運だったのだろう。ただ、倉本は単に「機会に恵まれた」では片づけなかった。
「中日のスタッフの方が成也を良くしようと思ってやっていることを、成也が素直に受け止めているので。1人で頑張ろうと思っても正直難しい部分はあります。周りの力も大事です」
「成也の人徳じゃないですけど、素直さがあるから、周りに『頑張ってもらいたい』とか『何とかしたい』とか思ってもらえたってことが、中日に行って良かったことなんじゃないかなって思います」
思い起こせば、細川は多くの人に目をかけられていた。秋山の他にも、浅村栄斗(楽天)や杉本裕太郎(オリックス)とも自主トレを行っていた。横浜でもオースティンやソトとともにアメリカに渡っていたこともある。
細川が中日で使っているファーストミットにも、細川の人徳が隠されている。
ミットは昨年のフェニックスリーグ前、既に退団が決まっていた倉本が譲ったものだ。だが当の倉本は「人にグローブをあげるのはあまり好きじゃない」らしい。それでも、
「成也だったら……頑張ってほしいし。何かつかんでくれたらいいなと思って」
ミットには倉本の「頑張ってほしい」という思いが込められている。
周囲を巻き込む人間性。類まれなセンスやパワーだけではない、「素直さ」という武器を細川は持っている。
細川の確変はただ環境が変わったからでも、偶然の産物でもない。素直に人と向き合い、野球を吸収する。そして、恵まれた肉体とセンスがさらに磨かれる。この横浜時代から続く積み重ねが、中日での活躍につながっている。
だから倉本は「別に驚いていない」のだ。
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「もっともっと、打ってほしい」
倉本と細川は、今でもよく連絡を取っている。といっても、メッセージを送るのはもっぱら倉本の方からだという。
6月27日、細川が第10号ホームランを放った時は連絡したのか。そう水を向けると、
「いや、いつもどおり『ナイスホームラン』って送って、『ありがとうございます』ってやり取りでしたよ」
と、あっさりした表情で返してきた。
「節目ではありますけど、本人はもっと先を見ているだろうし、これからの選手なんで。もっと……もっともっと、打ってほしいなって思いますね」
今の活躍は、まだ始まりにすぎない。横浜ファンが期待を寄せ、中日ファンが応援する細川成也という大輪は、まだ開ききってはいないのだ。