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犯罪を行う権利今だけ増量キャンペーン中


上記記事内での話について、個人的に考えた。

日本の法律においては犯罪は禁止されておらず、ただ犯罪に対する刑罰があるだけでであり、違反すれば制裁があるというルールだけが存在している。そのために犯罪行為はペナルティ付きの選択肢として常に存在し、ペナルティ=刑罰と犯罪による利益を天秤にかけることで行われる取引だと言われている。

呉勝浩の『法廷占拠 爆弾2』の法廷立てこもり犯(名前忘れちゃった)は、ズバリこの点を主張していた。自分の素性を明かした上で、

「刑罰を受け入れると言っているのですから、その分の犯罪を行う権利がありますよね?」

と言っていたと思う。
刑事側も「ぐぬぬ…」って言ってるだけで明確な答えは出せていなかったと思う。

ドストエフスキー(誰ですかこれは?)は、罪は外的要素(刑罰)ではなく内的要素(道徳=魂の毀損、良心の呵責)によって定義されると言っている(ように聞こえました)。これに対する反例として引用元では「無感情な犯罪者」=そもそも内的要素が生じない人が引き合いに出されていた。この存在は罪を「罪」としない。

現在で言うところの「無敵の人」はこれに当てはまるように思える。彼らは明らかに「犯罪の対価」として刑罰を受け入れている様子が見られない。社会的地位が無い分、魂の毀損もなく良心の呵責もないから、真の意味で後先のことを考えていない。

「取引」の概念では、「刑罰」を犯罪者個人に対する社会的かつ物理的な損失としていることを踏まえて、「無敵の人」にとっては既に失っているもの、既に価値を持たないものを犯罪の対価として差し出すことが「刑罰」にあたるため、ただ犯罪による利益だけを得ることができる(特に無敵の人にとっては自己利益になるから犯罪を行うとは限らないけれど)。

これにより彼らは道徳と取引、両方を超越した認識のもとで犯罪を行う。

キリスト教圏においては、引用元でも言われているように「犯罪」は単なるルール違反行為ではなく、「神に対する背徳行為」にあたり、さらには死後にそれを加味した「審判」が待っているらしい。この宗教観が道徳そのものを作り上げている。

我らが仏教も大体同じような認識を持っているけれど、例えば「殺人は神の意思に背く行為だ」=「仏様が見とるげ人殺したらいかんよ」というような宗教的な認識よりもより実践的な社会的な規範として身についている。道徳ではなく「ルール」として存在する。それが「取引」の考えや「無敵の人」に至りやすい原因ではあるのだろうけど…

また、国産の無敵の人は「どうせ死ぬなら…」という現世利益的な動機(つまるところのヤケクソのドンパチ)だけで行けるとこまで行くイメージだが、キリスト教圏では神託や天啓を理由に犯罪を行うケースがあるらしい。
「神からそう告げられた」故に、刑罰よりもその先にある宗教的な救済を目的または動機とするらしく、これは「道徳」の規範を根底から破壊する。あんまりよくわかりませんが…

終末思想ってのものもあるらしいけれど、こっちは全くわからなかったのでスルーします(正直)。

これらの、罪を「罪」としない人達の前においては、ドストエフスキーの言う外的要素(刑罰)と内的要素(道徳)はもうどちらも役に立たず、罪の定義を根本から見直す必要が生まれてくる。罪は刑罰または内面的な苦痛を伴う必要があるのか。全く別の解釈があるのではないのか。

否、無いのである。
だからこそキリスト教的な道徳規範を批判したニーチェも結局はその道徳の範疇に収まって一生を終えた。

まあでも、一方で既存の道徳規範における犯罪に当たる行為が正当化されるような"新道徳"を発明されたとして、それは流布されるべきでは無い。

(このようにして、我々は既存の道徳を手放すことができない)


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