映画『ボーンズ・アンド・オール』
しばらくの間朝四時に起きて資格試験の勉強をしていたせいで、試験が終わった現在も朝は早めに目が覚めてしまう。早く起きたところで何もすることがないので、最近は朝からアマプラでスプラッターやスラッシャー、ホラー映画を観ることにしている。朝から何てものを視聴しているのかと精神の健全さを疑われるかもしれないが、食事と同じで朝はちゃんとカロリーが高めなものを摂取した方が一日が元気に過ごせる、そんな気がする。しませんか?
なんにせよ日頃から人とあまり話さない生活をしているので、おかしくなっていても気づけないし、気づけなくなっていたとしても当面問題は生じていない。つまり問題はない。私は健全だ。
まぁそんな流れで人食い系ボーイミーツガール映画である「ボーンズ・アンド・オール」を見たのだけれど、これがとても良かった。映像は美しく、グロいところはしっかりグロく、演出もキレていて主演女優の立ち姿は健康的な美しさに溢れている。A24っぽくありながら「この最先端のセンス、見て!」とでも言いたげなPVめいたオシャレ臭さが鼻につかない、あくまで映画的文脈に沿ったストイックな美しさを追及している質の高い映画で、これ撮ったの誰だよと思って検索してみたらルカ・グァダニーノ監督であり納得しかなかった。
ルカ・グァダニーノ監督といえば『君の名前で僕を呼んで』で名を知られた監督である。『君の名前で~』はイタリアの避暑地を舞台にした美しすぎる青春ホモ映画、といったら観る人を選んでしまうが同性愛嗜好がなくても十分に観る価値のある絵画のような素晴らしい映画であった。
それよりもなによりも私にとってはルカ監督といえば『サスペリア』のリブート撮った監督である。
名作というより怪作といってよいダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』を全く別物でありながら非常に見応えのある、というか本家の「サスペリア」に引けをとらないレベルの怪作として作り直している一種の変態監督だと思う。というか映像観る限り監督の知能が高すぎて正直ついていけない。尋常じゃない人文系インテリだと思われる、恐らく。
リブート版「サスペリア」の凄まじさはを語るにはまず本家の「サスペリア」に関して理解する必要があるが、本家の「サスペリア」のあらすじは以下wikiの通りである。
あらすじを読むかぎりでは妙に設定が凝ったB級ホラーでは?という感想を持つ人が多いのではなかろうか。実際その通りだと思う。ただその妙に設定の凝ったB級ホラーを過剰な演出と美術で官能的に仕上げているのが本家「サスペリア」の魅力であると私は思っている。
「悪魔のいけにえ」なんかモロにそうだが、そもそもスラッシャー描写のあるホラー映画というのは、不道徳で露骨で過剰でポルノめいているものだけれど、本家「サスペリア」はそれを謎の格調の高さでやっている。美術の凝りよう、特に建築が良過ぎる。ゴブリンの音楽も最高。スクリーン上では美学的に凝りに凝ったことをやっていながら作品の背後に監督のバキバキに勃起した陰茎が見え隠れしておりなかなか最低なのだが、監督の「俺はコレがイイと思う!」という熱量に圧倒されるので非常にアレな作品でありながら楽しく観れてしまう映画である。私は大好きだ。
本家「サスペリア」はそういう何というか物凄く良く出来たエロ漫画みたいな映画とも言えるのだけれど、そういう扱いに困る類のおっさんのリビドーで成立している作品のリブートって無理ではなかろうか。普通は。そもそもエロ漫画みたいな映画を今風に作り直す意味とは?と視聴前は考えていたのだが、ルカ監督は見事にそれをやってのけている。だから凄いし、どうかしている。
リブート版「サスペリア」は本家「サスペリア」の骨子だけは残して肉付けを全く変えた作品になっている。しかしそのあらすじを説明しようにも、どうにも入り組みすぎていて説明のしようがない。作品の雰囲気をつかもうと思ったら以下の記事を読むと何となく分かるかもしれない。
リブート版「サスペリア」はいくつかの筋でされているが、読み方によっては左派過激派の内ゲバの話であり、カルト教団内における粛清と下剋上の話であり、ウィッチフェミニズム寄りのフェミニズムの話であり、戦後ドイツに残されたナチ的なものを根切りにする映画でもある。つまり元がエロ漫画なのにリブート版では無駄に政治的になっている。
本家「サスペリア」的な何かを期待して観に行った人たちはさぞ驚いただろう。私も劇場で見て腰を抜かしたが、それ以上に圧倒されてしまった。
悪いサブカルが屁理屈をこねくり回してエロ漫画を無駄に高尚な文脈で語っているようないけすかない映画であることは間違いないけれど、それなのにどうしようもなく作りが良いし、情報量が多くて作品を語り様がない。(主人公がアーミッシュの出なんていう設定が本当に必要だったのか、私にはわからない。何も分からない。)
作品全体を観るとダリオ・アルジェント監督が「サスペリア」でやっていることと相反することをやっていそうなのだけど、一方で押さえるべき所を押さえているので原作レイプになっていない、というわけが分からないバランス感覚よ。DVする彼氏と付き合ってる女性はこういう不可解さを日々感じながら生きているのかもしれない。
「こんなのサスペリアじゃない!」と言いたくなる人もいるだろうが、しかし最後の血みどろで禍々しくも圧巻のダンスシーン、演出へのこだわりようからは確かに本家「サスペリア」へのリスペクトを感じる。
ベジャールのボレロとか、ニジンスキーの春の祭典を想起させる激しいダンスシーンは瞬きすら出来ないほど目が釘付けになるし素晴らしいのだけど、そういう文脈と関係なく生きてきた人たちから見たらあまりに悪魔的な印象を抱かせるに違いない。サバトそのものじゃなかろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=6rQwof50VsA
リブート版「サスペリア」は日本では2019年公開であり、昨今の苛烈なポリコレムーブメントにありながら今作がその批判の対象にならなかったのは本家のアレな性質を鑑みると不思議なのだが、作品の異様な語り辛さが批判を回避させたのではないか。煙草をスパスパ吹かす中年女性達の組織による精力的な文化的活動を描いている分には一見フェミニズム映画なのだが、それが結局家父長制を裏返しにしたような組織に過ぎず凄惨な内ゲバに至るに様は強烈な左派批判のようにも見える。というか冒頭からバーダーマインホフ(ドイツ赤軍)なんてマニアックな時代設定出る時点で迂闊にポリコレ棒で叩けなくなっている節がある。
ポリコレ棒は誰でも何でも叩ける便利な魔法の棒だと思っていたが、ゲバ棒出てくる作品は例外らしい。斬鉄剣がコンニャク切れないという設定を思い出すね。
ともあれリブート版「サスペリア」に関するこれまでの私の感想から酷く小難しい映画だという印象を持たれるかもしれないし、それは否定しようがない。
物語を消化するのに負荷がかかる映画であるがしかし、主演女優であるクロエ・グレース・モレッツのダンスと序盤と後半で雰囲気をガラリと変えてくる演技は観る価値がある。あとはティルダ・スウィントンの美しすぎる立ち姿とか、クロエ・グレース・モレッツとの間の綺麗な百合関係とか尊いと思います。ありがとうルカ監督。ありがとう。
そんな綺麗な百合や綺麗なホモを描けるし、美学的な素養に溢れまくっていながらグチャグチャドロドロの生理的嫌悪感を催させる強烈なグロ描写もそつなく描いてみせるのがルカ監督なのだが、その監督の最新作が『ボーンズ・アンド・オール』である。
そう、やっと今から本題である。
私は映画でもアニメでも所謂ボーイ・ミーツ・ガール物を視聴すると、「ボーイはガールとミーツするな」という呪詛を自動的に吐き出してしまう病気を患っているのだが、『ボーンズ・アンド・オール』は全然いけた。繰り返しになるが非常に良かった。(この手の映画で良いと思ったのは直近だと『パーティーで女の子に話しかけるには』以来か)
とても良いボーイ・ミーツ・ガール映画であり、ジュブナイル映画であり、人食いグロ映画であった。
主演の女の子の立ち姿が美しいし、彼氏役のティモシー・シャラメも存在がエロい。そんな二人が車で旅して人を殺して食う。
なんでこんなものを撮ったと言わざる得ない。
やっすいB級映画のフォーマットでやるならわかる。『グリーンインフェルノ』みたいな感じでやる分にはいいが、美しい風景が流れる青春ロードムービーとしてやってるのでどう見ていいか分からなくなる。
人を殺して食べることの葛藤や拒否感も丁寧に描いているので、「人間、それは美味い」系の映画とは一線を画してはいながら、食人描写も表現コードギリギリを攻める描き方をしている。せっかく万人受けする美しい映像で構成されているのに、ダメな人には本当にダメな映画になっているのがすごい。どういう層向けに作ったのか疑問すぎる。
本筋としては食人本能に目覚めてしまった少女が自分を捨てた母に会いに行く過程で、食人という禁忌なしには生きていくことが難しい自身と折り合いをつけながら、同胞たる食人系男子と出会い旅に出て恋に落ちる話である。旅、成長、恋という良さそうな要素で出来ているのに、食人で全部台無し。そういうアンビバレンツな要素で成り立っている。
以下ネタバレ
食人の描き方が特徴的でどうも食人族たる少女にとって食人は生理学的に必要なものではなく、どちらかというと本能的なものらしい。つまり我慢さえすれば鶏肉でも何でも食って生きていくことは可能なのであるが、本質的に捕食者であるので人間を食べずにはいられない業を背負っている。
人間を食べる人間が現代社会に安定した居場所を得るなどというのはまず無理だが、そういう社会が包摂不可能な不適合性を抱えていても同じ業を抱えた人と一緒なら何とか生きていくことも可能、かもしれない。ティモシー・シャラメと一緒ならそんな自分を何とか受け入れることができる、かもしれない。そんな苦難を抱えた女の子の成長と生き方の発見を描くのが表側の話である。
表側と書いたが実質的にこの映画が書いているのはかなり厳しい現実である。普通の人間社会で生きていくことが出来ない女の子と男の子、その出会いも恋も旅も美しいけれど、ではおっさんはどうか。
女の子が男の子と出会う前に、女の子はおっさんというか爺さんに近い同胞と出会う。爺さんは子供の頃から食人をしながらも世間に紛れているベテランカニバリストであるが、まぁ何というか様子がおかしい。食人するからではなく、食人してなくてもキモい。存在するだけで不快。距離感がおかしい。言葉遣いもおかしい。所謂コミュ障である。
コミュ障と食人本能の為長く寂しい人生を送ってきた爺さんは、目覚めたばかりの食人本能に戸惑う女の子を手助けし、共に生きることを提案する。しかし気持ち悪すぎるため一般の若い女性の感性をもった主人公はしれっと逃げ出す。
爺さんは拒絶されても一緒にご飯を食べた時間が忘れられずストーキングして追いすがるが、女の子から明確に拒否されてついには逆切れする。地獄かと言わざる得ない。
そう、社会不適合者同士であってもキモいやつはキモいやつとして拒絶される、人食い同士であっても距離感おかしい奴は嫌がられる、そういう場面をしっかり描いている。ティモシー・シャラメとなら女の子は生きていける。そりゃそうだろうな!と酷すぎて笑ってしまった。
ちょっと鉄臭いけど基本甘酸っぱいロマンス映画であるはずなのに、変なところで『JOKER』より厳しい現実描いてるのが、もうね。
『JOKER』は不穏な映画であったけれどオチは薄暗いながらも救いがあった映画だと思う。障害持ちの不快な弱者男性が追い詰められ全て失い、自暴自棄になった結果に悪のインフルエンサーとして他のボンクラから熱狂的な承認を得られる物語だったので。
一方『ボーンズ・アンド・オール』の爺さんは何の救いも得られない。なぜならキモイので。
若い男女のキラキラした青春劇とキモイやつはキモイという身も蓋もない現実を一緒に描くのはある意味バランス取れているけれど、バランス取ればいいってもんではないような。『JOKER』より遥かに世間の治安悪くしそうではないか。面白いけどさ。
ちなみにこの映画で描かれる食人行為は一種のセックスと見ると通りが良い。食事もセックスも身体の外にあるものを受け入れるという意味においては同じであるし、性的関係にある人間同士が捕食者と非捕食者に例えられるのは通俗的な比喩として珍しくはない。
食人族にとって一緒に食人行為を行うのも一種の性行為のようでもあり、群れを作る契機のようでもある。
作中に男性二人の食人族が出てくるが彼らにどことなく同性愛的な空気感が生じているのはそのためだろう。
この見方を爺さんと女の子の関係に当て嵌めると本当に悲惨になるんだよな。
『サスペリア』でエロ漫画みたいな原作映画を政治的百合芸術映画にするという、どういう需要があるのか分からないリメイクを行ったルカ監督は、今作の『ボーンズ・アンド・オール』では青春ロードムービーに食人と非モテを出すという最悪なチャンポンを行っている。変態だと思うが、撮ってる映像は本当に品が良いのがなぁ。時々何見させられてるのか分かんなくなるよ。癖になる。おすすめです。
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