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あんたがたどこさ

わたしは母子家庭で育っている。

あまりにも周りに多かったので気にしたことがなかったのだけど、この歳になって色んな出身の人とお話をしたり、友達の結婚式に出たり。家庭に触れるタイミングが少なくなってきて思ったことがある。

「あなたは出身はどこなの?」

という質問に未だにうまく答えられない。

出身の概念

厳密な定義は確立していませんが、「出身地=出生地」ではなく、「幼少(生まれて15歳までの間)の頃に一番長く過ごした場所」を「出身地」とするのが一般的のようです。 

わたしは熊本生まれ、両親も熊本生まれ熊本育ち。両親の離婚によって6歳のときに母親と東京に出てきて小中高大と経て大人になり、この定義でいえばわたしの出身は普通に東京都なのである。

でもわたしは幼少期から父親のことがものすごく大好きだった。母親にとっては殺したいくらい憎い男のはずなのに、そんなわたしを父親から引き離すのを可哀想に思い、入学式、運動会、卒業式、と大きなイベントは必ず父親を呼んでくれていた。

片親で働き詰めの母親は小学生の夏休み、子供と遊んであげられないこと、思い出を作ってあげられないことを考慮して、その憎い男にわたしを毎年毎年、夏休み、冬休み、春休み、とまるまる預けた。今考えるとマジですごい。

ただ父親に子育てなんてできるわけがない。わたしは結局ほとんどの時間を父方の祖父母の家で過ごした。わたしはこの日々のことを昨日のことのように覚えている。

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なんとなく思った人がいるかもしれないけど、わたしはまさに「ぼくのなつやすみ」状態だった。

プレイしたことある人はわかると思うけど、このゲーム、エンディングがめちゃくちゃ重い。完全にあの日々が大人のボクくんに多大なる影響を与えている。

わたしにはボクくんの気持ちがよくわかる。

わたしのなつやすみは、熊本のド田舎で目が見えないコテコテの九州男児の祖父常に喋ってるハイテンションな祖母と三人で時代劇を見たり、お人好しの彼らがあちこちから引き受けてくるたくさんの動物と遊んだり、犬を連れて田んぼしかないくっっっさい道を何時間もウロウロしたり、そこで出会った全然知らないばあちゃんちでスイカを食べたり、そこの孫と遊んで友達になったり、お祭りになれば母方の祖母やいとことたくさん遊んだり、そういう日々だった。

それを小学校、中学校と、9年間。

わたしは大好きな祖父母と父親といとこと離れたくなくて、東京に戻るときにはいつも号泣して困らせていた。

学校に友達があんまりいなかったわたしは「熊本と東京を逆にしたい」と言って母親を泣かせたこともある。今思うととんだクソガキである。ほんとに反省しろ。

こんなに大好きな思い出がたくさんあって大好きな人がたくさんいる場所なのに、わたしの出身は東京らしい。

でもそれはそう、やっぱりわたしは彼ら(家族)の価値観がいまだに理解できない。東京は人と人との距離がとても心地いい。そしてわたしは都合のいいことに、中学生のときの同級生と飲みに行く時に「地元飲み」と称する。「地元飲み」に来てくれるいつもの友達のことを、わたしはとても大事に思っている。

わたしの地元は東京都なのである。

でもどうしても、生まれて幼少期の大事な部分を全部過ごした熊本となんの関係もない人間でいたくなくて、わたしはこう答える。

「生まれは熊本なんですけど、育ちは東京です!」

そうすると8割がこう帰ってくる。

「いつから?」

6歳です、と答えればほとんど東京じゃん!ぜんぜん出身じゃないじゃん!と笑われてこの会話は終わってしまうのだ。だからなんだって話だけど。

けどやっぱりわたしは熊本が大好きだ。好きな食べ物は南関あげだし、醤油はうまくちだし、ホームセンターはサンコーだ。お弁当はヒライだ。うどんはウエストだ。ラーメンは文龍だ。

他人からしたらクソどうでもいいようなこんなことが、長年ずっと消えないのである。

多分これからもずっと。

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