演奏する立場である以上〈11月 毎日投稿〉
日曜日の夜8時からは大河、の家庭で育った。物心つく前から、自分で選択するまでもなく見ていたけれど、一番最初に好きになった大河ドラマはこれかもしれない。
宮崎あおいさん主演の「篤姫」。幕末の時代、薩摩藩島津家の分家の生まれながら、徳川13代将軍家定の正室となり、江戸城無血開城に大きな役割を果たす天璋院篤姫。”薩摩おごじょ”とも呼ばれる彼女の波乱万丈な生涯を描いたドラマだ。
2008年に放送された当時、私は中学1年生だった。天真爛漫な篤姫が成長していき、持ち前の才覚とまっすぐさで活躍していく姿に、心が掴まれた。
そしてもう一つ大好きなのが、鹿児島県出身の作曲家、吉俣良さんによるこのドラマのオープニングテーマ。
鹿児島の桜島を思い起こさせるような冒頭から、オーボエ→クラリネットとソロが移り変わる。17歳で島津藩主の養女となった篤姫が、境遇の変化に戸惑いながら成長していく様をまさに表しているなと感じる。
その後のストリングスによるメロディーの部分は、結婚式で花嫁さんがバージンロードを歩くときに流れていそう。そんなことを思うと、自分自身の戸惑いや周囲からの反発を乗り越えながら、鹿児島を遠く離れて将軍家に嫁いだ篤姫の姿を思い出して、放送から15年経っているのにいまだに泣けてくる。
中学高校時代、私は吹奏楽部に所属し、クラリネットを担当していた。学園祭でこの曲を演奏するとなったとき、大好きな曲ができるー!と思ってめちゃくちゃ気合いが入った。
演奏する立場である以上、どの曲もバランスよくきちんと練習して本番に臨むべきだ。けれど大好きな曲を演奏できるのが嬉しくて、個人練習でこの曲ばっかり演奏していた気がするし、本番の思い入れも他の曲とはやっぱり違った。
ただ、確か担当パートがクラリネットの3rd(サード)で、メロディーがあまり吹けなくてちょっとがっかりだった思い出がある。しかし先輩が決めたパート分けに意見が言えるわけはなかった。
吹奏楽のパート分けでは、各楽器の中にさらに2~3個程度のパート分けがある。1st(ファースト)、2nd(セカンド)、3rdと数字が大きくなるにつれ、演奏する音域が低くなっていくのが慣例だ。
作曲者の意図や、楽器の種類によっては、楽器ごとのパート分けはあったりなかったり、数も変わったりするけれど、クラリネットは大体1stから3rdまであることが多い。
1stは高音域を担当して、目立つメロディーを演奏することが多いので花形ともいえる。3rdは低音域を担当するので、あまりメロディーは担当せず、低音楽器と一緒にリズムやベースの部分を吹いたり、メロディーにハモったり、裏方の役割に徹することが多い。
もちろんすべての要素が音楽にとって重要なわけで、パートに貴賎はない。中学生の自分には、文句言ってないで真面目に練習しろ、真剣に音楽に向き合え、と言ってやりたい。
でも気持ちは分かる。仲間に生演奏で伴奏してもらって、この曲のメロディーを吹けたらそりゃ気持ちいいわ。
吹奏楽をやる楽しさは、自分の演奏を誰かに聴いてもらえることだけではない。自分たちの楽団が演奏しているのを一番近くで、むしろ内部で、音に360度囲まれた状態で、聴くことができる。
いや、でもそれはどうだろう。吹奏楽にしろオーケストラにしろ、あの扇形の配置には、客席から聴いたときに一番演奏の完成度が高くなるように、という意味がある。
楽器の音色や特性に合わせてあの配置になっているのだから、当然客席から聴くのが一番贅沢、というのは間違いない。
ただ、肩を並べて同じ音楽を演奏する仲間の、息遣いや体の動き、表情、練習から本番までの紆余曲折、そういうのを全部ひっくるめて音楽を体感することは、一緒に演奏している私にしかできない。
昨日の練習ではミスしていたところを、今日は完璧に吹けている。最初は緊張して弱々しかったソロも、本番では堂々と演奏している。音程がズレてきれいにハモれていなかったところが、今日はきれいになっている。朝練のときにパート練習をしていたもんなあ。
いちいち口に出さないまでも、そういうことを無限に感じながら、毎日練習していた。全国大会常連というような強豪校ではなかったし、その中でも落ちこぼれの私ではあったけれど、未熟ながらに音楽と純粋に向き合っていたんだよなあと、この曲を聴くと思い出す。
尊敬する先輩、大好きな同級生や後輩が演奏する「篤姫」を、扇形の内側で聴くたび、毎回泣きそうになっていた。演奏する立場である以上、もっと冷静に、客観的な目線を持って演奏するべきだ。
涙をこらえながらクラリネットを吹くあの頃の私を、抱きしめてやりたい。
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