見出し画像

影響を受けた音楽ープレイリストを作って聴かせたがる理由

選曲は手紙であり、地図でもある。

高校の卒業式の日、私は手紙を書く代わりに、自作のCDを友達にプレゼントした。10曲ほどを選んで、曲順を考えてプレイリストを作り、それをCDに焼いて、特に親しかった友達数人に手渡した。

「手紙書こうね!」と約束したものの、卒業式の一週間前まで大学受験が終わらず「もう文章書きたくない……ペンも握りたくない……」となっていた私は、文章で手紙を書く代わりに「大好きな音楽で友達に気持ちを伝えよう」と閃いた。

これから別々の進路に進んだら、なかなか会えなくなる。新しい環境で疲れたとき、寂しくなったとき、このCDを聴いて元気を出してもらえたらな。曲をきっかけにして、高校での思い出を思い出してもらえたらな。

そう考えると、手紙を書くよりずっと良さそう!「ありがとう」「大好き」って何度書いても足りない気持ちを、この10曲に込めて渡そう。

マイナーだろうがクセが強かろうがお構いなしの、自分の趣味丸出しの選曲。私が少しニッチな音楽が好きということは、友達にはとっくに知れ渡っていたし、今さら世間に寄せた選曲をしてもしらけるだけだろう。

それにしても、フジファブリックの「桜の季節」で始まり、バンプオブチキンの「グッドラック」で終わる曲順。本気で友達に送りたいと思ったし、超大好きな曲なのには間違いないが、曲の意味をよくよく考えると、我ながら素直じゃないなあ。

言いたいことを確実に、誤解なく伝えるには、音楽よりやっぱり言葉で手紙を書く方がいい。素直じゃない選曲もあいまって、卒業から時が経つうちに「もっと上手な伝え方あったよなあ」という気持ちが強まっていた。

やみくもな手紙に返事が来た

卒業から1年半ほど経って「やっぱり手紙を書けばよかったかも」と後悔しそうになっていたころ、CDを渡した友人のうちの一人から”返事”が返ってきた。来月から海外の大学へ行くから、なかなか会えなくなるという。

「高校の卒業式で、CDくれたでしょ?嬉しかったから私もCD作ってきた!」

もともと一番好きなミュージシャンが同じだったり、音楽の趣味が合う友達ではあったのだけれど、闇雲に投げたボールが返ってきたようなものだ。めちゃくちゃ嬉しかった。

加えて、ちょうど私が知らないアーティストや曲を選んでくれていた。まだ知らない、私の好きな曲がいっぱい入っていた。新しい音楽との出会いとしては最高だった。

そこに入っているアーティストの他の曲を調べたり、彼女の選曲を地図にして、音楽の世界をどんどん広げていった。私の音楽の地図の半分は、もとを辿ればあのCDに繋がっている。

その友達は、大学を卒業したあと日本に戻ってきて、いまでもしょっちゅう遊んでいる。いろいろなミュージシャンのライブに行ったり、今年の夏はフェスに行く約束をしている。音楽だけでなく美術館へ行くとか、公園を歩くだけとかそんな日もあって、思い返すと太くて長い付き合いになった。

もちろん人間性や価値観によるものも大きいんだろうけれど、しょっちゅう会っていてもなお、話が尽きない。似たようで違う2枚の地図を突き合わせていると、いつでもどこまでも楽しい。

人間性や価値観が似ているから、音楽の趣味も似てくるのだろうか。逆に、音楽の趣味が似ていると、お互いのことを理解する手助けになったり、人間性や価値観が似てくるのかもしれない。これを考えていると「鶏が先か、卵が先か」の議論になってきて、まあどっちもあるんだろうなという結論に至る。

ただ、卒業式で私がCDを作って渡したことが、そして友達が返事をくれたことが、私たちにとって大きな意味を持っていることは確かだ。

プレイリストを作る楽しさ

私が高校生だった頃と比べて近頃は、自分の好きな音楽を誰かと共有することはとても簡単になった。

YouTubeやSpotifyやApple MusicのリンクをSNSに投稿すれば「私はこの曲が好き」「この曲聴いてほしい!」という気持ちを伝えることができる。投稿を見た人は、そのリンクをクリックすればすぐ、その曲を聴くことができる。

同じサブスクを使っている相手だったら、プレイリストを公開して、曲順そのままに聴いてもらうこともできる。

わざわざ電気屋さんにCDを買いにいって、パソコンで1枚1枚書き込んで(当時使っていた実家のパソコンでは1枚5分くらいかかった)、手書きの曲順リストを添えて、なんてことはしなくてもすむ。

共有や公開はしないまでも、自分でプレイリストを作って聴いている人は少なくないのではないだろうか。朝に聴きたい曲を集めて、朝の満員電車で聴いているとか、シリーズもののアニメの主題歌だけ集めたりとか。

あとは曲順も。「一曲目は絶対これでしょ!」とか「この歌詞とこっちの曲のこの歌詞が繋がっていて…」とか「この辺でちょっとバラードっぽい曲入れようかな」とか考えて、最終的に「この流れサイコー!」となるまでの時間、どうしてあんなに楽しいんでしょうか。

ミュージシャンが決めた曲順そのままに、アルバムを楽しむのが最高なのは、もちろん決まっている。ただ、そこから先にも音楽の楽しみ方は広がっている。

アプリによっては、ユーザーごとの聴取行動や、曲のテンポやコード進行なんかを分析し、そのユーザーに合わせたプレイリストを自動で作ってくれるサービスもある。

でもそれ以上に、自分の好きな曲を自分の好きな順番で聴くことで満たされる場所が、心のどこかにある。

それぞれの地図を突き合わせて遊ぶ

「選曲」というのはつくづく、ハイパー個人的で自己中心的な行為だと思う。好きな曲を選ぶと、どうしたって拭い去れない自己満足が含まれている。音楽の好みなんて人それぞれだし、誰に強制されるものでもない。だからこそ、そこには心の中の見えない部分も表れているのだろう。普段の行動では隠している、心の内面が無意識のうちに見えて(見られて)しまう。

また、興味のない音楽を何曲も何曲も聴かされるというのは、それなりに苦痛の伴うことでもある。聴かせる方は自分のセンスを披露出来てまだ楽しいだろうが、聴かされる方の身にもなってくれという話である。

音楽の趣味が合う相手とかでなければ、あるいは相手の好みに合わせておすすめできる天才だとか、曲の繋ぎ方やのせ方が神がかってるDJとか、恋人や好きな人が聴いている曲を知りたいとかでなければ、聴きたくもない音楽を延々と聴かされるのは、なかなかに苦痛だ。

聴いたら多分感想を言わなきゃいけない。正直に「あんま好きじゃないです」なんて言ったら相手を傷付けてしまうし。うかつに嘘をついて「いいですね!」なんて言ってしまって「じゃあ今度CD貸そうか!?」となることも避けたい。

相手を傷付けずに、自分を押し殺すこともなく、浅いとも知ったかぶってるとも思われない、ちょうどいい感想を言うには。それなりに意識を向けて、なんとか自分の好きと思えるポイントを探しつつ聴かなくちゃならない……わあ……めんどくさあ……。

でも、言ってしまえばそういう面倒くささも含めて、相手を理解するっていうことなのかもしれない。音楽を通じてだったら、言葉や態度でけんかするより、もう少し優しく楽しく、お互いを理解し合えるんじゃないだろうか。

良いところも悪いところも含めて人間。だから人間関係には、良いところだけでなく、悪いところや合わないところも理解して、受け入れていくことも、ときに必要だ。

今まで興味がなかった音楽を、突然好きになることはよくあることだし、それを信じて音楽を聴いてみる時間は、面倒だけど、自分の世界を広げてくれる。けんかばっかりより、理解し合えないままより、はるかにいい。

確実に情報を伝えるには、音楽よりも言葉の方が適している。けれど、だからこそ、音楽を通して感情を共有できたら、それだけで心が通じ合える。自分が本当に好きな曲を「好き」と言ってもらえたら、相手のことも自分のこともその曲も、もっと好きになれる。

今でもときどき、自己満足なプレイリストを作って公開設定にして、SNSで共有したり共有しなかったりしている。やみくもな手紙に返事が届いた嬉しさが忘れられない。まだまだ誰かと、お互いの音楽の地図を突き合わせて遊びたいんだ。

コンビニでクエン酸の飲み物を買って飲みます