今年やりたいこと⑧Instagram開設
今年はライターとしてInstagramで発信してみたいなと思っています。プライベート用のアカウントとは別にもう一つ作りたい。でも、文章とInstagramの相性って、どんなもんなんでしょう。
今さら言うまでもないかもしれませんが、Instagramは写真や絵、動画など、ビジュアルを得意とするSNS。文章で表現しようとする人とInstagramは、どの程度相性の良いものなんだろうか。
気になったので、著名な小説家、文筆家、ライターなど、言葉を生業としている人のInstagramをざーっと見てみました。軽く見てみた印象では、Instagramでは言葉は最小限に、写真をメインに発信している方が多かったです。
生活の中の何気ない写真や、イベントや本の告知など。写真に添えるコメントも最小限で、言葉を仕事にしているからといって、特別文章が目立つということもない。そこでなにか爪痕を残そうとしているという印象もなく。
いやいや、ペーペーの私には分からないだけで、その短いコメントの中に、わかる人にはわかる含蓄やクリエイティビティが秘められているのかも知れない。その可能性は拭えない。
でも、Instagramを見る側になったとき、自分がそうなのだけれど、タイルのように並んだビジュアルをさらさら、ぽんぽんと流し見していくことが多い。ガチでそのアカウントのことを追いかけているということでなければ、一つひとつの投稿のコメントまで読まないよなあ、だったらそこで勝負しようとは思わなくても当然かもしれない。
その中で異色を放っているのは、詩人で小説家の、最果タヒさんのアカウントです。
タヒさんのアカウントは、めちゃくちゃ文字で埋め尽くされている。写真という写真はほぼ無い。
メディアで連載している記事の冒頭を切り抜いたものだったり、タヒさんの詩であったり、出版される本の表紙であったり。ほとんどの投稿がそういった、活字で埋め尽くされた画像です。
タヒさんは詩でアート展を開いたり、グッズ化したり、詩作の表現を広げる試みをしている人でもあります。だから、展示会やグッズ展開が盛り上がっている時期にはちょっとInstagramのプロフィールの色味が増える。
でもそのグッズにも美術作品にも、もれなくタヒさんの詩が印字されているわけで、投稿から文字が溢れ出てくるのには変わりありません。
どんなに説明しても「どういうこと?」という疑問を解消できている気がしないのですが、何が言いたいのかというと、めちゃくちゃかっこいいな、と思っているということ。
ビジュアルが重視されるInstagramの中で、言葉だけで勝負するというのは、ルール違反とまでは言わなくても、いばらの道を自ら選んで行くようなもの。それでもInstagramで言葉を発信することを選ぶのは、タヒさんらしいと言えばそうなのかも知れないし、私はそんな潔さに惹かれている。
でも、どんな場所でも常に言葉だけで勝負するというのは、誰にでも出来ることではないのでしょう。タヒさんほどの才能や実績があるから出来ることなのだろうか。
だとしたら、それはすなわち誰もが皆それをやる必要はない、ということでもある。
で、本題は「私はどうするんだい」という話です。私はInstagramで何を発信するのか。なぜInstagramなのか。そもそもInstagramで発信する必要があるのか。
タヒさんがInstagramのビジュアルとして言葉を載せるのは、詩というもの表現の幅を広げる1つのアプローチと捉えることができるのかもしれない。だとしたら、ファンのはしくれとして、その後に続くというのもアリなのかも知れない。
でも軽々しく真似することが果たして、リスペクトを表現することになるのか?憧れの気持ちだけで形だけ真似して、それって一体誰のためになるんだ?私はすぐにそういうことばかり考える。
そもそもどうしてInstagramをやろうと思ったのかというと、単純に出会える人が増えると思ったから。それだけです。
noteには文章を読み書きすることが好きな人が集まっているのかもしれないけれど、Instagramにも文章が好きな人はいる。ハッシュタグやらなんやらのアルゴリズムによって運命的な出会いが生まれるかもしれない。
はい!プロフィール写真だけ設定しました!ご迷惑でなければフォローして気長にお待ちください!📸
(2024.5月追記)
アカウント開設から2か月。やっと1つ目の投稿をしました。書き溜めていた自由律俳句と、撮りためていた写真で発信していこうと思います。
自由律俳句って名乗っていいのか、内心ハラハラドキドキしている。毎晩尾崎放哉の全句集と『カキフライが無いなら来なかった』を写経しながら、こまごまと投稿しています。
よければフォローよろしくお願いします。
コンビニでクエン酸の飲み物を買って飲みます